「大阪府立りんくう翔南高等学校」の版間の差分
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2022年10月7日 (金) 03:35時点における版
大阪府立りんくう翔南高等学校 | |
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(2013年〈平成25年〉9月29日撮影) | |
北緯34度22分3.7秒 東経135度15分54秒 / 北緯34.367694度 東経135.26500度座標: 北緯34度22分3.7秒 東経135度15分54秒 / 北緯34.367694度 東経135.26500度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
併合学校 |
大阪府立泉南高等学校 大阪府立砂川高等学校 |
設立年月日 | 2009年(平成21年)1月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | ハートフルほいく専門コース |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D127210001282 |
高校コード | 27325C |
所在地 | 〒590-0521 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪府立りんくう翔南高等学校(おおさかふりつ りんくうしょうなん こうとうがっこう)は、大阪府泉南市樽井にある公立の高等学校。大阪府立泉南高等学校と大阪府立砂川高等学校を統廃合して2009年(平成21年)度に開校した。
概要
「府立高等学校特色づくり・再編整備計画(全体計画) 平成19年度(第5年次)実施対象校」として、従来の大阪府立泉南高等学校と大阪府立砂川高等学校を統合し、普通科総合選択制の高等学校「泉南地域新高校(仮称)」を新設する方針が示された。準備期間を経て、2009年(平成21年)度に開校した(泉南・砂川の両校は募集停止となり、最終学年が卒業する2011年春に閉校)。校舎・校地は泉南高校のものを継承している。
学校名は、大阪府南部の自然豊かな環境で関西国際空港の近くにあるという立地条件から命名されている。関空の開港に伴い、新たに造成された街・りんくうタウンの近くに位置することで、豊かな自然と歴史・風土を尊重しながら新しい社会を創造するという意味を込めた「りんくう」と、世界に向けて羽ばたき新たなものを受け入れるという意味を込めた「翔南」を組み合わせている[1]。
なお、2017年普通科総合選択制を廃止。普通科専門コース設置校に改編された。
沿革
大阪府立泉南高等学校 | |
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北緯34度22分04秒 東経135度15分54秒 / 北緯34.367694度 東経135.265度座標: 北緯34度22分04秒 東経135度15分54秒 / 北緯34.367694度 東経135.265度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
学区 | 第4学区 |
設立年月日 | 1950年(昭和25年) |
創立記念日 | 6月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D127210001282 |
高校コード | 27187A |
所在地 | 〒590-0521 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪府立砂川高等学校 | |
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(2008年〈平成20年〉3月11日撮影) | |
北緯34度22分04秒 東経135度15分54秒 / 北緯34.367694度 東経135.265度座標: 北緯34度22分04秒 東経135度15分54秒 / 北緯34.367694度 東経135.265度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
学区 | 第4学区 |
設立年月日 | 1983年(昭和58年) |
創立記念日 | 11月5日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D127210001282 |
高校コード | 27284B |
