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2022年10月7日 (金) 17:04時点における版
福岡市立大名小学校 | |
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過去の名称 |
大名尋常小学校 大名男子尋常小学校 大名女子尋常小学校 大名国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 福岡市 |
設立年月日 | 1873年(明治6年) |
閉校年月日 | 2014年(平成26年)3月[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒810-0041 |
福岡県福岡市中央区大名二丁目6番11号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
福岡市立大名小学校(ふくおかしりつ だいみょうしょうがっこう)は、福岡県福岡市中央区大名二丁目にあった公立小学校。
概要
福岡市内では最古の小学校のうちの一つだったが、郊外への人口流出や少子化等による児童数減少から2014年(平成24年)3月に閉校し、近隣の小中学校と統合され新たな市立の小中連携校として再出発することになった[1]。
福岡市の繁華街である天神の西側にあるため、再開発構想「天神ビッグバン」の一環として、福岡市が跡地活用を事業者を公募。2018年3月に優先交渉権者を決める予定である[2]。2015年(平成26年)1月29日に「旧大名小学校跡地まちづくり構想検討委員会」の第1回目の会合が開かれ、跡地利用の検討を始めていた[3]。
歴史
- 1873年(明治6年) - 開校
- 1887年(明治20年) - 橋口尋常小学校、薬院尋常小学校を分離
- 1894年(明治27年) - 橋口尋常小学校、薬院尋常小学校を合併
- 1912年(大正元年) - 簀子尋常小学校を分離
- 1929年(昭和4年) - 現校舎完成
- 1941年(昭和16年) - 大名国民学校に改称
- 1953年(昭和28年) - 福岡市立赤坂小学校を分離
- 1961年(昭和36年) - 福岡市立舞鶴小学校を分離
- 2014年(平成26年)
- 3月 - 児童数減少により閉校[1]。嘗て分離した簀子・舞鶴の両小学校に加え福岡市立舞鶴中学校とも統合され、「福岡市立舞鶴小中学校」となる。新校舎は旧舞鶴小校舎を解体して建設。
- 8月から2016年3月まで、旧大名小学校校舎は、福岡雙葉小学校の仮校舎として利用されていた。
- 2016年(平成28年)- 4月14日に発生した熊本地震に際し、市民・企業からの救援物資受け入れ場所として利用(4月24日まで)。
- 2017年(平成29年)4月12日 - 福岡市、福岡地所、さくらインターネット、アパマンショップホールディングスが、官民共働型スタートアップ支援施設「FUKUOKA growth next(フクオカグロースネクスト)」を開設。
交通アクセス
著名な出身者
脚注
- ^ a b c d 斎藤毅(2014年3月27日). “憂楽帳:母校の閉校”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 旧大名小学校跡地活用の事業者公募の実施について福岡市ホームページ(2017年12月14日閲覧)
- ^ 下原知広(2015年1月30日). “旧大名小跡地:構想検討委、15年度の早期に活用方針まとめ”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ https://tenjin.keizai.biz/headline/3128/
関連項目
- 福岡県小学校一覧
- 福岡IT講師殺害事件 - 廃校後の2018年6月24日に当校舎で起きた殺人事件。