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二人は[[有馬温泉]]で幸せに暮らし子供も生まれるが、通麿が病死してしまう。
二人は[[有馬温泉]]で幸せに暮らし子供も生まれるが、通麿が病死してしまう。


悲しみに暮れた浅茅は、致し方なく両親の許へ帰るため、赤子を胸に有馬街道を降ったが、[[蓬峡]]あたりで赤子までもが急死。
悲しみに暮れた浅茅は、致し方なく両親の許へ帰るため、赤子を胸に有馬街道を降ったが、[[蓬峡]]あたりで赤子までもが急死。
全ての希望を失った浅茅はこの山に登り、生者必滅の曲を奏でながら死んでいった。
全ての希望を失った浅茅はこの山に登り、生者必滅の曲を奏でながら死んでいった。



2021年12月14日 (火) 08:36時点における版

琴鳴山
標高 376 m
所在地 兵庫県西宮市塩瀬町生瀬
位置 北緯34度49分2秒 東経135度18分26秒 / 北緯34.81722度 東経135.30722度 / 34.81722; 135.30722
山系 六甲山地
プロジェクト 山
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琴鳴山(ことなきやま)は、兵庫県西宮市にある標高376mの六甲山地の山の一つだが、有馬街道が通る大多田川により東縦走路と分断されている。山頂に至るまで採石による破壊が進み、急激に変貌している。

名称の由来と伝説

平安時代京都に、浅茅という琴の名手がおり、左大臣の子息の通麿という若者に見初められるが、身分の違いで仲は許されず、駆け落ちする。 二人は有馬温泉で幸せに暮らし子供も生まれるが、通麿が病死してしまう。

悲しみに暮れた浅茅は、致し方なく両親の許へ帰るため、赤子を胸に有馬街道を降ったが、蓬萊峡あたりで赤子までもが急死。 全ての希望を失った浅茅はこの山に登り、生者必滅の曲を奏でながら死んでいった。

それから、夜になると山からは悲しげな琴の音が、谷からは赤子の泣き声が聞こえるようになり、人々は山を「琴鳴山」、谷を「赤子谷」と呼ぶようになったという。

関連項目

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