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大町市立仁科台中学校 | |
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北緯36度30分04秒 東経137度51分05秒 / 北緯36.50118度 東経137.85133度座標: 北緯36度30分04秒 東経137度51分05秒 / 北緯36.50118度 東経137.85133度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長野県大町市 |
設立年月日 | 1965年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C120221200027 |
中学校コード | |
所在地 | 〒398-0002 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大町市立仁科台中学校(おおまちしりつにしなだいちゅうがっこう)は、長野県大町市に設置された公立中学校である。
概要
本校は1965年4月1日に開校。1959年に設置された大町市立第二中学校(旧大町中学校)及び大町市立第三中学校(旧常盤中学校)を統合する形で新規に設置された中学校である[1]。
学校名は明治維新後に当時の筑摩県安曇郡大町村に学校が初めて設置された際、その新設学校を『仁科学校』と呼称したことや、平安時代から戦国時代末期までの700余年に、現在の安曇野・大町一帯を支配していた豪族が仁科氏であったという歴史的故事にちなみ、周辺地域の住民の誇りが込められているものとして『大町市立仁科台中学校』と命名された[2]。
学校の校区は大町市の南部地域を広くカバーしているため、遠隔地在住の生徒はスクールバスにて通学している[1]。
毎年1月には全校生徒による『百人一首』大会を開催するのが恒例である[3]。
沿革
- 1959年4月1日 - 大町市立第二中学校(旧大町中学校)及び大町市立第三中学校(旧常盤中学校)が発足。旧社中学校は両校に分割統合[4]。
- 1965年4月1日 - 学校創立。新校舎建設まで大町部と常盤部の部校制を採用[4]。
- 1967年4月2日 - 現在地での新校舎の竣工により、開校式が執り行われる[4]。
- 2023年4月(予定) - 大町市立大町中学校として、第一中学校と統合し、仁科台中学校の現校舎を使用する予定。
教育目標
- 自主
- 友愛
- 根性
通学区域
- 大町市のうち常盤及び社の全区域並びに大町の一部[5]
著名な出身者
脚注
- ^ a b 教育要覧(平成30年度) (PDF) 大町市教育委員会
- ^ 校名の由来 (PDF) 大町市立仁科台中学校
- ^ クラス対抗札の数競う 大町 仁科台中で百人一首大会 大糸タイムス 2016年1月24日付
- ^ a b c 「大町市史 第4巻 近代・現代」p.1114
- ^ 通学区
- ^ “2009年1月9日付”. 大糸タイムス. 2021年9月26日閲覧。
- ^ 平成28年1月25日 バド世界一・奥原さん凱旋に市民が出迎え 市が特別栄誉賞を授与 大町市 2016年1月31日付
- ^ 第二校歌披露 鉄拳も登場 大町仁科台中学校で50周年記念式典 大糸タイムス 2016年10月4日付
出典
- 『大町市史 第4巻 近代・現代』
関連項目
外部リンク
- 大町市立仁科台中学校 - 公式サイト