「レスケス」の版間の差分
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一般的に受け入れられている伝統的な説によるとレスケスは[[レスボス島]]のピュラ(Pyrrha)の出身であり、紀元前660年頃に活躍した(他の人は約50年前に彼を置いている)。[[パウサニアス]]によればレスケスはアイスキュリノスの子<ref name="PA10255">パウサニアス、10巻25・5。</ref>。対してプロクロスは彼を「[[ミュティレネ]]のレスケス」と呼んでいるので<ref name="便覧">プロクロス『文学便覧』。</ref>、あるいはミュティレネの出身かもしれない。全4巻と伝えられる『小イリアス』は[[トロイア戦争]]を描いた[[叙事詩環]]の1つであり、[[アキレウス]]の武具をめぐる[[テラモン]]の子の[[大アイアス|アイアス]]と[[オデュッセウス]]の争いから始まり、プロクロスの梗概によると[[エペイオス]]が建造した[[トロイアの木馬|木馬]]をトロイア人が城門の一部を壊して、市内に運び入れて勝利を祝うところまで<ref name="便覧" />、あるいは[[アリストテレス]]によるとトロイアの陥落まで歌っていた<ref>アリストテレス『詩学』23。</ref>。またレスケスは[[ゼウス]]と[[ガニュメデス]]の関係に初めて言及し、[[ホメロス]]に反してガニュメデスは肉体の美しさによってさらわれたとした。ただし、古代の権威の中には『小イリアス』を{{仮リンク|スパルタのキナイトン|en|Cinaethon of Sparta}}、エリュトライのディオドロス、{{仮リンク|ポカイアのテストリデス|en|Thestorides of Phocaea}}、さらにはホメロスに帰する者までいる。パウサニアスは[[ポリュグノトス]]が[[デルポイ]]の会堂に描いたトロイア戦争の[[壁画]]を解説する際に、レスケスの作品について繰り返し言及している<ref name="PA10255" /><ref>パウサニアス、10巻25・6。</ref><ref name="PA10258">パウサニアス、10巻25・8。</ref><ref>パウサニアス、10巻25・9。</ref><ref>パウサニアス、10巻26・1。</ref><ref>パウサニアス、10巻26・4。</ref><ref>パウサニアス、10巻26・8。</ref><ref>パウサニアス、10巻27・1。</ref><ref>パウサニアス、10巻27・2。</ref>。その中でパウサニアスは[[テセウス]]の母[[アイトラ]]について歌った作品があったことについても言及している<ref name="PA10258" />。 |
一般的に受け入れられている伝統的な説によるとレスケスは[[レスボス島]]のピュラ(Pyrrha)の出身であり、紀元前660年頃に活躍した(他の人は約50年前に彼を置いている)。[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]によればレスケスはアイスキュリノスの子<ref name="PA10255">パウサニアス、10巻25・5。</ref>。対してプロクロスは彼を「[[ミュティレネ]]のレスケス」と呼んでいるので<ref name="便覧">プロクロス『文学便覧』。</ref>、あるいはミュティレネの出身かもしれない。全4巻と伝えられる『小イリアス』は[[トロイア戦争]]を描いた[[叙事詩環]]の1つであり、[[アキレウス]]の武具をめぐる[[テラモン]]の子の[[大アイアス|アイアス]]と[[オデュッセウス]]の争いから始まり、プロクロスの梗概によると[[エペイオス]]が建造した[[トロイアの木馬|木馬]]をトロイア人が城門の一部を壊して、市内に運び入れて勝利を祝うところまで<ref name="便覧" />、あるいは[[アリストテレス]]によるとトロイアの陥落まで歌っていた<ref>アリストテレス『詩学』23。</ref>。またレスケスは[[ゼウス]]と[[ガニュメデス]]の関係に初めて言及し、[[ホメロス]]に反してガニュメデスは肉体の美しさによってさらわれたとした。ただし、古代の権威の中には『小イリアス』を{{仮リンク|スパルタのキナイトン|en|Cinaethon of Sparta}}、エリュトライのディオドロス、{{仮リンク|ポカイアのテストリデス|en|Thestorides of Phocaea}}、さらにはホメロスに帰する者までいる。パウサニアスは[[ポリュグノトス]]が[[デルポイ]]の会堂に描いたトロイア戦争の[[壁画]]を解説する際に、レスケスの作品について繰り返し言及している<ref name="PA10255" /><ref>パウサニアス、10巻25・6。</ref><ref name="PA10258">パウサニアス、10巻25・8。</ref><ref>パウサニアス、10巻25・9。</ref><ref>パウサニアス、10巻26・1。</ref><ref>パウサニアス、10巻26・4。</ref><ref>パウサニアス、10巻26・8。</ref><ref>パウサニアス、10巻27・1。</ref><ref>パウサニアス、10巻27・2。</ref>。その中でパウサニアスは[[テセウス]]の母[[アイトラ]]について歌った作品があったことについても言及している<ref name="PA10258" />。 |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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* 『[[アリストテレース]] [[詩学 (アリストテレス)|詩学]]/[[ホラーティウス]] [[詩論]]』 [[松本仁助]]・[[岡道男]]訳、[[岩波文庫]](1997年) |
* 『[[アリストテレース]] [[詩学 (アリストテレス)|詩学]]/[[ホラーティウス]] [[詩論]]』 [[松本仁助]]・[[岡道男]]訳、[[岩波文庫]](1997年) |
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2021年11月15日 (月) 11:09時点における版
レスケス(古希: Λέσχης, Leschēs)あるいはレスケオス(古希: Λέσχεως, Lescheōs)は、半伝説的な初期ギリシアの叙事詩人である。レスケース、レスケオースとも表記される。現存しない叙事詩『小イリアス』の作者として知られる。
概要
一般的に受け入れられている伝統的な説によるとレスケスはレスボス島のピュラ(Pyrrha)の出身であり、紀元前660年頃に活躍した(他の人は約50年前に彼を置いている)。パウサニアスによればレスケスはアイスキュリノスの子[1]。対してプロクロスは彼を「ミュティレネのレスケス」と呼んでいるので[2]、あるいはミュティレネの出身かもしれない。全4巻と伝えられる『小イリアス』はトロイア戦争を描いた叙事詩環の1つであり、アキレウスの武具をめぐるテラモンの子のアイアスとオデュッセウスの争いから始まり、プロクロスの梗概によるとエペイオスが建造した木馬をトロイア人が城門の一部を壊して、市内に運び入れて勝利を祝うところまで[2]、あるいはアリストテレスによるとトロイアの陥落まで歌っていた[3]。またレスケスはゼウスとガニュメデスの関係に初めて言及し、ホメロスに反してガニュメデスは肉体の美しさによってさらわれたとした。ただし、古代の権威の中には『小イリアス』をスパルタのキナイトン、エリュトライのディオドロス、ポカイアのテストリデス、さらにはホメロスに帰する者までいる。パウサニアスはポリュグノトスがデルポイの会堂に描いたトロイア戦争の壁画を解説する際に、レスケスの作品について繰り返し言及している[1][4][5][6][7][8][9][10][11]。その中でパウサニアスはテセウスの母アイトラについて歌った作品があったことについても言及している[5]。