「メガロポリスのアリストデモス」の版間の差分
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'''アリストデモス'''(希:Ἀριστόδημος アリストデーモス、ラテン文字転記:Aristodemos、[[紀元前3世紀]])は[[メガロポリス]]の[[僭主]]である。 |
'''アリストデモス'''(希:Ἀριστόδημος アリストデーモス、ラテン文字転記:Aristodemos、[[紀元前3世紀]])は[[メガロポリス]]の[[僭主]]である。 |
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アリストデモスは[[ピガリア]]の生まれで、[[アルテュラス]]の子である。アリストデモスは僭主であるのに「親切者」とあだ名された。アリストデモスの治世において、[[スパルタ王]][[アクロタトス (スパルタ王)|アクロタトス]]([[パウサニアス]]はこのアクロタトスを[[クレオメネス2世]]の子の[[アクロタトス (クレオメネス2世の子)|アクロタトス]]としているが、おそらくこれは間違いで年代的には[[アレウス1世]]の子の方と考えるほうが妥当である)がメガロポリス領に侵攻してきた。双方多数の戦死者を出したものの、戦いはアリストデモスの勝利に終わり、アクロタトスは敗死した<ref>パウサニアス, 8. 4. 2</ref>。アリストデモスは[[エクデモス]]と[[デモファネス]]という二人の愛国的メガロポリス市民―後に[[アカイア同盟]]の指導者となる[[メガロポリスのフィロポイメン|フィロポイメン]]の友人―によって殺された<ref>プルタルコス, 「フィロポイメン」, 1</ref>。 |
アリストデモスは[[ピガリア]]の生まれで、[[アルテュラス]]の子である。アリストデモスは僭主であるのに「親切者」とあだ名された。アリストデモスの治世において、[[スパルタ王]][[アクロタトス (スパルタ王)|アクロタトス]]([[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]はこのアクロタトスを[[クレオメネス2世]]の子の[[アクロタトス (クレオメネス2世の子)|アクロタトス]]としているが、おそらくこれは間違いで年代的には[[アレウス1世]]の子の方と考えるほうが妥当である)がメガロポリス領に侵攻してきた。双方多数の戦死者を出したものの、戦いはアリストデモスの勝利に終わり、アクロタトスは敗死した<ref>パウサニアス, 8. 4. 2</ref>。アリストデモスは[[エクデモス]]と[[デモファネス]]という二人の愛国的メガロポリス市民―後に[[アカイア同盟]]の指導者となる[[メガロポリスのフィロポイメン|フィロポイメン]]の友人―によって殺された<ref>プルタルコス, 「フィロポイメン」, 1</ref>。 |
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== 註 == |
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== 参考文献および参考URL == |
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*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
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*[[プルタルコス]]著、[[鶴見祐輔]]訳、『[[対比列伝|プルターク英雄伝]] III』、[[改造社]]、1934年 |
*[[プルタルコス]]著、[[鶴見祐輔]]訳、『[[対比列伝|プルターク英雄伝]] III』、[[改造社]]、1934年 |
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*William Smith, [http://www.ancientlibrary.com/smith-bio/index.html Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology] |
*William Smith, [http://www.ancientlibrary.com/smith-bio/index.html Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology] |
2021年11月15日 (月) 10:51時点における版
アリストデモス(希:Ἀριστόδημος アリストデーモス、ラテン文字転記:Aristodemos、紀元前3世紀)はメガロポリスの僭主である。
アリストデモスはピガリアの生まれで、アルテュラスの子である。アリストデモスは僭主であるのに「親切者」とあだ名された。アリストデモスの治世において、スパルタ王アクロタトス(パウサニアスはこのアクロタトスをクレオメネス2世の子のアクロタトスとしているが、おそらくこれは間違いで年代的にはアレウス1世の子の方と考えるほうが妥当である)がメガロポリス領に侵攻してきた。双方多数の戦死者を出したものの、戦いはアリストデモスの勝利に終わり、アクロタトスは敗死した[1]。アリストデモスはエクデモスとデモファネスという二人の愛国的メガロポリス市民―後にアカイア同盟の指導者となるフィロポイメンの友人―によって殺された[2]。