「岡山市立岡山中央小学校」の版間の差分
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2022年10月7日 (金) 16:38時点における版
岡山市立岡山中央小学校 | |
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北緯34度40分15秒 東経133度55分42秒 / 北緯34.670972度 東経133.92825度座標: 北緯34度40分15秒 東経133度55分42秒 / 北緯34.670972度 東経133.92825度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岡山市 |
併合学校 |
岡山市立岡山中央南小学校 岡山市立岡山中央北小学校 |
設立年月日 | 2005年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B133210003838 |
所在地 | 〒700-0817 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岡山市立岡山中央小学校(おかやましりつ おかやまちゅうおうしょうがっこう)は、岡山県岡山市北区弓之町にある公立小学校。
概要
学校がある場所は、江戸時代の初めにつくられた侍町で、岡山城の北西にあり弓衆の屋敷があったことから弓之町の名が残っている[1][2] [3]。西日本旅客鉄道(JR西日本)岡山駅からは、北東に徒歩約20分(1.5キロメートル)の市街地にあり、県立美術館、岡山地方裁判所、県立博物館、後楽園も近い。開校は古く、1872年 (明治5年)にさかのぼるが2001年 (平成13年) まで統合を繰り返した。少子化と市内中心部の人口空洞化などにより児童数が減少したため、2005年 (平成17年) には1校に統合された。目の教室、聞こえの教室、和室の日本語教室、知的障害者のためのひまわり学級の特別学級がある。屋根にソーラーパネルを設置して周辺を緑化するなど、環境問題にも取り組んでいる。
沿革
- 1872年 (明治5年) - 第一学問所を開校。
- 1872年 (明治5年) - 第二学問所を開校。
- 1877年 (明治10年) - 第二学問所を弘西小学校に校名を改称。
- 1887年 (明治20年) - 岡山区高等岡山小学校を開校。
- 1893年 (明治26年) - 第一学問所は深柢尋常小学校に校名を改称。
- 1908年 (明治41年) - 岡山区高等岡山小学校を内山下尋常高等小学校と校名を改称。
- 1923年 (大正12年) - 南方尋常小学校として弘西小学校より分離開校。
- 1947年 (昭和22年) - 弘西小学校を南方小学校と校名を改称。
- 2001年 (平成13年) 4月1日 - 市立内山下小学校と市立深柢小学校を統合して、岡山市立岡山中央南小学校と改称。深柢小学校校舎をそのまま利用。
- 2001年 (平成13年) 4月1日 - 市立弘西小学校と市立南方小学校を統合して、岡山市立岡山中央北小学校と改称。旧南方小学校校舎をそのまま利用。
- 2005年 (平成17年) 4月1日 - 市立岡山中央南小学校と市立岡山中央北小学校を統合して、岡山市立岡山中央小学校と改称。旧弘西小学校の跡地に校舎を新築。
- 2014年 (平成26年) 11月 - 創立10周年記念式典。
教育目標
愛、学び、喜び
設備
エレベーターや自動ドアなどの設備にユニバーサルデザインを採用し、車いす用トイレや点字ブロックを整備してバリアフリーを図っている。オープンスペースを取り入れた普通科教室は、廊下と教室に境目がなく床表面仕上げ材に木材を用いている。校庭は狭く、冬季は屋根付きプールを底上げすることで第二の体育館として利用している。屋上の畑でジャガイモなどを、池ではフナやメダカなどを飼育している。
主な進学先
脚注
- ^ “岡山歴史のまちしるべ多言語版 (C07弓之町)”. 岡山市. 2019年10月25日閲覧。
- ^ “旧鷹匠町 [現、天神町・弓之町・出石町一丁目”. 岡山市. 2019年10月25日閲覧。
- ^ “旧 難波町 [現、富田町二丁目・蕃山町・弓之町”. 岡山市. 2019年10月25日閲覧。