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{{Infobox 芸術家
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}}
[[ファイル:Wood Grant autograph.png|右|フレームなし]]
'''グラント・ウッド'''(Grant Wood, [[1891年]][[2月13日]] - [[1942年]][[2月12日]])は[[アメリカ合衆国]][[アイオワ州]]出身の画家。近代の造形意識による精緻な写実様式に特徴がある。
'''グラント・デヴォルソン・ウッド'''(Grant DeVolson Wood、[[1891年]][[2月13日]] - [[1942年]][[2月12日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[画家]]である。{{仮リンク|リージョナリズム (美術)|label=リージョナリズム|en|Regionalism (art)}}の代表的な人物であり、[[アメリカ合衆国中西部|アメリカ中西部]]の田舎を描いた絵画で知られる。代表作は1930年の『[[アメリカン・ゴシック]]』で、[[20世紀]]初頭の{{仮リンク|アメリカ合衆国の美術|label=アメリカ美術|en|Visual art of the United States}}の象徴的な作品となっている<ref name=fineman />。


== 略歴 ==
== 若年期 ==
[[File:Grant wood boyhood home.jpg|thumb|right|アイオワ州[[シーダーラピッズ]]にあるウッドが若年期に住んでいた家。アイオワ州における危機史跡の一つとなっている<ref>[[Preservation Iowa]], [http://www.preservationiowa.org/programs/endangeredArchive.php?endangered_year=2008 2008 Most Endangered Properties] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160105095015/http://www.preservationiowa.org/programs/endangeredArchive.php?endangered_year=2008|date=January 5, 2016}}</ref>。]]
[[アイオワ州]][[ジョーンズ郡 (アイオワ州)|ジョーンズ郡]]のアナモサの[[クエーカー]]の農場主の家に生まれた。1901年に父親を亡くし、家族は[[シーダーラピッズ]]に移った。地元の金属会社で働くが、絵に才能と興味を示し、ミネアポリスの工芸学校(Handicraft Guild)に学び、1913年から[[シカゴ美術館附属美術大学]]の夜間コースで学ぶが卒業できなかった。第一次世界大戦中は陸軍で、軍用車両の迷彩のデザインの仕事をした。退役後はシーダーラピッズに戻り、中学校の美術教師となった。
ウッドは[[アイオワ州]]の田舎である[[ジョーンズ郡 (アイオワ州)|ジョーンズ郡]]{{仮リンク|アナモサ (アイオワ州)|label=アナモサ|en|Anamosa, Iowa}}の東約6キロメートルのところにある農場主の家に1891年2月13日に生まれた<ref>{{Cite journal|url=https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/444481|doi = 10.1086/444481|title = Grant Wood's Family Album|year = 2005|last1 = Taylor|first1 = Sue|journal = American Art|volume = 19|issue = 2|pages = 48–67|s2cid = 222326516}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://uipress.lib.uiowa.edu/bdi/DetailsPage.aspx?id=416|title = Details Page - the Biographical Dictionary of Iowa - the University of Iowa Libraries|accessdate=2024-10-01}}</ref>。1901年に父が亡くなり、母は一家で[[シーダーラピッズ]]に移った。その後間もなく、ウッドは地元の金属製品工場で見習いとして働き始めた。地元のワシントン高校を卒業後、1910年に[[ミネソタ州]][[ミネアポリス]]の工芸学校である{{仮リンク|ハンドクラフト・ギルド|en|Handicraft Guild}}に入った<ref name=Phoenix>{{cite news|title=Review: It's no joke: Grant Wood is truly a great artist |url=http://thephoenix.com/boston/news/113884-review-its-no-joke-grant-wood-is-truly-a-great-/#ixzz2HMJHjm1c |accessdate=2024-10-02|newspaper=[[The Phoenix (newspaper)|The Phoenix]] |location=Boston |date=June 6, 2011 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131220110605/http://thephoenix.com/boston/news/113884-review-its-no-joke-grant-wood-is-truly-a-great-/ |archivedate=20 December 2013 }}</ref>。


