コンテンツにスキップ

「ハインツ・フリードリヒ・ハルティヒ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m Botによる: {{Normdaten}}を追加
Cewbot (会話 | 投稿記録)
 
3行目: 3行目:
'''ハインツ・フリードリヒ・ハルティヒ'''(Heinz Friedrich Hartig、[[1907年]][[9月10日]] - [[1969年]][[9月16日]])は、[[ドイツ]]の[[作曲家]]・[[チェンバロ]]奏者。
'''ハインツ・フリードリヒ・ハルティヒ'''(Heinz Friedrich Hartig、[[1907年]][[9月10日]] - [[1969年]][[9月16日]])は、[[ドイツ]]の[[作曲家]]・[[チェンバロ]]奏者。


[[カッセル]]出身。[[1948年]]よりベルリン音楽大学(現在の[[ベルリン芸術大学]])で[[音楽理論]]と聴覚訓練の指導をするようになり、7年後に教授となった。教授としてサウンドエンジニアリングの研究を行い、作曲家[[ボリス・ブラッハー]]の知遇を得て、[[バックグラウンドミュージック]]の共同研究を行った。
[[カッセル]]出身。[[1948年]]よりベルリン音楽大学(現在の[[ベルリン芸術大学]])で[[音楽理論]]と聴覚訓練の指導をするようになり、7年後に教授となった。教授としてサウンドエンジニアリングの研究を行い、作曲家[[ボリス・ブラッハー]]の知遇を得て、[[背景音楽]]の共同研究を行った。


作品には[[協奏曲]]、[[ソナタ]]、[[歌曲]]、[[オラトリオ]]、[[合唱|合唱曲]]がある。
作品には[[協奏曲]]、[[ソナタ]]、[[歌曲]]、[[オラトリオ]]、[[合唱|合唱曲]]がある。

2021年11月23日 (火) 09:52時点における最新版

ハインツ・フリードリヒ・ハルティヒ(Heinz Friedrich Hartig、1907年9月10日 - 1969年9月16日)は、ドイツ作曲家チェンバロ奏者。

カッセル出身。1948年よりベルリン音楽大学(現在のベルリン芸術大学)で音楽理論と聴覚訓練の指導をするようになり、7年後に教授となった。教授としてサウンドエンジニアリングの研究を行い、作曲家ボリス・ブラッハーの知遇を得て、背景音楽の共同研究を行った。

作品には協奏曲ソナタ歌曲オラトリオ合唱曲がある。

チェンバロ奏者として多くの録音を残しているが、ソリストとしてよりは伴奏者として知られている。

教え子にカルロ・ドメニコーニなどがいる。

作品[編集]

  • クラリネットとピアノのためのソナタ
  • ヴァイオリン協奏曲
  • ピアノ協奏曲
  • バリトンとオーケストラのための歌曲
  • オラトリオ『何処へ』