「新潟市立光晴中学校」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
→概要: 訂正 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
|校名=新潟市立光晴中学校 |
|校名=新潟市立光晴中学校 |
||
|画像 = {{Infobox mapframe|zoom=13}} |
|画像 = {{Infobox mapframe|zoom=13}} |
2022年10月7日 (金) 08:48時点における版
新潟市立光晴中学校 | |
---|---|
北緯37度54分15秒 東経139度13分06秒 / 北緯37.90403度 東経139.21836度座標: 北緯37度54分15秒 東経139度13分06秒 / 北緯37.90403度 東経139.21836度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟市 |
設立年月日 | 1993年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C115210000083 |
所在地 | 〒950-3343 |
新潟県新潟市北区上土地亀4981番地[1] 北緯37度54分14.5秒 東経139度13分6.1秒 / 北緯37.904028度 東経139.218361度座標: 北緯37度54分14.5秒 東経139度13分6.1秒 / 北緯37.904028度 東経139.218361度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新潟市立光晴中学校(にいがたしりつこうせいちゅうがっこう)とは、新潟県新潟市北区上土地亀に所在する市立中学校。
概要
1993年(平成5年)に開校。 周辺には、住宅街や田園が広がっている。
- 生徒数(2020年4月現在)
- 1年生 131名
- 2年生 116名
- 3年生 112名
- 合計 359名[2]
- 教育目標
- 自ら学ぶ生徒
- 思いやりのある生徒
- 最後までやりぬく生徒
重点目標としては、夢や目標をもち、自己を高めようと努力し続ける生徒である。
- 制服
- 男女ともにブレザー
- 部活動
- 野球部
- ソフトボール部
- サッカー部
- バレーボール部
- バスケットボール部
- 卓球部
- テニス部
- 剣道部
- 柔道部
- 陸上部
- 水泳部
- パソコン部
- 吹奏楽部
- 美術部
- 文芸部 等
校名の由来
蘇我簡堂が浦木に開いた「光霽塾」から名付けた[3]。光霽とは、光風霽月の略でさわやかな風と雨上がりの晴れた月のことである。心が清らかでわだかまりのない人、またはよく治まった世に例えられる。霽は常用漢字ではないため、意味、音が近い「晴」を使用[3]。
沿革
経緯
生徒数が減少し十分な教育ができなくなってきた長浦中学校と、人口増によりマンモス化していた葛塚中学校が、理想とする15学級ほどの学校を実現するために建設を決定し、1993年(平成5年)に開校した[4][3]。
年表
- 1993年(平成5年)4月1日 - 豊栄市立葛塚中学校(現新潟市立葛塚中学校)を一部分離し、長浦中学校と統合し豊栄市立光晴中学校として開校[3]。
- 1994年(平成6年)3月1日 - 作詞 川崎 隆司、作曲 後藤 丹により校歌作成、制定[1]。
- 2005年(平成17年)3月20日 - 豊栄市立として最後の卒業式を実施。
- 2005年(平成17年)3月21日 - 新潟市が豊栄市他11市町村を編入合併。新潟市立光晴中学校となる[1]。
通学区域
新潟市北区の葛塚地区、長浦地区を主な通学区域とし、葛塚小学校・豊栄南小学校からの進学を受ける。詳細は#外部リンクを参照。
脚注
- ^ a b c 光晴中学校:学校紹介 - 2019年4月21日閲覧。
- ^ 新潟市立光晴中学校2021年4月15日閲覧。
- ^ a b c d “広報とよさか 第396号 pp.6-7 新たな歴史を 光晴中学校が開校”. 豊栄市 (1993年4月15日). 2018年12月1日閲覧。
- ^ “広報とよさか 第395号 pp.2-7 特集 46年の歴史に幕 長浦中学校から光晴中へ 長浦中学校沿革史”. 豊栄市 (1993年3月15日). 2018年12月1日閲覧。