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'''河野 貴輝'''(かわの たかてる、[[1972年]][[10月13日]] - )は、[[日本]]の[[起業家]]。国内最大手の貸会議室を運営・管理する企業『[[ティーケーピー]]』(東証マザーズ3479 TKP)代表取締役社長、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]『[[大分トリニータ]]』の筆頭株主で『大分トリニータ』取締役、[[ユニフォーム]]の[[スポンサー]]。『日本リージャスHD』代表取締役会長、『大分県カボス特命大使』、『[[経済同友会]]』幹事、『[[日本経済団体連合会|経団連]]』審議員、『EY起業家大賞2018世界大会』日本代表、『第44回経済界大賞』優秀経営者賞。[[大分県]][[大分市]]出身。[[慶應義塾大学]]商学部卒業<ref>{{Cite book|和書|date=2019-12-25|title=[[財界 (雑誌)|財界]]|publisher=財界研究所|page=20|volume=第68巻第2号(2020年1月15日号)|asin=B081WPWMKN||chapter=2020年 産業界に新しい芽を! 子年生まれの経営トップたち}}</ref>。
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== 概要 ==
[[1996年]][[慶應義塾大学]]商学部卒業後、[[伊藤忠商事]]為替証券部を経て、日本オンライン証券(現[[カブドットコム証券|auカブドットコム証券]])設立に参画、イーバンク銀行(現[[楽天銀行]])執行役員営業本部長等を歴任。2005年8月[[ティーケーピー]]設立、代表取締役社長就任。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[1972年]]([[昭和]]47年)[[大分県]][[大分市]]生まれ。石油会社で働く父の下で育つ。実業家として[[別府市]]内でいくつもの事業をしていた祖父の影響を強く受け、幼少の頃から商談の現場についていったり、夏休みにはその店の手伝いなどをしていたという。[[大分市立稙田西中学校]]、[[大分県立大分雄城台高等学校|大分県立大分雄城台高校]]、[[慶應義塾大学]]商学部を卒業。手先が器用で、中学生の頃は[[アマチュア無線]]にハマり、資格を取得。[[モールス信号]]で通信ができ、自作で携帯電話を作る
[[1972年]]([[昭和]]47年)[[大分県]][[大分市]]生まれ。石油会社で働く父の下で育つ。実業家として[[別府市]]内でいくつもの事業をしていた祖父の影響を強く受け、幼少の頃から商談の現場についていったり、夏休みにはその店の手伝いなどをしていたという。


[[大分市立稙田西中学校]]、[[大分県立大分雄城台高等学校|大分県立大分雄城台高校]]、[[慶應義塾大学]]商学部を卒業。手先が器用で、中学生の頃は[[アマチュア無線]]にハマり、資格を取得。[[モールス信号]]で通信ができ、自作で携帯電話を作る。
大学在学中は[[アルバイト]]で会社作りの資金にしようと考えるが、数100万円をためて株で使い果たす経験をする。何度も同じ経験をしたことで、株のディーラーになって今までの無念さ払拭することを考えた。


大学在学中は[[アルバイト]]で会社作りの資金にしようと考えるが、数100万円をためて株で使い果たす経験をする。何度も同じ経験をしたことで、株のディーラーになって今までの無念さ払拭することを考えた。
[[1996年]]([[平成]]8年)に、[[伊藤忠商事]]に入社。為替証券部に配属され指数先物、為替先物など資金を任されて運用をしていた。伊藤忠商事が設立した日本オンライン証券(現・[[カブドットコム証券]])の設立(1999年4月)に立上げから関わる。[[ヤフーオークション]]でフリーマーケットで仕入れたグッズを販売するなど、そのころからITの 潜在的可能性を認識していた。その後2001年にイーバンク銀行(現・[[楽天銀行]])で執行役員営業本部長などを歴任した。

当時急速に成長していたインターネットと金融に精通はしていたが、同時にITバブルで実態を伴わないビジネスも多くみてきた故に、「地に足の着いたリアルなビジネスを立ち上げたい」という思いも強くなっていたとある起業という選択


[[1996年]]([[平成]]8年)に、[[伊藤忠商事]]に入社。為替証券部に配属され指数先物、為替先物など資金を任されて運用をしていた。伊藤忠商事が設立した日本オンライン証券(現・[[カブドットコム証券|auカブドットコム証券]])の設立(1999年4月)に立上げから関わる。[[ヤフーオークション]]でフリーマーケットで仕入れたグッズを販売するなど、そのころからITの 潜在的可能性を認識していた。その後2001年にイーバンク銀行(現・[[楽天銀行]])で執行役員営業本部長などを歴任した。
[[2005年]](平成17年)河野が32歳のときに退職し、起業。


