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「新宿区立余丁町小学校」の版間の差分

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2022年10月8日 (土) 04:56時点における版

新宿区立余丁町小学校
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北緯35度41分57秒 東経139度42分58秒 / 北緯35.69904度 東経139.71602度 / 35.69904; 139.71602座標: 北緯35度41分57秒 東経139度42分58秒 / 北緯35.69904度 東経139.71602度 / 35.69904; 139.71602
過去の名称 余丁町尋常小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 新宿区
設立年月日 1902年〈明治35年〉4月19日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B113210400092 ウィキデータを編集
所在地 162-0056
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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新宿区立余丁町小学校(しんじゅくくりつ よちょうまちしょうがっこう)とは、東京都新宿区に所在する公立小学校である。

概要

  • 本校は1902年〈明治35年〉、当時の東京府東京市牛込区大久保余丁町に設置された。
  • 本校在所の地は江戸時代江戸幕府第5代将軍徳川綱吉公が発せられた「生類憐れみの令」により建てられた犬の保護施設「大久保犬御用屋敷」が在った場所である[1]
  • 東京市の人口増などの為、数度にわたる学区域変更が行われている。
  • 戦中戦後の混乱で学校が一時廃校に追い込まれた時期があったが、関係者らの奔走により復活した経緯がある[2]
  • 2022年に開校120年を迎え、学校公式キャラクター「きら星くん」[3]も制定されるなど、発展の歩みを止めない学校でもある。

沿革

  • 1902年〈明治35年〉4月19日 - 開校。
  • 1945年〈昭和20年〉4月13日 - 大東亜戦争に於いて、アメリカ軍の空爆(城北大空襲)を受け、校舎が焼失せる。
  • 1945年〈昭和20年〉9月24日 - 牛込仲之国民学校(現在の新宿区立牛込仲之小学校)に統合さる。
  • 1946年〈昭和21年〉3月28日 - 閉校。
  • 1952年〈昭和27年〉9月19日 - 本校の再興が東京都より認可さる。
  • 1956年〈昭和31年〉5月11日 - 本校が再興し、開校式典を挙行せる。
  • 2001年〈平成13年〉10月20日 - 開校100周年記念式典を挙行せる。

教育支援

本校は東京女子医科大学病院と連携し、院内学級「わかまつ学級」を設置し、同病院に入院を余儀なくされている小学生を対象とした学校教育支援(病児教育)を実施している[4]

脚注

外部リンク