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「京都市立洛東中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 07:18時点における版

(旧)京都市立洛東中学校
過去の名称 第三高等小学校
東山国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1897年
共学・別学 男女共学
学期 2学期制(元3学期制
所在地 605-0844
京都市東山区六波羅裏門通東入多門町155
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立洛東中学校(きょうとしりつ らくとうちゅうがっこう)は、京都市東山区六波羅にあった公立中学校。現在は他学校と統合され、京都市立開睛小中学校(東山開睛館)となっている。

概要

上京・下京の両校に次ぐ、京都市内で3校目の高等小学校として1897年に開校した歴史を持つが、周辺校との関係などから2度の廃校を経験している。

2011年4月、白川小・新道小・六原小・清水小・東山小及び弥栄中とともに、5小学校2中学校が合併し、統合により東山開睛館(京都市立開睛小中学校)となった。 [1]。都心部校の常として近年は生徒数減少が著しく、最多の1962年に2,166名の生徒を有したのが、2007年5月1日現在で160名まで落ち込んでいる。

沿革

  • 1897年(明治30年)4月 - 第三高等小学校として開校。
  • 1912年(明治45年)4月 - 周辺校に高等科が設置されたことにより、廃校。
  • 1917年(大正6年)4月 - 第三高等小学校として再び開校。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行により、東山国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 再度廃校。
  • 1947年(昭和22年)5月 - 京都市立洛東中学校として開校。
  • 2008年(平成20年)8月 - 小中一貫校校舎建設のため京都市東山区鞘町通正面下る上堀詰町272-1(元貞教小学校校舎)に移転。

周辺

東山区中部を通学区とする。

交通アクセス

出身者

関連項目

外部リンク

脚注