1913年、ウッドは[[シカゴ美術館附属美術大学]]の夜間クラスに入学し<ref name=Phoenix/>、[[銀細工職人]]になった。[[第一次世界大戦]]の終戦間際にウッドは[[アメリカ陸軍]]に入隊し、軍用車両の迷彩などのデザインの仕事をした<ref>{{Cite web|title=Artist Info|url=https://www.nga.gov/collection/artist-info.1982.html|access-date=2021-07-02|website=www.nga.gov}}</ref>。
1920年の夏、友人の画家コーン(Marvin Cone)とパリを旅し、1923年から1924年の間、パリの美術学校、[[アカデミー・ジュリアン]]で学び、イタリアの[[ソレント]]を旅した。パリで1926年の夏、展覧会を開くが成功しなかった。ヨーロッパでは、印象派などの、さまざまな絵画スタイルに親しんだが、[[ヤン・ファン・エイク]]などの、伝統的なオランダ絵画に強い印象をもった。


==キャリア==
1927年に、シーダーラピッズの退役軍人記念館の大きなステンドグラスを依頼され、この仕事のために1928年にミュンヘンを訪れたのが最後のヨーロッパ旅行となった。美術館の[[アルテ・ピナコテーク]]をしばしば訪れ、ゴシック様式やルネッサンス初期の絵画を学んだ。
退役後は故郷のシーダーラピッズに戻り、1919年から1925年まで公立学校で中学生に美術を教えた<ref name=Phoenix/>。これにより安定した収入を得、また、教師には長期休暇があるため、たびたびヨーロッパへ旅行した。1922年から1928年までの間にウッドはヨーロッパへ4回渡航し、そこで様々な絵画スタイル、特に[[印象派]]や[[ポスト印象派]]を学んだ。1923年から1924年にかけては1年間休職して2回目の渡欧を行い<ref name=Phoenix/><ref>{{Cite book |last=Dennis |first=James M |title=Grant Wood; A Study in American Art and Culture |publisher=Viking Press |year=1975 |location=New York |pages=27–28}}</ref>、[[パリ]]の美術学校[[アカデミー・ジュリアン]]で学んだ。1926年の夏に3回目の渡欧をした際には、パリの画廊で個展を開く<ref name=Phoenix/>が成功しなかった。その後、15世紀のフランドル派の画家[[ヤン・ファン・エイク]]の作品の影響を受け、その技法を取り入れた。1927年に、シーダーラピッズの退役軍人記念館の[[ステンドグラス]]の制作を依頼され、この仕事のために1928年に[[ドイツ]]・[[ミュンヘン]]を訪れたのが4回目かつ最後の渡欧となった<ref>{{Cite news |date=September 23, 2005 |title=In the Know; European Journeys |pages=2A |work=The Gazette |publication-place=Cedar Rapids, Iowa |via=NewspaperArchive}}</ref>。この際に美術館の[[アルテ・ピナコテーク]]をしばしば訪れ、ゴシック様式やルネッサンス初期の絵画を学んだ<ref name=Phoenix/>。


