「営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故」の版間の差分
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この付近ではこれより前の[[1965年]]と[[1992年]]の2回、事故があった。前者はこの事故とほぼ同じ箇所で脱線した(台車の異状によるもの)。 |
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後者は、1992年6月16日午前8時50分頃、中目黒駅構内の[[引き上げ線]]ポイント上で、出庫中の[[営団3000系電車|営団3000系]]の後ろから3輌目付近の側方に、入庫中の[[東武2000系電車|東武2000系]]が突っ込む形となったもの。引き上げ線での衝突事故のため乗客への被害は無かった。直接的な原因は東武2000系側に乗務の運転士の第2 |
後者は、1992年6月16日午前8時50分頃、中目黒駅構内の[[引き上げ線]]ポイント上で、出庫中の[[営団3000系電車|営団3000系]]の後ろから3輌目付近の側方に、入庫中の[[東武2000系電車|東武2000系]]が突っ込む形となったもの。引き上げ線での衝突事故のため乗客への被害は無かった。直接的な原因は東武2000系側に乗務の運転士の第2入替信号見落としであるが、その背景として「折り返しの余裕不足・ダイヤの混乱」と、その対策として実施された「信号システムの変更」が指摘されている。 |
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中目黒駅での午前8時台の折り返しは、 |
中目黒駅での午前8時台の折り返しは、 |
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*折り返し列車本数が多い |
*折り返し列車本数が多い |
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*東武・日比谷線内のダイヤの乱れの影響で、折り返しの余裕時間が短い |
*東武・日比谷線内のダイヤの乱れの影響で、折り返しの余裕時間が短い |
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*東横線との直通列車も絡むため運行が複雑になる |
*東横線との直通列車も絡むため運行が複雑になる |
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等の理由により混乱することが多く、ダイヤ回復のボトルネックとなっていた。 |
等の理由により混乱することが多く、ダイヤ回復のボトルネックとなっていた。 |
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このため新信号システムが導入され、入庫列車の待機場所が、本線上の第1入替信号から、引き上げ線付近の第2入替信号に変更になった。より引き上げ線に近い位置での待機とすることで、折り返し時間の短縮を図る意図である。 |
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しかし、この変更は結果として |
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*出庫中の列車があっても、入庫する列車は引き上げ線付近(第2入替信号)まで入線する。同一線上の相対する双方の列車が進行する。 |
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というものである。この過度なまでの折り返し効率重視が事故の背景にあったと指摘されている。 |
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という危険状態を生むこととなった。更に、乗客のない引上線進入には(出発以外)自動停止機構を設置しておらず運転士の注意力のみに任されているため(JRなど他の事業者でもほぼ同様)、ATCも衝突を防ぐことができない状態になった。すなわち、同一線上の相対する双方の列車が、運転士の注意力のみで10mの距離まで近づくという運用が発生した。 |
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以上のように、安全システムによる防御と余裕距離のある第1入替信号での待機から、無防備の第2入替信号まで進出する様に変更になった、折り返し効率重視の思想の新信号システム採用が |
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事故発生の背景にあったと指摘されている。 |
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==関連項目== |
==関連項目== |
2006年11月8日 (水) 17:01時点における版
営団日比谷線脱線衝突事故(えいだんひびやせんだっせんしょうとつじこ)では、2000年(平成12年)3月8日の午前9時1分頃に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現東京地下鉄)日比谷線において発生した、列車脱線事故について記す。
