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2022年10月7日 (金) 15:02時点における版
清見村立大原小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 清見村 |
設立年月日 | 1875年 |
閉校年月日 | 2002年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒509-2702 |
岐阜県高山市清見町大原600[注釈 1] | |
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清見村立大原小学校(きよみそんりつ おっぱらしょうがっこう)は、岐阜県大野郡清見村大原(現在の岐阜県高山市清見町)にあった小学校。2003年3月閉校。
概要
校舎は現在、自然体験施設「おっぱら自然体験センター」として再活用されている[1]。昭和50年代より在校生一ケタの小規模小学校となり、在校児童の生活はドキュメント映画として、過疎化に悩む小規模学校問題に一石を投じる一端ともなった。
なお、この小学校があった旧・清見村大原地区は、江戸時代の国学者田中大秀が西ウレ峠・坂本峠の2つの難関な峠の間に挟まれた集落として紹介し、旧清見村役場から50km離れた「陸の孤島」であったが、1979年に坂本トンネルが開通し飛騨せせらぎ街道の整備が進むと、道の駅パスカル清見など高原リゾートとしての開発が進んだ。
沿革
- 1875年(明治8年) - 大原小学校が開校。
- 1886年(明治19年) - 大原簡易科小学校に改称する。
- 1894年(明治27年) - 大原尋常小学校に改称する。
- 1899年(明治32年) - 楢谷分教場を設置。
- 1930年(昭和5年) - 大原尋常高等小学校に改称する。
- 1939年(昭和14年) - 小原分教場を設置。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 大原国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 清見村立大原小学校に改称する。
- 1950年(昭和25年) - 小原分校を廃止。
- 1970年(昭和45年) - 楢谷冬季分校を廃止。
- 2002年(平成14年)3月 - 廃校。
脚注
- ^ 現在の住所表記
参考文献
- 清見村誌 下巻 (清見村誌編集委員会編 1976年) P.58 - 121