1932年、[[世界恐慌]]で苦しむ芸術家たちを支援するために、ウッドはシーダーラピッズの近くに芸術家村「{{仮リンク|ストーン・シティ・アート・コロニー|en|Stone City Art Colony}}」を設立する支援を行った。ウッドは{{仮リンク|リージョナリズム (美術)|label=リージョナリズム|en|Regionalism (art)}}を強く支持し<ref>{{cite web |url=http://www.artnet.com/Galleries/Artists_detail.asp?gid=267&aid=18073 |archive-url=https://web.archive.org/web/20061019042017/http://www.artnet.com/Galleries/Artists_detail.asp?gid=267&aid=18073 |archive-date=October 19, 2006 |title=Grant Wood: Biography |publisher=CornerHouse Gallery (Cedar Rapids, Iowa). Via [[Artnet|Artnet.com]]|accessdate=2024-10-01}}</ref>、リージョナリズムに関する講演を全米で行った<ref>{{cite web |last1=Collins |first1=Neil |title=Grant Wood (1892-1942) |url=http://www.visual-arts-cork.com/famous-artists/grant-wood.htm |website=visual-arts-cork.com |access-date=January 12, 2020}}</ref>。それによりウッドは「古典的なアメリカ人」として見られるようになり、かつてパリでボヘミアン的な生活をしていたということは隠されるようになった<ref name="Maslin">Maslin, Janet (October 3, 2010). "[https://nytimes.com/2010/10/04/books/04book.html Behind That Humble Pitchfork, a Complex Artist]" (review of R. Tripp Evans, ''Grant Wood: A Life''). ''The New York Times''. Retrieved May 26, 2018.</ref>。
1933年に芸術家村「Stone City Art Colony」を設立し、大不況下の芸術家のために貢献し、1934年からは[[アイオワ大学]]の美術学校で講師を務めた。


1933年、ウッドは[[ニューディール政策]]の{{仮リンク|公共芸術プロジェクト|en|Public Works of Art Project}}(PWAP)のディレクターに任命され、[[アイオワシティ]]に拠点を置き、アイオワ州[[エイムズ (アイオワ州)|エイムズ]]の[[アイオワ州立大学]]の壁画作成に携わりつつ、[[アイオワ大学]]と連携しながらアーティストや美学生を支援した。1934年にPWAPが終了すると、ウッドは3年の任期でアイオワ大学の美術の助教授に就任した。任期終了後も1941年まで同大学の美術学部で絵画を教えていた。
== 作品 ==
*[[アメリカン・ゴシック]] (1930年、[[シカゴ美術館]])
*革命の娘たち (1932年)


==作品==
{{Gallery
[[File:Iowa quarter, reverse side, 2004.jpg|thumb|right|2004年にアイオワ州が発行した[[50州25セント硬貨]]。図柄はウッドの絵画"''Arbor Day''"の一部。]]
|width=200
ウッドは若い頃から亡くなるまで、精力的に絵を描き続け、[[リトグラフ]]、インク、木炭、陶器、金属、木材、[[レディメイド]]など様々な素材を使って制作していた。生涯を通じて、アイオワ州の多くの企業のために絵を描き、それにより安定した収入を得ていた。
|height=160
|lines=2
|File:Grant Wood - American Gothic - Google Art Project.jpg|「[[アメリカン・ゴシック]]」 (1930)
|File:Midnight ride.jpg|''Midnight Ride of Paul Revere'' (1931)
|File:Daughters of Revolution.jpg|「革命の娘たち」 (1932)
|File:Parson Weems' Fable.jpg|''Parson Weems' Fable'' (1939)
}}


===リージョナリズム===
== 外部リンク ==
ウッドはアメリカにおける{{仮リンク|リージョナリズム (美術)|label=リージョナリズム|en|Regionalism (art)}}の代表的な画家である。リージョナリズムとは、主にアメリカ中西部で発生した、ヨーロッパの抽象絵画を攻撃的に拒絶し、アメリカの農村を題材とした具象絵画を推進する運動である<ref name="aic" />。
*[http://www.crma.org/collection/wood/wood.htm Cedar Rapids Museum of Art biography of Grant Wood]

ウッドはリージョナリズムの中心人物であり、他の中心人物である[[ジョン・スチュアート・カリー]]と[[トーマス・ハート・ベントン (画家)|トーマス・ハート・ベントン]]は、ウッドの勧めと支援により、1930年代にそれぞれウィスコンシン州とミズーリ州の大学で教職に就く機会を得たことで中西部に戻ってきた。ベントン、カリーやその他のリアリズム派の芸術家たちとともに、ウッドの作品は長年にわたり、ニューヨークのギャラリー「{{仮リンク|アソシエイテッド・アメリカン・アーティスト|en|Associated American Artists}}」を通じて販売されていた。

