「野辺地町立野辺地中学校」の版間の差分
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2022年10月7日 (金) 09:36時点における版
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野辺地町立野辺地中学校 | |
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北緯40度52分8.875秒 東経141度7分28.196秒 / 北緯40.86913194度 東経141.12449889度座標: 北緯40度52分8.875秒 東経141度7分28.196秒 / 北緯40.86913194度 東経141.12449889度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 野辺地町 |
併合学校 |
馬門中学校 有戸中学校 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C102210001130 |
中学校コード | 020138[1] |
所在地 | 〒039-3101 |
青森県上北郡野辺地町字浜掛11-5 | |
外部リンク | 野辺地町公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
野辺地町立野辺地中学校(のへじちょうりつ のへぢちゅうがっこう)は、青森県上北郡野辺地町字浜掛にある公立中学校。 「北の伝統校」という異名がある。特に陸上部は、全国中学校駅伝大会に出場した実力がある。
概要
青森県上北郡野辺地町にある唯一の中学校のため、非常に重要な学校であるが、築年数の関係で老朽化していることが指摘され、建替え工事が行われ、2014年(平成26年)3月に新校舎が完成した[2]。
沿革
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 野辺地中学校開校[3]。校舎は、県立野辺地中学校、県立野辺地高等女学校(共に青森県立野辺地高等学校の前身)校舎を使用。
- 4月22日 - 開校式挙行。
- 10月1日 - 県立野辺地高等女学校校舎に合同。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 県立野辺地高等女学校移転に伴い、独立校舎となる。
- 1949年(昭和24年)5月19日 - 有戸分校設置。
- 1951年(昭和26年)4月20日 - 有戸分校が独立し、有戸中学校となる。
- 1956年(昭和31年)7月25日 - 旧弘前大学教育学部附属野辺地中学校校舎に移転。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 馬門中学校・有戸中学校を統合。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 新校舎第1期工事B棟完成し、第3学年を収容。第1学年は本部校舎に、第2学年は城内校舎に、それぞれ収容。また、有戸・木明地区から通う生徒の為にスクールバスを運行。
- 1968年(昭和43年)11月1日 - A棟完成。全生徒が移転。
- 1969年(昭和44年)
- 1996年(平成8年)11月16日 - 創立50周年記念式典挙行[2]。
- 2014年(平成26年)3月 - 新校舎完成[2]。
部活動
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- 野球部
- サッカー部
- バスケットボール部
- 陸上部
- ソフトテニス部(女子)
- 卓球部
- 剣道部
- 柔道部
- ハンドボール部
- 吹奏楽部
- 美術部
- 英語部
いじめ問題
野辺地中学校は、1985年に、いじめ問題が発生し、当時中学2年の男子生徒が自殺するということが起こった。村山士郎により、本も出版され、社会的な問題にも発展した。
- 野辺地町全域
参考資料
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 中学校」916~917頁「野辺地中学校」(1969年の記載分まで)
脚注
- ^ 青森県所属中学校コード表 (PDF)
- ^ a b c 野辺地町勢要覧 2017
- ^ 野辺地町110年の歩み(野辺地町公式HP内)
関連項目
- 以下は進学前小学校