所在地 | 〒590-0522 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
前身の泉南高校・砂川高校
前身校の大阪府立泉南高等学校は、当時の泉南郡樽井町から誘致され1950年(昭和25年)に府立47番目の高校として開校した。
当初、泉南郡学校組合立山之井中学校[2]内に設置された仮校舎で開校したが、樽井町から提供された学校敷地に翌1951年に校舎が完成、移転した。
全日制普通科だが一時、地場産業の繊維工場で交代勤務をおこなう生徒を対象に隔週定時制課程が設置され、高度経済成長期の1974年には、全日制1,080名(24学級)、定時制640名(16学級)のマンモス校となった[3]。
泉南高校では基礎学力の定着に力を入れ、英語科や情報科で少人数授業を導入していた。
もう一つの前身校の大阪府立砂川高等学校は、団塊ジュニア世代の進学する高校生急増期の1983年(昭和58年)に府立140番目の高校として開校した。
すでに泉南市の名を冠した泉南高校があるため、学校名として、校地のある旧荘名を冠した信達高校、古来の旧郡名を冠した日根高校の案などを考えられたが、最終的に名勝「砂川奇勝」を冠した校名に決定した[4]。
砂川高校では基礎学力の定着や希望進路の実現に力を入れていた。進学や就職などの多様な進路希望に対応し、3年生を対象に、進学希望者向けの英語・数学・国語の補充授業、就職希望者向けの講座をおこなっていた。
泉南・砂川の両校とも、2005年(平成17年)度に「学校経営革新プロジェクト事業」の研究指定校となっていた。
泉南高、府立4校だけの隔週定時制
泉南高校は1966年(昭和41年)に隔週定時制(隔週二部制)の課程(家政科)も併置した。泉州(和泉)地域の地場産業は、1964年東京オリンピック(昭和39年)五輪女子バレー金メダルなど東洋の魔女と呼ばれた「ニチボー貝塚」(現ユニチカ・フェニックス)に象徴される繊維産業。その紡績工場の2交替勤務に合わせて、働きながら学ぶ人を対象にしており、泉南高校をはじめ和泉高校、貝塚高校、横山高校の府立4高校に設置された。
産経新聞の千野境子によると、隔週定時制は高度経済成長期に働き手を欲しい企業側と、貧しくとも高校だけは卒業してほしいと願う親・生徒側の希望が合致した、教育を重視する日本ならではの学校で、愛知県、岡山県などでも誕生[5]。1960年代の地方からの集団就職者の受け皿として、また全日制高校の数が少なかった時代から進学希望者の受け皿として、定時制課程への入学希望者が相次いだことを背景としていた。
千野が取材した貝塚高校の隔週定時制の場合、生徒の勤務に合わせて通信制を併用し、授業も被服や手芸など実習科目に重点。定時制の週は午後3時10分から夜7時30分まで、通信制の週は朝9時15分から昼前11時25分まで学ぶ。“隔週なら通学できる”家庭環境の生徒も多く最盛期320人で2003年(平成15年)の段階でも九州、四国から志願者があったという[5]。
しかし1970年代になると、産業構造の変化により集団就職者が減少し、全日制高校も増設されたことから志願者が減少傾向となり、泉南高校の定時制課程は1996年3月に廃止(閉課程)となった(他の3校の隔週定時制も全て廃止)。
年表
- 1950年(昭和25年) - 「大阪府立泉南高等学校」が開校(全日制普通科、定員600名[3])
- 1951年 - 3月15日、樽井町が寄付した敷地に校舎(第一期工事)竣工。4月4日、仮校舎より移転。6月1日、開校記念式典[3]
- 1966年 - 泉南高校に隔週定時制課程を開設(修業年限4年 定員100名[3])
- 1983年 - 「大阪府立砂川高等学校」が開校
- 1996年(平成8年) - 泉南高校の隔週定時制課程を閉課程
- 2007年 - 泉南・砂川の両校統合方針が示される
- 2008年 - 12月、大阪府議会の議決により、「大阪府立りんくう翔南高等学校」設置が正式決定
- 2009年 - 1月1日、大阪府条例により大阪府立りんくう翔南高等学校を設置。4月1日、開校(泉南・砂川の両校は募集停止)
- 2011年 - 3月、泉南・砂川の両校の最終学年が卒業、閉校
- 2012年 - 3月、りんくう翔南高校の第1期生が卒業
- 2017年 - 普通科総合選択制を廃止し普通科専門コース設置校に改編
基礎データ
交通アクセス
鉄道
諸活動
部活動
関係者と組織
関連団体
著名な出身者
(泉南高等学校)
(砂川高等学校)
脚注
関連項目
外部リンク
- 大阪府立りんくう翔南高等学校
- 大阪府立泉南高等学校(メモリアルページ)
- 大阪府立砂川高等学校(メモリアルページ)