当時急速に成長していたインターネットと金融に精通はしていたが、同時にITバブルで実態を伴わないビジネスも多くみてきた故に、「地に足の着いたリアルなビジネスを立ち上げたい」という思いも強くなっていたとある<ref>著書『起業という選択』より</ref>
[[六本木]]は現在のミッドタウンのあたり、当時の防衛庁跡地は真っ暗だったが、1階のレストランだけが営業していた3階建ての取り壊しの決まったビルを、1階が立ち退くまでの間、有効活用したことが始まり。2階と3階の計40坪を家賃20万円という相場の3分の1の割安価格で借り上げ、3階は建設会社の仮設オフィスとして家賃25万円で貸し出し、2階を時間貸しの「貸会議室」にした。インターネットを通じて販売することで、潜在的にあった貸会議室の需要を捉えたことと、バブル崩壊後日本企業は自社で大きな会議室を持たない傾向にあったため、順調に拡大起業家の経営革命ノート


[[2005年]](平成17年)河野が32歳のときに退職し、起業。[[六本木]]は現在のミッドタウンのあたり、当時の防衛庁跡地は真っ暗だったが、1階のレストランだけが営業していた3階建ての取り壊しの決まったビルを、1階が立ち退くまでの間、有効活用したことが始まり。2階と3階の計40坪を家賃20万円という相場の3分の1の割安価格で借り上げ、3階は建設会社の仮設オフィスとして家賃25万円で貸し出し、2階を時間貸しの「貸会議室」にした。インターネットを通じて販売することで、潜在的にあった貸会議室の需要を捉えたことと、バブル崩壊後日本企業は自社で大きな会議室を持たない傾向にあったため、順調に拡大<ref>著書『起業家の経営革命ノート』より</ref>。起業のキッカケは、誰も使っていないビルの一角を発見し、「もったいない」と思ったこと。その後、活用されていないスペースの「再生」と「シェアリング」を軸に、さらなる付加価値の創造のため、周辺事業を積極的に展開する<ref>[https://www.tkp.jp/company/message.html 会社公式サイト「代表挨拶」より]</ref>
2005年(平成17年)8月に、港区浜松町にて株式会社[[ティーケーピー]]を設立。32歳のときだった。六本木の第一号店「TKP六本木会議室」をたった1室からスタートし、都内に拡大。


ポータルサイト「TKP貸会議室ネット」「貸オフィスネット」を運営し、インターネットで集客を行い、小さく生んで大きく育てたポータルサイト作りから、予約受付、当日の鍵開け、食事の準備、掃除にいたるまで、全て自身で行っていた。1席100円で貸していたため、机を拭きながら「一拭き100円!」と思いながら、掃除をするのも楽しかった、と語っている。[[2006年]] 本社を中央区日本橋茅場町へ移転[[2008年]]のリーマン・ショックでは1ヶ月で5億円分のキャンセルが生じ、月間で1億円の赤字というピンチがあったが、不動産オーナーに家賃を4割下げてもらう交渉をしてコストダウンに成功し、貸会議室料金を3割下げると、新しい顧客を得た上、売上げが5割伸びた。
2005年(平成17年)8月に、港区浜松町にて株式会社[[ティーケーピー]]を設立。32歳のときだった。六本木の第一号店「TKP六本木会議室」をたった1室からスタートし、都内に拡大。ポータルサイト「TKP貸会議室ネット」「貸オフィスネット」を運営し、インターネットで集客を行い、小さく生んで大きく育てたポータルサイト作りから、予約受付、当日の鍵開け、食事の準備、掃除にいたるまで、全て自身で行っていた。1席100円で貸していたため、机を拭きながら「一拭き100円!」と思いながら、掃除をするのも楽しかった、と語っている。[[2006年]] 本社を中央区日本橋茅場町へ移転[[2008年]]のリーマン・ショックでは1ヶ月で5億円分のキャンセルが生じ、月間で1億円の赤字というピンチがあったが、不動産オーナーに家賃を4割下げてもらう交渉をしてコストダウンに成功し、貸会議室料金を3割下げると、新しい顧客を得た上、売上げが5割伸びた。