ウッドはシーダーラピッズの後援者とみなされており、2004年にアイオワ州が発行した[[50州25セント硬貨]]には、ウッドが幼少期に通った学校をモデルとしたウッドの絵画"''Arbor Day''"の一部が描かれている。

===『アメリカン・ゴシック』===
{{main|アメリカン・ゴシック}}
[[File:Grant Wood - American Gothic - Google Art Project.jpg|thumb|『[[アメリカン・ゴシック]]』(1930年、[[シカゴ美術館]]所蔵)]]
ウッドの作品の中で最も知られているのは、1930年に描かれた『[[アメリカン・ゴシック]]』である<ref name="kendall" />。この作品は、アメリカ美術における有名な絵画の中の一つであり<ref name="aic" />、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の『[[モナ・リザ]]』や[[エドヴァルド・ムンク]]の『[[叫び (エドヴァルド・ムンク)|叫び]]』に並ぶほどの広く認知された文化的な象徴となった数少ない作品である<ref name="fineman">Fineman, Mia, [http://www.slate.com/id/2120494/ The Most Famous Farm Couple in the World: Why American Gothic still fascinates.], ''[[Slate (magazine)|Slate]]'', June 8, 2005</ref>。

ウッドはこの作品を1930年に[[シカゴ美術館]]の展覧会に出品し、シカゴ美術館に購入されて現在も同美術館に所蔵されている。ウッドはこの展覧会で300ドルの賞金を獲得し、全米でニュース記事に取り上げられたことで一躍有名になった。それ以来、この作品は広告や漫画、写真などで盛んに[[パロディ]]化されてきた<ref name="aic">[http://www.artic.edu/artaccess/AA_Modern/pages/MOD_5.shtml "Grant Wood"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111031043330/http://www.artic.edu/artaccess/AA_Modern/pages/MOD_5.shtml|date=October 31, 2011}}, [[Art Institute of Chicago]]. Retrieved December 14, 2008.</ref><ref name="kendall">Kendall, Sue M., "Wood, Grant", Oxford Art Online (subscription). Retrieved December 14, 2008.</ref>。

[[ガートルード・スタイン]]や{{仮リンク|クリストファー・モーリー|en|Christopher Morley}}などの、この作品に好意的だった美術批評家たちは、この作品はアメリカの田舎の小さな町での抑圧感や視野の狭さを風刺したものだと考えていた。当時、[[シャーウッド・アンダーソン]]の小説『[[ワインズバーグ・オハイオ]]』(1919年)、[[シンクレア・ルイス]]の『[[本町通り (小説)|本町通り]]』(1920年)、[[カール・ヴァン・ヴェクテン]]の『{{仮リンク|刺青のある伯爵夫人|en|The Tattooed Countess}}』(1924年)などのように、アメリカの田舎を批判的に描く傾向が強まる流れがあり、この作品もその一部として理解された<ref name="fineman" /><ref name="aic" />。しかし、ウッド自身はその解釈を否定した<ref name="aic" />。この作品が描かれてからすぐに[[世界恐慌]]が深刻化すると、この作品は[[西部開拓時代]]の揺るぎない開拓者精神を描いたものだとみなされるようになった<ref name="kendall" />。

ウッドはアイオワ州{{仮リンク|エルドン (アイオワ州)|label=エルドン|en|Eldon, Iowa}}で「{{仮リンク|アメリカン・ゴシック・ハウス|label=ディブル邸|en|American Gothic House}}」と呼ばれるカーペンター・ゴシック様式の小さな白い家を見つけ、この家を描きたいと考えた<ref name="aic" />。そして、「その家にはこんな人たちが住んでいるはずだ」とウッドが想像した人々と一緒に描くことにした<ref name="fineman" />。モデルとなったのは、ウッドの妹のナンと、ウッド家のかかりつけ歯科医である<ref name="aic" />。描かれた2人はよく夫婦であるとみなされるが、ウッドは親子のつもりだと主張している。

