「フォキスのファウロス」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
|||
3行目: | 3行目: | ||
[[紀元前353年]]に[[マケドニア王]][[ピリッポス2世 (マケドニア王)|ピリッポス2世]]が第三次神聖戦争に介入し、フォキスの同盟者で[[フェライ]]の[[僭主]]の[[リュコフロン]]を攻撃した時、その時フォキスの実権を握っていた兄[[フォキスのオノマルコス|オノマルコス]]によってファウロスは7000人の軍と共に送られたが、マケドニア・[[テッサリア]]連合軍に敗れた<ref>ディオドロス, XVI. 35</ref>。さらに同年の[[クロコスの戦い]]でオノマルコスがピリッポスに敗れて死ぬと、ファウロスは兄から軍の指揮権を継承した<ref>ディオドロス, XVI. 36</ref>。 |
[[紀元前353年]]に[[マケドニア王]][[ピリッポス2世 (マケドニア王)|ピリッポス2世]]が第三次神聖戦争に介入し、フォキスの同盟者で[[フェライ]]の[[僭主]]の[[リュコフロン]]を攻撃した時、その時フォキスの実権を握っていた兄[[フォキスのオノマルコス|オノマルコス]]によってファウロスは7000人の軍と共に送られたが、マケドニア・[[テッサリア]]連合軍に敗れた<ref>ディオドロス, XVI. 35</ref>。さらに同年の[[クロコスの戦い]]でオノマルコスがピリッポスに敗れて死ぬと、ファウロスは兄から軍の指揮権を継承した<ref>ディオドロス, XVI. 36</ref>。 |
||
紀元前352年に[[全権将軍]]に選ばれたファウロスは[[デルフォイ]]の宝物を貨幣に鋳造して[[傭兵]]を雇い、フォキス軍の再建と状況の打開を目論んだ。彼は同盟諸国に金をばら撒いて[[スパルタ]]から1000人、[[アカイア]]から2000人、[[アテナイ]]から5400人の援軍が来た。これを受けて[[ボイオティア]]に侵攻したファウロスは[[オルコメノス]]、[[コロネイア]]、そして[[ケフィソス川]]で連敗した<ref>ディオドロス, XVI. 37, 56</ref>。その後、彼は[[ロクリス・エピクネミディオイ]]へと遠征して一時はその大部分を制圧したものの敗退した。その後、彼は[[肺結核]]にかかって死んだ<ref>ディオドロス, XVI. 38, 61</ref><ref>パウサニアス, X. 2. 6</ref>。[[パウサニアス]]によれば、ファウロスは死ぬ前に彼の破滅をほのめかす不吉な夢を見たという<ref>パウサニアス, X. 2. 6</ref>。ファウロスの地位はオノマルコスの子でファウロスには甥にあたる[[フォキスのファライコス|ファライコス]]が継承した<ref>ディオドロス, XVI. 38</ref>。 |
紀元前352年に[[全権将軍]]に選ばれたファウロスは[[デルフォイ]]の宝物を貨幣に鋳造して[[傭兵]]を雇い、フォキス軍の再建と状況の打開を目論んだ。彼は同盟諸国に金をばら撒いて[[スパルタ]]から1000人、[[アカイア]]から2000人、[[アテナイ]]から5400人の援軍が来た。これを受けて[[ボイオティア]]に侵攻したファウロスは[[オルコメノス]]、[[コロネイア]]、そして[[ケフィソス川]]で連敗した<ref>ディオドロス, XVI. 37, 56</ref>。その後、彼は[[ロクリス・エピクネミディオイ]]へと遠征して一時はその大部分を制圧したものの敗退した。その後、彼は[[肺結核]]にかかって死んだ<ref>ディオドロス, XVI. 38, 61</ref><ref>パウサニアス, X. 2. 6</ref>。[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]によれば、ファウロスは死ぬ前に彼の破滅をほのめかす不吉な夢を見たという<ref>パウサニアス, X. 2. 6</ref>。ファウロスの地位はオノマルコスの子でファウロスには甥にあたる[[フォキスのファライコス|ファライコス]]が継承した<ref>ディオドロス, XVI. 38</ref>。 |
||
== 註 == |
== 註 == |
||
9行目: | 9行目: | ||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
||
*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/home.html ディオドロスの『歴史叢書』の英訳] |
*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/home.html ディオドロスの『歴史叢書』の英訳] |
||
2021年11月15日 (月) 10:59時点における版
ファウロス(希:Φάϋλλος、ラテン文字転記:Phayllos、?-紀元前352年)は、第三次神聖戦争期のフォキスの将軍である。
紀元前353年にマケドニア王ピリッポス2世が第三次神聖戦争に介入し、フォキスの同盟者でフェライの僭主のリュコフロンを攻撃した時、その時フォキスの実権を握っていた兄オノマルコスによってファウロスは7000人の軍と共に送られたが、マケドニア・テッサリア連合軍に敗れた[1]。さらに同年のクロコスの戦いでオノマルコスがピリッポスに敗れて死ぬと、ファウロスは兄から軍の指揮権を継承した[2]。
紀元前352年に全権将軍に選ばれたファウロスはデルフォイの宝物を貨幣に鋳造して傭兵を雇い、フォキス軍の再建と状況の打開を目論んだ。彼は同盟諸国に金をばら撒いてスパルタから1000人、アカイアから2000人、アテナイから5400人の援軍が来た。これを受けてボイオティアに侵攻したファウロスはオルコメノス、コロネイア、そしてケフィソス川で連敗した[3]。その後、彼はロクリス・エピクネミディオイへと遠征して一時はその大部分を制圧したものの敗退した。その後、彼は肺結核にかかって死んだ[4][5]。パウサニアスによれば、ファウロスは死ぬ前に彼の破滅をほのめかす不吉な夢を見たという[6]。ファウロスの地位はオノマルコスの子でファウロスには甥にあたるファライコスが継承した[7]。
註
参考文献
- パウサニアス著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、龍渓書舎、1991年
- ディオドロスの『歴史叢書』の英訳