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'''于 琛澂'''(う ちんちょう)は、[[中華民国]]・[[満州国]]の軍人。[[北京政府]][[奉天派]]の軍人で、後に満州国に転じた。[[字]]は'''険洲'''、'''険舟'''。祖籍は[[山東省]][[蓬萊区 (煙台市)|蓬莱県]]。'''于深澂'''(う しんちょう)と表記する例もある<ref>劉主編(1995)。</ref>。 |
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== 事績 == |
== 事績 == |
2021年12月14日 (火) 08:23時点における版
于琛澂 | |
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プロフィール | |
出生: | 1887年(清光緒13年) |
死去: |
1944年(康徳11年) 満州国 |
出身地: | 清吉林将軍管轄区阿勒楚喀副都統管轄区双城堡[1] |
職業: | 政治家・軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 于琛澂 |
簡体字: | 于琛澂 |
拼音: | Yú Chēnchéng |
ラテン字: | Yü Ch'en-ch'eng |
和名表記: | う ちんちょう |
発音転記: | ユー・チェンチョン |
于 琛澂(う ちんちょう)は、中華民国・満州国の軍人。北京政府奉天派の軍人で、後に満州国に転じた。字は険洲、険舟。祖籍は山東省蓬莱県。于深澂(う しんちょう)と表記する例もある[2]。
事績
奉天派での活動
北洋陸軍速成学堂第3期騎兵科を卒業し、1908年(光緒34年)冬から、黒竜江省で軍務に就いた。1917年(民国6年)に団長まで昇進し[3]、1918年(民国7年)6月15日に陸軍騎兵上校銜を[4]、1920年(民国9年)3月23日に陸軍騎兵上校位を授与されている[5]。同年7月7日、病気により黒竜江省陸軍騎兵第1旅第2団団長を辞職したが[6]、11月には吉林省へ転勤した[3]。
1922年(民国11年)6月、于琛澂は、暫編吉林陸軍第1旅旅長に昇進した。翌月、第3混成旅旅長となり、翌年1月、東三省陸軍歩兵第10旅旅長兼吉林剿匪司令に任ぜられた。1925年(民国14年)、東北陸軍第16師師長に昇進し、1927年(民国16年)、呉俊陞率いる安国軍第6方面軍に属している。翌年6月に奉天派が敗北し、張作霖爆殺事件が起きると、張学良は奉天派の軍縮・再編に取り掛かった。しかし于琛澂は、その際に軍職から罷免されてしまった[3]。
満州国での活動
1932年(民国21年)1月、于琛澂は満州国建国に参加し、吉林剿匪司令に任ぜられた。翌月、ハルビンを攻め落としている。3月に満州国が正式に成立すると、東省鉄路護路軍副司令に任命された。翌年に総司令に昇格し、依蘭地区警備司令も兼ねた。1934年(康徳元年)7月、第4軍管区司令官兼北満鉄路護路軍総司令となっている。翌年、第1軍管区司令官に異動し、陸軍上将銜を授与された。1937年(康徳4年)3月、奉天地区警備司令部司令官を兼任し[7]、7月1日には三江省省長も兼ねた[8]。
1939年(康徳6年)4月、于琛澂は治安部大臣に任命され、陸軍上将に昇進した[9]。1942年(康徳9年)6月10日、満洲国特使として蒙古自治邦政府を訪問し、主席のデムチュクドンロブ(徳王)と会見した[10]。同年9月28日、満洲国の大規模な人事異動に伴い、治安部大臣を辞任[11]、翌29日に張海鵬・于芷山と共に軍事諮議官に任命された[12]。この異動については、于琛澂が過度の飲酒により関東軍高官の前で失態を犯したことが原因との指摘もある[9]。1944年(康徳11年)、病没。享年58。
脚注
- ^ 現在は黒竜江省に属する。
- ^ 劉主編(1995)。
- ^ a b c 徐主編(2007)、31頁
- ^ 『政府公報』第860号、1918年(民国7年)6月16日。
- ^ 『政府公報』第1476号、1920年(民国9年)3月24日。
- ^ 『政府公報』第1579号、1920年(民国9年)7月8日。
- ^ 徐主編(2007)、31-32頁
- ^ 「満洲の人事異動 行革に伴ひ七月発令」『東京朝日新聞』昭和12年(1937年)6月12日、2面。
- ^ a b 徐主編(2007)、32頁
- ^ 「徳王に会見 于満洲国特使」『朝日新聞』昭和17年(1942年)6月11日、2面。
- ^ 「共栄圏の重責完遂へ 満州国大臣全面更迭」『朝日新聞』昭和17年(1942年)9月29日夕刊、1面。
- ^ 「駐日満洲国大使 王允卿氏任命さる」『朝日新聞』昭和17年(1942年)9月30日夕刊、1面。
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
満州国
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