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2022年10月7日 (金) 10:01時点における版
関市立小金田中学校 | |
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北緯35度28分48秒 東経136度51分48秒 / 北緯35.480028度 東経136.863222度座標: 北緯35度28分48秒 東経136度51分48秒 / 北緯35.480028度 東経136.863222度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 関市 |
設立年月日 | 1947年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C121220500061 |
所在地 | 〒501-3941 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
関市立小金田中学校(せきしりつこがねだちゅうがっこう)とは、岐阜県関市小屋名にある公立中学校。
沿革
- 1947年(昭和22年)4月 - 武儀郡小金田村と山県郡保戸島村で学校組合を設立。武儀郡小金田村山県郡保戸島村学校組合立小金田中学校が開校。
- 1950年(昭和25年)8月10日 - 武儀郡小金田村と山県郡保戸島村が合併し、小金田村となる。同時に小金田村立小金田中学校に改称する。
- 1955年(昭和30年)1月10日 - 小金田村が関市に編入される。同時に関市立小金田中学校に改称する。
- 1960年(昭和35年)4月 - 千疋地区の生徒を順次組合立東山中学校から移すこととなり、この年の1年生から小金田中学校への通学となる。
- 1961年(昭和36年)4月 - 千疋地区の生徒は、1・2年生が小金田中学校、3年生は組合立東山中学校に通学する。
- 1962年(昭和37年)4月 - 千疋地区の生徒は全員小金田中学校への通学となる。
- 1972年(昭和47年)- 体育館が完成。
- 1977年(昭和52年)- プールが完成。
- 1980年(昭和55年)- 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
部活動
運動系部活動
- 野球部
- サッカー部
- 卓球部
- ソフトボール部
- ソフトテニス部
- バレーボール部
- バスケットボール部
- トレーニング部
文化系部活動
- 美術部
- 合唱部
通学区域[1]
- 小屋名
- 上白金
- 下白金
- 山田
- 千疋
- 千疋北1丁目、千疋北2丁目
- 植野
- 側島
- 戸田
- 保明
- 津保川台1丁目、津保川台2丁目
- 虹ケ丘北
- 虹ケ丘南
- 大平台
- 希望ケ丘町
進学前小学校
交通
- 岐阜バス - 小金田停留所下車
参考文献
- 新修関市史 通史編 近世・近代・現代(関市、1999年)P.1022
- 年表 市制35年の歩み(関市教育委員会、1985年)P.18 - 42
注釈
脚注