「大阪市立東粉浜小学校」の版間の差分
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2022年10月7日 (金) 14:31時点における版
大阪市立東粉浜小学校 | |
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北緯34度37分12秒 東経135度29分40秒 / 北緯34.61995度 東経135.4944度座標: 北緯34度37分12秒 東経135度29分40秒 / 北緯34.61995度 東経135.4944度 | |
過去の名称 |
大阪市粉浜第二尋常小学校 大阪市東粉浜尋常高等小学校 大阪市東粉浜国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
設立年月日 | 1930年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B127210002294 |
所在地 | 〒558-0051 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪市立東粉浜小学校(おおさかしりつ ひがしこはましょうがっこう)は、大阪府大阪市住吉区にある公立小学校。通称 東粉浜小・東小(ひがしょう)。
概要
制服に指定は無いが、上は白のポロシャツ、下は紺色か黒色のスカート、半ズボンで登校。登下校時には赤白帽を着用し、班行動での移動が基本となっている。
沿革
大阪市粉浜尋常高等小学校(現在の大阪市立粉浜小学校)の児童数増加に伴い、1930年に従来の粉浜尋常高等小学校の校区(旧西成郡粉浜村)のうち南海電鉄の線路以東の地域を分離する形で、大阪市粉浜第二尋常小学校として現在地に開校した。
当初は尋常科のみを設置していたが、1939年には粉浜小学校の高等科が東粉浜小学校に移管され、大阪市粉浜第二尋常高等小学校に改称している。
1941年の国民学校への改編の際、大阪市では全域で、創立順の番号を付けた校名を廃止して地名などを取り入れた校名をつけるよう指示された。これに伴い大阪市東粉浜国民学校へと改称している。
国民学校への改編当初は初等科と高等科を併設していた。しかし大阪市では高等科について、高等科単独校へと集約する方針をとった。これに伴い西成区南部[1]の東粉浜国民学校・千本国民学校の高等科を統合し、1943年に西粉浜国民学校を開設している。これに伴い高等科は廃止され、初等科単独となった。西粉浜国民学校は学制改革で廃止され、跡地は大阪市立住吉第一中学校に転用された。
1944年以降学童集団疎開が実施され、大阪府泉南郡山滝村(現在の岸和田市)へと疎開をおこなった。
学制改革で1947年に大阪市立東粉浜小学校となった。1975年には大阪市立住吉小学校と校区の調整を実施し、帝塚山地区の一部を校区に編入している。
年表
- 1930年5月31日 - 大阪市粉浜第二尋常小学校として創立。
- 1939年4月1日 - 高等科を粉浜小学校から引き継ぐ。大阪市東粉浜尋常高等小学校に改称。
- 1941年 - 国民学校令により、大阪市東粉浜国民学校に改称。
- 1943年 - 高等科を、新設の大阪市西粉浜国民学校に移管。
- 1947年4月21日 - 学制改革に伴い、大阪市立東粉浜小学校に改称。
- 1975年 - 校区の変更。従来の大阪市立住吉小学校の校区を一部編入。
- 2010年11月6日 - 創立80周年記念式挙行。
- 2011年 - 校舎に囲まれた庭、通称「中庭」が芝生化。
- 2013年 - 校舎敷地内北側にある池、通称「ひょうたん池」の改修工事完成。
通学区域
- 大阪市住吉区 帝塚山中1-4丁目、帝塚山西1-3丁目、帝塚山西4丁目(一部)、東粉浜1-3丁目、長峡町(一部)。
- 登下校時には、地域住民の方が見守り隊として安全を確保している。
- 大阪市立住吉中学校と隣接している。
- 本校の卒業生と大阪市立住吉小学校の卒業生は基本的に大阪市立住吉中学校に進学する。
出身者
交通
関連項目
脚注
- ^ 学校所在地の東粉浜は1943年まで西成区に属していた。