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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)


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2021年11月15日 (月) 11:14時点における最新版

ケストリーノス古希: Κεστρῖνος, Kestrīnos)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してケストリノスとも表記される。トロイアの王プリアモスの子ヘレノスアンドロマケーの子で、モロッソス、ピエロス、ペルガモスと異父兄弟[1]

神話[編集]

トロイア陥落後、ネオプトレモスはアンドロマケーとヘレノスを伴ってエーペイロス地方に移住し、ヘルミオネーと結婚した。しかしヘルミオネーとの間に子供はなく、アンドロマケーとの間にモロッソス、ピエロス、ペルガモスの3子をもうけた。その後、ネオプトレモスがオレステースに殺されると、アンドロマケーはヘレノスと結婚し、ケストローノスを生んだ[1]。ヘレノスは死に際してモロッソスに王位を与えたため、ケストリーノスは一部のエーペイロス人を率いてテュアミス川英語版を渡った北方の地に移住し領地として得た[2]。その地はケストリーノスにちなんでケストリネーと呼ばれた[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b パウサニアース、1巻11・1。
  2. ^ パウサニアース、1巻11・2。
  3. ^ パウサニアース、2巻23・6。

参考文献[編集]