この作品の構図の厳格さと詳細な技法は、ウッドがヨーロッパを訪れたときに見た[[北方ルネサンス]]の絵画に由来するものである。この作品以降、ウッドはアメリカ中西部の独自の遺産をさらに意識するようになり、それが作品にも反映された。これはリージョナリズムの重要なイメージである<ref name="aic" />。

1940年、[[ユージン・オニール]]の戯曲を映画化した『[[果てなき航路]]』の撮影中、ウッドを含む8人の当時アメリカで著名あったアーティストに、この映画をモチーフとした作品の制作が依頼され、ウッドは『{{仮リンク|センチメンタル・バラード (絵画)|label=センチメンタル・バラード|en|Sentimental Ballad (painting)}}』を描いた<ref>{{Cite web |url=http://thenedscottarchive.com/hollywood/films/the-long-voyage-home.html |title="Cover Article, American Artist Magazine, September, 1940, pp. 4-14" |access-date=December 15, 2013 |archive-date=May 24, 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190524020022/https://www.thenedscottarchive.com/hollywood/films/the-long-voyage-home.html |url-status=dead }}</ref>。

==私生活==
ウッドは[[同性愛]]者だった。ウッド自身はそれを[[クローゼット (性的指向)|公表していなかった]]が、批評家の[[ジャネット・マスリン]]によれば、ウッドの友人たちは彼が同性愛者であることを知っていたという<ref name="Maslin" />。アイオワ大学助教授時代、同僚のレスター・ロングマンは、道徳的な理由とリージョナリズムをウッドが擁護していたという理由から、ウッドを解任させようとしたが失敗に終わった<ref name="Schjeldahl">{{cite journal |last1=Schjeldahl |first1=Peter |date=March 12, 2018 |title=Beyond American Gothic |url=https://www.newyorker.com/magazine/2018/03/12/beyond-american-gothic |journal=New Yorker |access-date=January 12, 2020}}</ref>。大学当局はロングマンの訴えを退けており、健康上の問題がなければウッドは教授として大学に復帰していたはずだった<ref>{{cite web |last1=Evans |first1=R. Tripp |date=October 10, 2010 |title=Departmental Gothic: Grant Wood at the U. of Iowa |url=https://www.chronicle.com/article/departmental-gothic-grant-wood-at-the-u-of-iowa/ |website=[[The Chronicle of Higher Education]]|accessdate=2024-10-01}}</ref>。

ウッドは1935年にサラ・シャーマン・マクソンと結婚したが、これは社会的体裁を保つための偽装結婚と見られ、ウッドの友人たちは、この結婚は彼にとっての過ちだと考えていた<ref>Winslow, Art (October 22, 2010). "[http://www.chicagotribune.com/entertainment/books/chi-books-review-grant-wood-evans,0,95980.story Review of R. Tripp Evans, ''Grant Wood: A Life'']. ''Chicago Tribune''. Retrieved May 26, 2017.</ref>。サラとは、3年後の1938年に離婚した。

[[File:The-first-three-degrees-of-freemasonry-grant-wood.jpg|thumb|260x260px|『フリーメイソンの最初の3階級』(1921年)]]
ウッドは[[フリーメイソン]]であり、1921年から1924年までシーダーラピッズのマウント・ハーモン・ロッジの263番目の会員だった<ref>{{Cite web |title=Freemason {{!}} Mt. Hermon #263 {{!}} Cedar Rapids |url=https://www.mthermonlodge263.com/ |access-date=2021-07-01 |website=Mt. Hermon #263 |language=en}}</ref><ref>{{Cite web |title=First Three Degrees of Freemasonry by Grant Wood – The Square Magazine |url=https://www.thesquaremagazine.com/mag/article/202205first-three-degrees-of-freemasonry-by-grant-wood/ |access-date=2024-02-05 |language=en-GB}}</ref>。第3階級の儀式を受けた後、1921年に『フリーメイソンの最初の3階級』(''The First Three Degrees of Freemasonry'')を描いた<ref>{{cite web |title=The First Three Degrees of Freemasonry, 1921 |url=https://fineartamerica.com/featured/the-first-three-degrees-of-freemasonry-1921-grant-wood.html |access-date=January 13, 2021 |website=Fine Art America}}</ref>。しかし、1924年3月に会費を支払わなかったため会員資格を停止され、それ以降フリーメイソンと関わることはなかった<ref>{{Cite web |title=First Three Degrees of Freemasonry by Grant Wood – The Square Magazine |url=https://www.thesquaremagazine.com/mag/article/202205first-three-degrees-of-freemasonry-by-grant-wood/ |access-date=2024-02-05 |language=en-GB}}</ref>。

