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2022年10月8日 (土) 00:58時点における版
多治見市立笠原小学校 | |
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北緯35度17分20秒 東経137度09分50秒 / 北緯35.28877度 東経137.164度座標: 北緯35度17分20秒 東経137度09分50秒 / 北緯35.28877度 東経137.164度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 多治見市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B121220400135 |
所在地 | 〒507-0901 |
岐阜県多治見市笠原町3387-9 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
多治見市立笠原小学校(たじみしりつ かさはらしょうがっこう)は、岐阜県多治見市笠原町にある公立小学校。
通学区域
- 通学区域は笠原町全域であり、公立中学校の進学先は多治見市立笠原中学校である[1]。
沿革
- 1873年(明治6年)5月14日 - 求英義校が開校。廃寺になった日光寺を仮校舎とする[注釈 1]。
- 1877年(明治10年) - 求英学校に改称する。
- 1879年(明治12年) - 求英小学校に改称する。
- 1884年(明治17年) - 滝呂分教場を設置[注釈 2]。
- 1886年(明治19年) - 笠原尋常小学校に改称する。滝呂分教場が滝呂簡易科小学校として独立。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 土岐郡笠原村が発足。
- 1891年(明治24年) - 移転。
- 1901年(明治34年) - 笠原尋常高等小学校に改称する。
- 1907年(明治40年) - 滝呂尋常小学校を統合する。滝呂分教場を設置。
- 1910年(明治43年) - 新築移転[注釈 3]。
- 1923年(大正12年)10月10日 - 笠原村が町制施行して笠原町となる。
- 1936年(昭和11年)1月 - 笠原第一尋常高等小学校に改称する。滝呂分教場が笠原第二尋常小学校となり独立。
- 1941年(昭和16年) - 笠原第一国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年) - 笠原町立笠原第一小学校に改称する。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 笠原町が多治見市に編入される。同時に多治見市立笠原小学校に改称する。
- 1952年(昭和27年)
- 4月1日 - 旧・笠原町のうち、滝呂地区を除く区域が多治見市から分立、笠原村が発足。同時に笠原村立笠原小学校に改称する。
- 8月1日 - 笠原村が町制施行し、笠原町となる。同時に笠原町立笠原小学校に改称する。
- 1966年(昭和41年) - 現在地に新築(鉄筋コンクリート造)移転。
- 1970年(昭和45年) - 校舎を増築。
- 1974年(昭和49年) - 校舎を増築。
- 2006年(平成18年)1月23日 - 笠原町が多治見市に編入される。同時に多治見市立笠原小学校に改称する。
出身著名人
注釈
- ^ 江戸時代末期から明治5年までは、寺小屋が設置されていた寺院。求英義校開校前に廃寺。
- ^ 認可された年。滝呂地区には1873年に未認可校として弘道館が設置されていた。
- ^ 旧所在地の跡地には笠原町役場が建てられ、2006年から2014年は多治見市役所笠原庁舎として使用された。2016年には多治見市モザイクタイルミュージアムが開館した。
脚注
関連項目
参考文献
- 『笠原町史 その五 かさはらの歴史』笠原町、1993年、pp. 290-312、pp. 550-565