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「エイオン包囲戦」の版間の差分

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'''エイオン包囲戦'''(エイオンほういせん、{{lang-en-short|siege of Eion}})は、[[デロス同盟]]と[[アケメネス朝]]ペルシアとの間で戦われた[[包囲戦]]である。
'''エイオン包囲戦'''(エイオンほういせん、{{lang-en-short|siege of Eion}})は、[[デロス同盟]]と[[アケメネス朝]]ペルシアとの間で戦われた[[包囲戦]]である。


[[エイオン]]は[[ペルシア戦争]]の余波で[[紀元前476年]]にペルシアに占領されていたが、翌年の[[紀元前475年]]に[[アテナイ]]の[[将軍]][[キモン]]率いるデロス同盟軍によって包囲された。この時、エイオンを守る[[サトラップ|太守]]のボゲスは講和して生きながらえることもできたのに最後まで踏みとどまって戦った。そして、城内の食料が尽きると彼は薪の山を築いて妻子や使用人を殺して火に投じ、敵に渡さないために財宝を[[ストルマ川|ストリュモン川]]に投げ捨てた後、自らも火の中に飛び込んだ。この行為によって、ボゲスはペルシア王[[クセルクセス1世]]によって賞賛され、王は本国の彼の子供たちを厚く遇したという<ref>ヘロドトス, VII. 107</ref>。その後、エイオンは落城し、住民は[[奴隷]]にされた<ref>トゥキュディデス, I. 98</ref>。[[パウサニアス]]によれば、エイオンは[[水攻め]]によって落とされた<ref>パウサニアス, VIII. 8. 9</ref>。
[[エイオン]]は[[ペルシア戦争]]の余波で[[紀元前476年]]にペルシアに占領されていたが、翌年の[[紀元前475年]]に[[アテナイ]]の[[将軍]][[キモン]]率いるデロス同盟軍によって包囲された。この時、エイオンを守る[[サトラップ|太守]]のボゲスは講和して生きながらえることもできたのに最後まで踏みとどまって戦った。そして、城内の食料が尽きると彼は薪の山を築いて妻子や使用人を殺して火に投じ、敵に渡さないために財宝を[[ストルマ川|ストリュモン川]]に投げ捨てた後、自らも火の中に飛び込んだ。この行為によって、ボゲスはペルシア王[[クセルクセス1世]]によって賞賛され、王は本国の彼の子供たちを厚く遇したという<ref>ヘロドトス, VII. 107</ref>。その後、エイオンは落城し、住民は[[奴隷]]にされた<ref>トゥキュディデス, I. 98</ref>。[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]によれば、エイオンは[[水攻め]]によって落とされた<ref>パウサニアス, VIII. 8. 9</ref>。


== 註 ==
== 註 ==
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*[[トゥキュディデス]]著、小西晴雄訳、『トゥーキュディデース 世界古典文学全集11』、[[筑摩書房]]、1971年
*[[トゥキュディデス]]著、小西晴雄訳、『トゥーキュディデース 世界古典文学全集11』、[[筑摩書房]]、1971年
*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年
*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]] (下)』、[[講談社]]、[[1972年]]
*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]] (下)』、[[講談社]]、[[1972年]]



2021年11月15日 (月) 10:43時点における最新版

エイオン包囲戦
戦争ペルシア戦争
年月日紀元前475年
場所エイオン
結果:デロス同盟軍によるエイオン攻略
交戦勢力
デロス同盟 アケメネス朝
指導者・指揮官
キモン ボゲス
戦力
不明 不明
損害
不明 不明
ペルシア戦争

エイオン包囲戦(エイオンほういせん、: siege of Eion)は、デロス同盟アケメネス朝ペルシアとの間で戦われた包囲戦である。

エイオンペルシア戦争の余波で紀元前476年にペルシアに占領されていたが、翌年の紀元前475年アテナイ将軍キモン率いるデロス同盟軍によって包囲された。この時、エイオンを守る太守のボゲスは講和して生きながらえることもできたのに最後まで踏みとどまって戦った。そして、城内の食料が尽きると彼は薪の山を築いて妻子や使用人を殺して火に投じ、敵に渡さないために財宝をストリュモン川に投げ捨てた後、自らも火の中に飛び込んだ。この行為によって、ボゲスはペルシア王クセルクセス1世によって賞賛され、王は本国の彼の子供たちを厚く遇したという[1]。その後、エイオンは落城し、住民は奴隷にされた[2]パウサニアスによれば、エイオンは水攻めによって落とされた[3]

[編集]

  1. ^ ヘロドトス, VII. 107
  2. ^ トゥキュディデス, I. 98
  3. ^ パウサニアス, VIII. 8. 9

参考文献[編集]