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「ペロプス (スパルタ王)」の版間の差分

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== 参考文献および参考URL ==
== 参考文献および参考URL ==
*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年
*[[プルタルコス]]著、[[鶴見祐輔]]訳、『[[対比列伝|プルターク英雄伝]] III』、[[改造社]]、1934年
*[[プルタルコス]]著、[[鶴見祐輔]]訳、『[[対比列伝|プルターク英雄伝]] III』、[[改造社]]、1934年
*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/home.html ディオドロスの『歴史叢書』の英訳]
*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/home.html ディオドロスの『歴史叢書』の英訳]

2021年11月15日 (月) 10:43時点における版

ペロプス(希:Πέλοψ、ラテン文字転記:Pelops、在位:紀元前210年-紀元前206年)はスパルタ末期のである。

ペロプスは先王リュクルゴスの子であり、紀元前210年の父の死に伴って王位に就いた。しかし、ペロプスの治世は長くは続かなかった。紀元前207年後見人マカニダスアカイア同盟との戦い(マンティネイアの戦い)で敗死する[1][2]と、マカニダスの地位にはナビスが就き、国政を縦にした。ナビスは成長したペロプスが自身に取って代わることを恐れ、彼を政権奪取の翌年に処刑した[3]

  1. ^ パウサニアス, VIII. 50. 2
  2. ^ プルタルコス, 「フィロポイメン」, 10
  3. ^ ディオドロス, XXVII. 1

参考文献および参考URL


先代
リュクルゴス
スパルタ王
紀元前210年-紀元前206年
次代
ナビス