ウッドは1942年2月12日、51歳の誕生日の前日に、アイオワシティの大学病院で[[膵癌]]により死去した<ref>{{cite news |author=Deborah Solomon |author-link=デボラ・ソロモン |date=October 28, 2010 |title=Gothic American |url=https://www.nytimes.com/2010/10/31/books/review/Solomon-t.html |newspaper=The New York Times}}</ref>。遺体は、出生地であるアナモサのリバーサイド墓地に埋葬された<ref>Wilson, Scott. ''Resting Places: The Burial Sites of More Than 14,000 Famous Persons'', 3d ed.: 2 (Kindle Location 51786). McFarland & Company, Inc., Publishers. Kindle Edition.</ref>。

==遺産==
[[File:1980_Grant_Wood_One-Ounce_Gold_Medal_(obv).jpg|thumb|150px|グラント・ウッドの肖像が刻まれた1980年発行の{{仮リンク|アメリカ芸術記念メダル|en|American Arts Commemorative Series medallions}}]]
ウッドの死後、その遺産は妹の{{仮リンク|ナン・ウッド・グラハム|en|Nan Wood Graham}}(『アメリカン・ゴシック』に描かれた女性)が相続した。ナンが1990年に亡くなると、ウッドの作品や私物を含むナンの遺産は、アイオワ州[[ダベンポート (アイオワ州)|ダベンポート]]の{{仮リンク|フィッジ美術館|en|Figge Art Museum}}の所有となった。

[[第二次世界大戦]]中に建造された[[リバティ船]]の中の一隻に「[[:en:SS Grant Wood|グラント・ウッド]]」があった。

1975年、ジム・ヘイズがアイオワシティのコート・ストリート1142番地にあるウッドが住んでいた家({{仮リンク|オークス=ウッド・ハウス|en|Oakes-Wood House}})を購入した。この家は、1978年に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]に登録された。ヘイズはこの家に隣接した土地も購入し、ウッドが生前に設立しようとしたストーン・シティのような芸術家村をモデルにした「グラント・ウッド・アート・コロニー」を設立した。

{{-}}

==ギャラリー==
<gallery mode="packed" heights="180">
File:Midnight Ride of Paul Revere.jpg|『{{仮リンク|ポール・リビアの真夜中の騎行 (絵画)|label=ポール・リビアの真夜中の騎行|en|The Midnight Ride of Paul Revere (painting)}}』<br/>''The Midnight Ride of Paul Revere''<br/>1931年、[[メトロポリタン美術館]]所蔵
File:Daughters of Revolution.jpg|『[[革命の娘たち]]』<br/>''Daughters of Revolution''<br/>1932年、[[シンシナティ美術館]]所蔵
File:Parson Weems' Fable.jpg|『ウィームズ牧師の寓話』<br/>''Parson Weems' Fable''<br/>1939年、[[エーモン・カーター美術館]]所蔵
File:'Sentimental Ballad' by Grant Wood, 1940.jpg|『{{仮リンク|センチメンタル・バラード (絵画)|label=センチメンタル・バラード|en|Sentimental Ballad (painting)}}』<br/>''Sentimental Ballad''<br/>1940年、{{仮リンク|ニューブリテン美術館|en|New Britain Museum}}所蔵
File:'January' by Grant Wood, 1940-41, Cleveland Museum of Art.JPG|『1月』<br/>''January''<br/>1940–41年、[[クリーブランド美術館]]所蔵
</gallery>