== エピソード・人物 ==
== エピソード・人物 ==

2022年8月19日 (金) 00:59時点における版

かわの たかてる

河野 貴輝
生誕 (1972-10-13) 1972年10月13日(51歳)
日本の旗 日本大分県大分市
出身校 慶應義塾大学商学部卒業
職業 起業家
活動期間 1996年 - 現在
著名な実績 【著書】『起業家の経営革命ノート: TKP式成長メソッドの秘密』
肩書きティーケーピー』(東証マザーズ3479 TKP)代表取締役社長
『大分トリニータ』取締役
『日本リージャスHD』代表取締役会長
『大分県カボス特命大使』
経済同友会』幹事
経団連』審議員
受賞 『EY起業家大賞2018世界大会』日本代表
『第44回経済界大賞』優秀経営者賞
公式サイト 河野貴輝 (@tkpkawano) - X(旧Twitter)
河野貴輝 (@tkp_kawano) - Instagram
河野貴輝 (kawai2850831) - Facebook
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河野 貴輝(かわの たかてる、1972年10月13日 - )は、日本起業家。国内最大手の貸会議室を運営・管理する企業『ティーケーピー』(東証マザーズ3479 TKP)代表取締役社長、Jリーグ大分トリニータ』の筆頭株主で『大分トリニータ』取締役、ユニフォームスポンサー。『日本リージャスHD』代表取締役会長、『大分県カボス特命大使』、『経済同友会』幹事、『経団連』審議員、『EY起業家大賞2018世界大会』日本代表、『第44回経済界大賞』優秀経営者賞。大分県大分市出身。慶應義塾大学商学部卒業[1]

概要

1996年慶應義塾大学商学部卒業後、伊藤忠商事為替証券部を経て、日本オンライン証券(現auカブドットコム証券)設立に参画、イーバンク銀行(現楽天銀行)執行役員営業本部長等を歴任。2005年8月ティーケーピー設立、代表取締役社長就任。

来歴

1972年昭和47年)大分県大分市生まれ。石油会社で働く父の下で育つ。実業家として別府市内でいくつもの事業をしていた祖父の影響を強く受け、幼少の頃から商談の現場についていったり、夏休みにはその店の手伝いなどをしていたという。

大分市立稙田西中学校大分県立大分雄城台高校慶應義塾大学商学部を卒業。手先が器用で、中学生の頃はアマチュア無線にハマり、資格を取得。モールス信号で通信ができ、自作で携帯電話を作る。

大学在学中はアルバイトで会社作りの資金にしようと考えるが、数100万円をためて株で使い果たす経験をする。何度も同じ経験をしたことで、株のディーラーになって今までの無念さ払拭することを考えた。

1996年平成8年)に、伊藤忠商事に入社。為替証券部に配属され指数先物、為替先物など資金を任されて運用をしていた。伊藤忠商事が設立した日本オンライン証券(現・auカブドットコム証券)の設立(1999年4月)に立上げから関わる。ヤフーオークションでフリーマーケットで仕入れたグッズを販売するなど、そのころからITの 潜在的可能性を認識していた。その後2001年にイーバンク銀行(現・楽天銀行)で執行役員営業本部長などを歴任した。

当時急速に成長していたインターネットと金融に精通はしていたが、同時にITバブルで実態を伴わないビジネスも多くみてきた故に、「地に足の着いたリアルなビジネスを立ち上げたい」という思いも強くなっていたとある[2]

2005年(平成17年)河野が32歳のときに退職し、起業。六本木は現在のミッドタウンのあたり、当時の防衛庁跡地は真っ暗だったが、1階のレストランだけが営業していた3階建ての取り壊しの決まったビルを、1階が立ち退くまでの間、有効活用したことが始まり。2階と3階の計40坪を家賃20万円という相場の3分の1の割安価格で借り上げ、3階は建設会社の仮設オフィスとして家賃25万円で貸し出し、2階を時間貸しの「貸会議室」にした。インターネットを通じて販売することで、潜在的にあった貸会議室の需要を捉えたことと、バブル崩壊後日本企業は自社で大きな会議室を持たない傾向にあったため、順調に拡大[3]。起業のキッカケは、誰も使っていないビルの一角を発見し、「もったいない」と思ったこと。その後、活用されていないスペースの「再生」と「シェアリング」を軸に、さらなる付加価値の創造のため、周辺事業を積極的に展開する[4]

