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2022年10月7日 (金) 19:01時点における版
坂井市立高椋小学校 | |
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過去の名称 |
高椋尋常高等小学校 高椋村国民学校 高椋村立高椋小学校 丸岡町立高椋小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 坂井市 |
設立年月日 | 1872年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B118210001250 |
所在地 | 〒910-0351 |
福井県坂井市丸岡町寅国2番地13 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
坂井市立高椋小学校(さかいしりつ たかぼこしょうがっこう)は、福井県坂井市丸岡町寅国にある公立小学校。
沿革
- 1872年(明治5年)7月 - 蓮長寺(儀間)に儀間小学校を創立。
- 1873年(明治6年) - 西照寺(牛ヶ島)に牛ヶ島小学校を、善教寺(一本田)に一本田小学校を創立。
- 1874年(明治7年) - 儀間小学校を思問小学校と改称。一本田小学校を郁文小学校と改称。
- 1875年(明治8年) - 白山神社(舟寄)に知津小学校を創立。
- 1880年(明治13年) - 油為頭神社(油為頭)に明章小学校を創立。
- 1883年(明治16年) - 郁文小学校を西瓜屋と一本田に分立。
- 1886年(明治19年) - 両分立校が郁文小学校に再び合併。明章小学校を板倉に移転。
- 1893年(明治26年) - 牛ヶ島小学校が廃校。
- 1894年(明治27年) - 各小学校を尋常小学校に改称。
- 1899年(明治32年) - 明章尋常小を第一高椋尋常小学校に、思問尋常小を第二高椋尋常小学校に、郁文尋常小を第三高椋尋常小学校に、知津尋常小を第四高椋尋常小学校に、各々改称。
- 1909年(明治42年) - 第三高椋尋常小学校を今福に新築移転。
- 1912年(大正元年) - 第一高椋尋常小を高椋東尋常小学校に、第三高椋尋常小を高椋西尋常小学校に、第二高椋尋常小を儀間分教場に、第四高椋尋常小を舟寄分教場に、各々改称。
- 1922年(大正11年) - 高椋西尋常小学校に高等科を併置し、高椋西尋常高等小学校と改称。
- 1925年(大正14年) - 儀間分教場を廃止。
- 1926年(大正15年) - 東西両校を統合、高椋尋常高等小学校と改称、寅国に新築。
- 1941年(昭和16年) - 高椋村国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革により、高椋村立高椋小学校となる。
- 1948年(昭和23年) - 福井震災により全校舎倒壊。
- 1949年(昭和24年) - 新・本校舎及び講堂、板倉分校、舟寄分校が竣工。
- 1955年(昭和30年) - 町村合併により丸岡町立高椋小学校と改称。
- 1979年(昭和54年) - 舟寄分校を本校に統合。
- 1985年(昭和60年) - 板倉分校休校、分校の児童は本校へ。
- 1992年(平成4年) - 明章小学校の新設に伴い、板倉分校が閉校。本校児童の一部が明章小へ転学。
- 2006年(平成18年) - 坂井市発足により、現校名へ改称。
通学区域
- 西瓜屋(1字を除く)・西里丸岡(2字~9字、11字を除く)・一本田中(21字、23~26字、28~36字、38字、40字~48字を除く)・一本田(1字~3字、4字の一部を除く)・笹和田・舟寄・長崎・今福・八ッ口・高柳(16字を除く)・吉政・儀間・牛ケ島・新間・寅国・猪爪(1字、5字の一部、26字を除く)・猪爪1丁目・猪爪2丁目・猪爪3丁目の一部・猪爪4丁目の一部・猪爪5丁目の一部・猪爪6丁目・猪爪7丁目・猪爪9丁目・小黒(73字、74字)[1]
進学先中学校
アクセス
- 京福バス
- 31 丸岡線(明道中学校前・森田経由)「西瓜屋」下車。
- 32 丸岡線(町屋町・森田経由)「西瓜屋」下車。
- 36 県立病院・丸岡線「西瓜屋」下車。
学校周辺
関係者
出身者
- 中野重治(プロレタリア文学作家・参議院議員、1908年(明治41年)第三高椋小学校入学、卒業時には高椋西小学校に改称されていた)
脚注
- ^ a b “坂井市内の小・中学校通学区域”. 坂井市. 2016年7月9日閲覧。