事故概要
日比谷線を走っていた東急東横線直通菊名行き電車(営団03系8両編成)の最後尾車両が、中目黒駅手前の急曲線で左右車輪にかかる重量の不均衡、脱線防止ガード非設置を主とする複数の要因で緩和曲線の捻れ部で乗り上がり脱線。横取りポイントに誘導され対向の中目黒始発東武線直通竹ノ塚行き電車(東武20050系8両編成)と側面衝突、大破して死者5名、負傷者64名を出した。
原因・対策その他
脱線の仕方としては競り上がり脱線であるが、原因因子として左右の輪重差の放置、160Rの急カーブであるにもかかわらずガードレールが無かったことや、異常を察知した車掌による非常制動装置(非常ブレーキ)の作動などがある事から、複合的原因により発生した事故(競合脱線)だと帰結した。このことにより、刑事責任としては一人に罪を負わせることを不可とし、管理限界を超える線路の狂いを放置したとして送検されていた保線関係者5名は検察段階で不起訴となった。
- しかし事故調査検討会はこの事故を契機に全国の鉄道事業者に2種3項の指示を出しており(刑事責任ではない)安全確保の観点での事故原因の見解は持っている。すなわち
- (1)輪重比管理値を10%以内(左右の平均値±10%)とする、
- (2-1)半径200m以下のカーブ出口のカント逓減部(=緩和曲線部)に脱線防止ガードの設置、
- (2-2)「推定脱線係数比」という管理値を導入して基準を超えるカーブへの脱線防止ガードレール設置を義務化した。すなわち
- 事故発生の主原因は輪重比の大きな狂い、副原因は営団のみ極端に緩いガードレール設置基準というのが事故調査報告書の実質の結論である。
- 営団地下鉄での輪重比管理は1992年に半蔵門線車庫で2度の脱線を経験して社内調査でその必要性が指摘され、職場からは輪重計設置要求が出されていたが却下・放置し、半蔵門線車両のみの輪重調整に留めたことで、日比谷線には輪重比30%を超える車両が走り、140R以下にガードレール設置という営団の極端に低い設置基準で現場の160.1Rにはガードレールが無く惨事を防げなかった。
また東急横浜脱線事故が全く同様の輪重比の不均衡で起こり以後±10%以内に調整し450R以下の全カーブにガードレールを設置していたが、これについて運輸省が全事業者に注意を促すことは無かったので営団地下鉄でもチェックされなかった。
なおこの事故の報道においては、一部で複数要因が重なって発生した脱線事故であるとされた、鶴見事故(1963年)と比較される事があったが、これも事故調査検討会最終報告書の実質内容の読み誤りである。
- 鶴見事故の結論も子細にみれば原因車両であるワラ1型の走行特性試験をワム60000類似車両として省略し、軽積載時の大変振動的な走行特性を見逃していたし、また当時バネ下荷重軽減云々と旅客車両開発の走行特性改良で定着していた振動解析が貨車設計には波及していない時期の事故で身内調査による「競合脱線」原因説で片付けて良いものかの疑問もある。
また、この事故が法改正を促し航空・鉄道事故調査委員会発足の契機にもなった。
その他
この付近ではこれより前の1965年と1992年の2回、事故があった。前者はこの事故とほぼ同じ箇所で脱線した(台車の異状によるもの)。
後者は、1992年6月16日午前8時50分頃、中目黒駅構内の引き上げ線ポイント上で、出庫中の営団3000系の後ろから3輌目付近の側方に、入庫中の東武2000系が突っ込む形となったもの。引き上げ線での衝突事故のため乗客への被害は無かった。直接的な原因は東武2000系側に乗務の運転士の第2入替信号見落としであるが、その背景として「折り返しの余裕不足・ダイヤの混乱」と、その対策として実施された「信号システムの変更」が指摘されている。
中目黒駅での午前8時台の折り返しは、
- 折り返し列車本数が多い
- 東武・日比谷線内のダイヤの乱れの影響で、折り返しの余裕時間が短い
- 東横線との直通列車も絡むため運行が複雑になる
等の理由により混乱することが多く、ダイヤ回復のボトルネックとなっていた。 このため新信号システムが導入され、入庫列車の待機場所が、本線上の第1入替信号から、引き上げ線付近の第2入替信号に変更になった。より引き上げ線に近い位置での待機とすることで、折り返し時間の短縮を図る意図である。 しかし、この変更は結果として
- 出庫中の列車があっても、入庫する列車は引き上げ線付近(第2入替信号)まで入線する。同一線上の相対する双方の列車が進行する。
- 第2入替信号から支障限界まで(過走余裕)がわずか10mしかなく、過走が事故に直結する
という危険状態を生むこととなった。更に、乗客のない引上線進入には(出発以外)自動停止機構を設置しておらず運転士の注意力のみに任されているため(JRなど他の事業者でもほぼ同様)、ATCも衝突を防ぐことができない状態になった。すなわち、同一線上の相対する双方の列車が、運転士の注意力のみで10mの距離まで近づくという運用が発生した。
以上のように、安全システムによる防御と余裕距離のある第1入替信号での待機から、無防備の第2入替信号まで進出する様に変更になった、折り返し効率重視の思想の新信号システム採用が 事故発生の背景にあったと指摘されている。