「日新館高等学校 (福岡県)」の版間の差分
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2022年10月6日 (木) 23:20時点における版
日新館高等学校 | |
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北緯33度38分41.6秒 東経130度42分17.4秒 / 北緯33.644889度 東経130.704833度 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人飯塚学園 |
設立年月日 | 1978年4月 |
閉校年月日 | 2008年3月 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
特別進学コース 進学コース |
高校コード | 40519B |
所在地 | 〒820-0011 |
福岡県飯塚市柏の森56-9 | |
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日新館高等学校(にっしんかんこうとうがっこう)は、かつて福岡県飯塚市柏の森に存在した私立高等学校。飯塚日新館中学校とともに2006年3月31日まで中高一貫教育を提供した。創立者は権堂義幸。
生徒数減少のため、2006年度以降の新入生募集は行わず、2007年度限りで閉校となった。1978年の開校以来、生徒数が定員(1学年150人)を常に割り込み、2002年度から赤字経営が続いていた。
沿革
- 1978年(昭和53年) - 日新館高等学校開校、新年度より学校教育開始。
- 1981年(昭和56年) - 日新館中学校飯塚分校を新設。
- 1986年(昭和61年) - 新校舎完成。
- 2000年(平成12年) - 新年度より男女共学化。
- 2005年(平成17年) - 日新館高等学校閉校騒動。
- 2008年(平成20年) - 閉校。
閉校騒動
平成17年度の入試を実施し2月1日に合格発表を行っていながら、突然2月14日に合格者に対し中学校などを通じて合格取り消しを通知し、教職員19名を年度末で解雇し新年度で給与50%削減して再雇用する方針を発表した。しかし、合格発表後の突然の受け入れ拒否の通告に、中学校や塾関係者、保護者から批判や抗議が相次ぎ、わずか一日で方針を撤回し、一転して合格者の受け入れを決定した。NHK全国ニュースで放映され、福岡県議会でも取り上げられた[1]。合格取り消し通知の前に周辺への根回しはなく、「合格発表後に受け入れをやめるのでは判断が遅すぎる。受験生や在校生に混乱を招く」と福岡県私学振興課を激怒させた。同校を経営する理事長は「合格者のうち、26人しか予納金を納めなかった。昨年の半数だ。例年予納金納付者の30%しか入学せず、新入生は10人程度になってしまう。これでは入学させても、生徒同士が切磋琢磨(せっさたくま)する環境をつくれないと判断した」と説明した[2]。
部活動
軟式野球部が、1988年(昭和63年)まで県大会3連覇を果たしたが、活動末期は予選での初戦敗退が続いていた。
教育方針
- 校風は大変厳しく、軍隊並みという評価があった。
- 男子の冬服は7つボタンであり、大日本帝国海軍を意識していた。
- 「全寮制の中高一貫教育」「冷暖房完備」「3年生は完全個室」と宣伝したが、3年間とも6~8人部屋で、教員不足で講義が行われない科目も存在した。[3]
校歌
- 作詞:日新館
- 作曲:森脇憲三
設置学科
- 普通科
- 特別進学コース
- 進学コース
著名な出身者
- 初恋タロー(同名のお笑いコンビの初恋タローの方)
関連項目
脚注
- ^ 平成17年(2005年)2月福岡県議会定例会 議事録
- ^ こちら特報部 福岡・日新館高に見る入学者減の苦境(上)合格発表後に取り消し騒動 1日で撤回 保護者『15歳の心 考えず』2005.02.27 朝刊28頁特報1面東京新聞
- ^ 憂楽帳:母校 2005.02.23 西部夕刊 7頁 社会 毎日新聞