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2022年10月7日 (金) 08:10時点における版
伊予市立下灘中学校 | |
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北緯33度38分43.7秒 東経132度33分40.8秒 / 北緯33.645472度 東経132.561333度座標: 北緯33度38分43.7秒 東経132度33分40.8秒 / 北緯33.645472度 東経132.561333度 | |
過去の名称 |
下灘村立下灘中学校 双海町立下灘中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 伊予市 |
設立年月日 | 1947年4月 |
閉校年月日 | 2010年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒799-3313 |
愛媛県伊予市双海町串甲232番地1 | |
外部リンク | 公式サイト[リンク切れ] |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
伊予市立下灘中学校(いよしりつ しもなだちゅうがっこう)は、かつて愛媛県伊予市双海町串甲にあった公立中学校。
概要
1947年(昭和22年)下灘小学校の校舎を利用して創設される。1949年(昭和24年)に新築移転。1962年(昭和37年)378人をピークに生徒数は減少する。2008年(平成20年)12月19日に教育委員会において上灘中学校との統合が決定された[1]。
2010年(平成22年)3月31日に上灘中学校と統合し閉校した。
教育目標
心豊かで、自ら考え実践する生徒の育成
生きる力を育むために、基礎学力の充実を重視した学習指導の展開を図っている。 また、総合的な学習時間や特別活動において、学校内外での体験活動を実施している。 それらの活動は、生徒一人一人が課題を探求し解決する力や表現力を培い、生徒の主体的学習活動への意欲を高めることを目的としている。
校訓
- 明朗
- 最善
- 協和
校章
正三角形を三つ寄せたこのマークは、「国」あるいは「土」を意味するアッシリア文字『ムツウ』を図案化したもの。
制定以来、郷土双海を愛し下灘を慈しむ気持ちを育みつつ、校訓の『明朗・最善・協和』の三位一体を、あるいは調和を目指す伊予市立下灘中学校の教育理念をあらわすもの。
また、その上に描かれた『さくら』は、中学生としての本分をわきまえ、文・部(武)・心に日々精進する下灘中生の姿勢をあらわしている。
スクールカラーは、臙脂色であった。その臙脂色をベースカラーとして「さくら」の中を白で彩り、生徒の純真さを、「白」という無垢で表現している。
沿革
- 1947年 - 新制中学校創立・下灘村立下灘中学校[1]。
- 1948年 - 校章決定。
- 1949年 - 校舎新築落成。
- 1951年 - 校旗制定。被服室増築。
- 1953年 - 下灘中学校PTA発足。
- 1954年 - 講堂落成式挙行[1]。
- 1955年 - 市町村合併に伴い双海町立下灘中学校となる[1]。
- 2005年 - 市町村合併に伴い伊予市立下灘中学校となる[1]。
- 2010年 - 伊予市立上灘中学校と統合し伊予市立双海中学校となって閉校[1]。