「アリュバス (エピロス王)」の版間の差分
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*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/home.html ディオドロスの『歴史叢書』の英訳] |
*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/home.html ディオドロスの『歴史叢書』の英訳] |
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*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
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*[http://www.gutenberg.org/ebooks/14114#LIFE_OF_PYRRHUS プルタルコスの「ピュロス伝」の英訳]([[プロジェクト・グーテンベルク]]内) |
*[http://www.gutenberg.org/ebooks/14114#LIFE_OF_PYRRHUS プルタルコスの「ピュロス伝」の英訳]([[プロジェクト・グーテンベルク]]内) |
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*[[ポンペイウス・トログス]]著、[[ユニアヌス・ユスティヌス]]抄録、合阪学訳、『地中海世界史』、京都大学学術出版会、1998年 |
*[[ポンペイウス・トログス]]著、[[ユニアヌス・ユスティヌス]]抄録、合阪学訳、『地中海世界史』、京都大学学術出版会、1998年 |
2021年11月15日 (月) 10:57時点における版
アリュバス Ἀρύββας | |
---|---|
エピロス王 | |
在位 | 紀元前370年 - 紀元前342年 |
死去 |
紀元前342年 |
配偶者 | トロイアス(ネオプトレモス1世の娘) |
子女 |
アルケタス2世 アイアキデス |
王朝 | アイアコス朝 |
父親 | アルケタス1世 |
アリュバス(もしくは表記揺れでアリュンバス、アリバス、希:Ἀρύββας / Ἀρύμβας/ Ἀρρύβας / Ἀρριβας、ラテン文字転記:Arybbas / Arymbas / Arrybas / Arribas、在位:紀元前370年 - 紀元前342年)は、紀元前4世紀中頃のエピロス、モロシア人の王である。
アリュバスは先代の王アルケタス1世の子で、ネオプトレモス1世の兄弟である[1]。アリュバスはネオプトレモスの娘のトロイアスと結婚し、アルケタス2世とアイアキデスの2子を儲けた[2][3][4]。アルケタス2世が乱暴で手に負えない性格だったために、アリュバスは息子アルケタスを追放した[5][6]。父アルケタス1世の死後、アリュバスは兄弟のネオプトレモスと王位を争ったが、後に和解して共同統治に同意した[7]。
紀元前342年、アリュバスはネオプトレモスの娘のオリュンピアスと結婚したマケドニア王ピリッポス2世によって王位を追われ、エピロス王にはネオプトレモス1世の子で、ピリッポスの許で教育を受けたアレクサンドロス1世がついた[8]。アリュバスのその後については不明である。
註
参考文献
- ディオドロスの『歴史叢書』の英訳
- パウサニアス著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、龍渓書舎、1991年
- プルタルコスの「ピュロス伝」の英訳(プロジェクト・グーテンベルク内)
- ポンペイウス・トログス著、ユニアヌス・ユスティヌス抄録、合阪学訳、『地中海世界史』、京都大学学術出版会、1998年
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