「プリュタニス」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m ギリシア語の表記 |
|||
1行目: | 1行目: | ||
'''プリュタニス'''(希:{{lang|el|Πρύτανις}}、ラテン文字転記:Prytanis、在位:[[紀元前860年]]-[[紀元前830年]])はエウリュポン朝の[[スパルタ王]]である。 |
'''プリュタニス'''(希:{{lang|el|Πρύτανις}}、ラテン文字転記:Prytanis、在位:[[紀元前860年]]-[[紀元前830年]])はエウリュポン朝の[[スパルタ王]]である。 |
||
[[プルタルコス]]によれば、詩人の[[シモニデス]]はプリュタニスは[[エウノモス]]と立法者[[リュクルゴス]]の父であるとしているようであるが<ref>プルタルコス, 「リュクルゴス」, 1</ref>、その一方で[[ヘロドトス]]はプリュタニスは[[エウリュポン]]の子で[[ポリュデクテス]]の父であるとしており<ref>ヘロドトス, VIII. 131</ref>、また[[パウサニアス]]はプリュタニスはエウリュポンの子で、[[エウノモス]]の父であるとしている<ref>パウサニアス, III. 3. 2</ref>。このようにプリュタニスの親子関係は錯綜している。 |
[[プルタルコス]]によれば、詩人の[[シモニデス]]はプリュタニスは[[エウノモス]]と立法者[[リュクルゴス]]の父であるとしているようであるが<ref>プルタルコス, 「リュクルゴス」, 1</ref>、その一方で[[ヘロドトス]]はプリュタニスは[[エウリュポン]]の子で[[ポリュデクテス]]の父であるとしており<ref>ヘロドトス, VIII. 131</ref>、また[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]はプリュタニスはエウリュポンの子で、[[エウノモス]]の父であるとしている<ref>パウサニアス, III. 3. 2</ref>。このようにプリュタニスの親子関係は錯綜している。 |
||
プリュタニスの治世の下で[[スパルタ]]は[[キュヌリア]]と戦い、また[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]との関係が悪化した<ref>ibid, III. 7. 2</ref>。 |
プリュタニスの治世の下で[[スパルタ]]は[[キュヌリア]]と戦い、また[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]との関係が悪化した<ref>ibid, III. 7. 2</ref>。 |
||
10行目: | 10行目: | ||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
||
*[[プルタルコス]]著、村川堅太郎他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』「リュクルゴス」、[[筑摩書房]]、1966年 |
*[[プルタルコス]]著、村川堅太郎他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』「リュクルゴス」、[[筑摩書房]]、1966年 |
||
*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]] 下』、[[岩波書店]]、1972年 |
*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]] 下』、[[岩波書店]]、1972年 |
2021年11月15日 (月) 10:45時点における版
プリュタニス(希:Πρύτανις、ラテン文字転記:Prytanis、在位:紀元前860年-紀元前830年)はエウリュポン朝のスパルタ王である。
プルタルコスによれば、詩人のシモニデスはプリュタニスはエウノモスと立法者リュクルゴスの父であるとしているようであるが[1]、その一方でヘロドトスはプリュタニスはエウリュポンの子でポリュデクテスの父であるとしており[2]、またパウサニアスはプリュタニスはエウリュポンの子で、エウノモスの父であるとしている[3]。このようにプリュタニスの親子関係は錯綜している。
プリュタニスの治世の下でスパルタはキュヌリアと戦い、またアルゴスとの関係が悪化した[4]。
註
参考文献
- パウサニアス著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、龍渓書舎、1991年
- プルタルコス著、村川堅太郎他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』「リュクルゴス」、筑摩書房、1966年
- ヘロドトス著、松平千秋訳、『歴史 下』、岩波書店、1972年
|
|
|