2005年(平成17年)8月に、港区浜松町にて株式会社ティーケーピーを設立。32歳のときだった。六本木の第一号店「TKP六本木会議室」をたった1室からスタートし、都内に拡大。ポータルサイト「TKP貸会議室ネット」「貸オフィスネット」を運営し、インターネットで集客を行い、小さく生んで大きく育てたポータルサイト作りから、予約受付、当日の鍵開け、食事の準備、掃除にいたるまで、全て自身で行っていた。1席100円で貸していたため、机を拭きながら「一拭き100円!」と思いながら、掃除をするのも楽しかった、と語っている。2006年 本社を中央区日本橋茅場町へ移転2008年のリーマン・ショックでは1ヶ月で5億円分のキャンセルが生じ、月間で1億円の赤字というピンチがあったが、不動産オーナーに家賃を4割下げてもらう交渉をしてコストダウンに成功し、貸会議室料金を3割下げると、新しい顧客を得た上、売上げが5割伸びた。

エピソード・人物

  • 好きなことばは「新進気鋭」やピーター・ドラッカーの企業観「社会の問題の解決を事業上の機会に転換することによって社会の要請に応え、同時に利益にすることが企業の機能である。」。
  • 好きな歴史上の人物は坂本龍馬

受賞歴

  • 2007年平成19年) 『EY Entrepreneur Of The Year Japan 2007』スタートアップ部門 受賞
  • 2010年(平成22年) 『EY Entrepreneur Of The Year Japan 2010』アクセラレーティング部門 セミファイナリスト
  • 2011年(平成23年) 週刊ダイヤモンド『2011年度経営大賞(Frontier of the year2011)』受賞
  • 2012年(平成24年) 『2012アパコーポレート大賞』受賞
  • 2013年(平成25年) 『中小機構 Japan Venture Awards 2013』特別賞 受賞
  • 2014年(平成26年) 中小企業IT経営力大賞2014『IT経営実践認定企業』認定
  • 2015年(平成27年) 『就活AWARD2015 ~就職すべき働きがいのある成長企業~』受賞
  • 2017年(平成29年) 株式会社ダイヤモンド/ダイヤモンド経営者倶楽部『IPO賞』受賞
  • 2017年(平成29年) 一般社団法人アジア経営者連合会『優秀経営者賞』受賞
  • 2017年(平成29年) 日経CNBC『第1回 今年の優秀IPO企業』最優秀賞 受賞
  • 2017年(平成29年) 『EY Entrepreneur Of The Year Japan 2017』(アクセラレーティング部門)大賞 受賞 日本代表に選出
  • 2018年(平成30年) 『2018アパコーポレート大賞』受賞
  • 2018年(平成30年) 『EY World Entrepreneur Of The Year 2018』世界大会出場
  • 2018年(平成30年) 第44回経済界大賞『優秀経営者賞』受賞
  • 2019年令和元年) 日本証券アナリスト協会『ディスクロージャー優良企業 新興市場銘柄』受賞

会員

  • 『一般社団法人 日本経済団体連合会』審議員
  • 『公益社団法人 経済同友会』幹事
  • 『一般社団法人 アジア経営者連合会』理事

書籍

著書
関連図書
  • 『スーパーベンチャーの創り方 ーTKP創業者 河野貴輝の起業論』(村上実著、オータパブリケイションズ、2014年8月28日) (2014/8/28) ISBN 978-4903721446[5]
    • 100億円台の売上高を達成した河野貴輝のインタビューをまとめた344ページ。創業ストーリーやビジネスの考え方に迫る。
  • 『海外で働こう : 世界へ飛び出した日本のビジネスパーソン 挑戦篇 (25人のアブローダーズ)』(西澤亮一著、幻冬舎、2014年3月20日) ISBN 9784344025561[5]
    • ビジネスパーソンの1人として紹介「アジアはもはや海外にあらず / 河野貴輝 述」
  • 『「7割経済」で勝つ 新デジタルシフト』(大前研一著、プレジデント社)、2020年10月15日) ISBN 978-4833423892[5]
    • 大前研一がインタビュー「0から1を創り出す空間再生流通企業 / 河野貴輝 述」

出演

テレビ

雑誌

脚注

  1. ^ 「2020年 産業界に新しい芽を! 子年生まれの経営トップたち」『財界』 第68巻第2号(2020年1月15日号)、財界研究所、2019年12月25日、20頁。ASIN B081WPWMKN 
  2. ^ 著書『起業という選択』より
  3. ^ 著書『起業家の経営革命ノート』より
  4. ^ 会社公式サイト「代表挨拶」より
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 国会図書館検索サイト「河野貴輝」より
  6. ^ 【リーダーの栞】TKP 河野貴輝社長

外部リンク