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==ペリクレス像==
==ペリクレス像==
アテナイでクレシラスが制作したものに、[[将軍職 (アテナイ)|ストラテゴス]](将軍)の象徴として、頭に[[コリントス]]式の[[兜]]をかぶった[[ペリクレス]]像がある<ref>
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「クレシラスは作った……威厳ある(Olympian)ペリクレスを、その称号にふさわしい姿に。彫刻美術としてまことに素晴らしいもので、これまでの著名人の中に名士を付け加えた」([[大プリニウス]]、『[[博物誌]]』XXXIV.74)</ref>。その基部は[[アテネのアクロポリス]]から見つかった。[[パウサニアス]]がそこで見たブロンズ像(『ギリシア案内記』I.25.1, I.28.2)であることは疑いない。[[バチカン美術館]]や[[大英博物館]]([[ティヴォリ]]の[[ヴィッラ・アドリアーナ (ティヴォリ)|ヴィッラ・アドリアーナ]]で発掘されたもので、Charles Towneley([[:en:Charles Towneley]])が所有していた<ref>[http://www.thebritishmuseum.ac.uk/compass/ixbin/hix.cgi?_IXDB_=compass&_IXSR_=sAXmDiH3cUd&_IXSS_=%257bUPPER%257d%253av2_free_text_tindex%3dPericles%26_IXNOMATCHES_%3dgraphical%252fno_matches%252ehtml%26%2524%2b%2528with%2bv2_searchable_index%2529%2bsort%3d%252e%26_IXsearchterm%3dPericles%26_IXFPFX_%3dgraphical%252ffull%252f%26_IXDB_%3dcompass&_IXFIRST_=1&_IXMAXHITS_=1&_IXSPFX_=graphical/full/&_IXsearchterm=Pericles&submit-button=summary 大英博物館]</ref>)、[[旧博物館 (ベルリン)|ベルリン旧博物館]]などにある一連のペリクレスの胸像は、それから派生しているものと思われる。
「クレシラスは作った……威厳ある(Olympian)ペリクレスを、その称号にふさわしい姿に。彫刻美術としてまことに素晴らしいもので、これまでの著名人の中に名士を付け加えた」([[大プリニウス]]、『[[博物誌]]』XXXIV.74)</ref>。その基部は[[アテネのアクロポリス]]から見つかった。[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]がそこで見たブロンズ像(『ギリシア案内記』I.25.1, I.28.2)であることは疑いない。[[バチカン美術館]]や[[大英博物館]]([[ティヴォリ]]の[[ヴィッラ・アドリアーナ (ティヴォリ)|ヴィッラ・アドリアーナ]]で発掘されたもので、Charles Towneley([[:en:Charles Towneley]])が所有していた<ref>[http://www.thebritishmuseum.ac.uk/compass/ixbin/hix.cgi?_IXDB_=compass&_IXSR_=sAXmDiH3cUd&_IXSS_=%257bUPPER%257d%253av2_free_text_tindex%3dPericles%26_IXNOMATCHES_%3dgraphical%252fno_matches%252ehtml%26%2524%2b%2528with%2bv2_searchable_index%2529%2bsort%3d%252e%26_IXsearchterm%3dPericles%26_IXFPFX_%3dgraphical%252ffull%252f%26_IXDB_%3dcompass&_IXFIRST_=1&_IXMAXHITS_=1&_IXSPFX_=graphical/full/&_IXsearchterm=Pericles&submit-button=summary 大英博物館]</ref>)、[[旧博物館 (ベルリン)|ベルリン旧博物館]]などにある一連のペリクレスの胸像は、それから派生しているものと思われる。


==エフェソスのアマゾン==
==エフェソスのアマゾン==

2021年11月15日 (月) 10:37時点における版

髭を生やしたペリクレスのヘルマ。銘には「ペリクレス、クサンティッポスの子、アテナイ人」とある。クレシラスの作品のローマ時代の複製。バチカン美術館(no.269)
クレシラス作と思われる『ヴェッレトリのアテーナー(ヴェッレットリのパラス)』のローマ時代の複製。ルーヴル美術館

クレシラスKresilas, ギリシャ語Κρησίλας)は、古代ギリシア彫刻家クレタ島のキュドニア(en:Cydonia (ancient Greece))の出身。紀元前5世紀の人で、ペロポネソス戦争の時には、ミュロンの理想主義的な肖像の追随者として、アテナイで活動した。

ペリクレス像

アテナイでクレシラスが制作したものに、ストラテゴス(将軍)の象徴として、頭にコリントス式のをかぶったペリクレス像がある[1]。その基部はアテネのアクロポリスから見つかった。パウサニアスがそこで見たブロンズ像(『ギリシア案内記』I.25.1, I.28.2)であることは疑いない。バチカン美術館大英博物館ティヴォリヴィッラ・アドリアーナで発掘されたもので、Charles Towneley(en:Charles Towneley)が所有していた[2])、ベルリン旧博物館などにある一連のペリクレスの胸像は、それから派生しているものと思われる。

エフェソスのアマゾン

クレシラスは同時に、エフェソスアルテミス神殿の競技大会のために、負傷した男たちと瀕死のアマゾンも作った(この競技大会にはペイディアスポリュクレイトスたちも参加した。en:Amazon statue types参照)。その作品を複製したと思われる彫刻が多数あって、その1つ、クレシラスの「負傷したアマゾン」像(大プリニアス『博物誌』xxxiv. 75)はバチカン美術館にある。

ヴェッレトリのアテーナー

クレシラスはアテーナー像の「ヴェッレトリのアテーナー(ヴェッレットリのパラス)」タイプ(en:Athena of Velletri)の創始者であることも確認されている。

脚注

  1. ^ 「クレシラスは作った……威厳ある(Olympian)ペリクレスを、その称号にふさわしい姿に。彫刻美術としてまことに素晴らしいもので、これまでの著名人の中に名士を付け加えた」(大プリニウス、『博物誌』XXXIV.74)
  2. ^ 大英博物館

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