==作品一覧==
===絵画===
*''Spotted Man'' (1924)
*[[File:Grant Wood - Fall Plowing.jpg|thumb|400x400px|''Fall Plowing'', Grant Wood<ref>{{Cite web|url=https://en.artsdot.com/@@/8XY5WF-Grant-Wood-Fall-Plowing|title=Grant Wood - Fall Plowing|website=en.artsdot.com|language=EN|access-date=February 5, 2019}}</ref>]]''The Little Chapel Chancelade'' (1926)
*''Woman with Plants'' (1929)
*[[アメリカン・ゴシック]] ''[[:en:American Gothic|American Gothic]]'' (1930)
*[[アーノルドの成人]] ''[[:en:Arnold Comes of Age|Arnold Comes of Age]]'' (1930)
*''[[:en:Stone City, Iowa (painting)|Stone City, Iowa]]'' (1930)
*''[//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9c/Grant_Wood_appraisal.jpg Appraisal]'' (1931)
*''Young Corn'' (1931)
*''[[:en:Fall Plowing|Fall Plowing]]'' (1931)
*''The Birthplace of Herbert Hoover, West Branch, Iowa'' (1931)
*{{仮リンク|ポール・リビアの真夜中の騎行 (絵画)|label=ポール・リビアの真夜中の騎行|en|The Midnight Ride of Paul Revere (painting)}} ''[[:en:The Midnight Ride of Paul Revere (painting)|The Midnight Ride of Paul Revere]]'' (1931)
*''Plaid Sweater'' (1931)
*''[//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/02/Grant_Wood.jpg Self-Portrait]'' (1932)
*''Arbor Day'' (1932)
*''Boy Milking Cow'' (1932)
*[[革命の娘たち]] ''[[:en:Daughters of Revolution|Daughters of Revolution]]'' (1932)
*''Portrait of Nan'' (1933)
*''[//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1c/Nearsundown_wood.jpg Near Sundown]'' (1933)
*''Dinner for Threshers'' (1934)
*''Return from Bohemia'' (1935)
*''Death on Ridge Road'' (1935)
*''Spring Turning'' (1936)
*''The Good Influence'' (1936)
*''Seedtime and Harvest'' (1937)
*''Sultry Night'' (1937)
*''Haying'' (1939)
*''New Road'' (1939)
*''[//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c1/Parson_Weems%27_Fable.jpg Parson Weems' Fable]'' (1939)
*''[//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/28/%27January%27_by_Grant_Wood%2C_1940-41%2C_Cleveland_Museum_of_Art.JPG January]'' (1940)
*''[//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9a/Iowacornfield_wood.jpg Iowa Cornfield]'' (1941)
*''Spring in the Country'' (1941)

===著書===
* Wood, Grant. "Art in the Daily Life of the Child." ''Rural America'', March 1940, 7–9.
* ''Revolt against the City''. Iowa City: Clio Press, 1935.

==脚注==
{{Reflist}}

==情報源==
* Corn, Wanda M. ''Grant Wood: The Regionalist Vision''. New Haven: Minneapolis Institute of Arts and Yale University Press, 1983.
* Crowe, David. "Illustration as Interpretation: Grant Wood's 'New Deal' Reading of Sinclair Lewis's ''Main Street''." In ''Sinclair Lewis at 100: Papers Presented at a Centennial Conference'', edited by Michael Connaughton, 95–111. St. Cloud, MN: St. Cloud State University, 1985.
* Czestochowski, Joseph S. ''John Steuart Curry and Grant Wood: A Portrait of Rural America''. Columbia: University of Missouri Press and Cedar Rapids Art Association, 1981.
* DeLong, Lea Rosson. ''Grant Wood's Main Street: Art, Literature and the American Midwest''. Ames: Exhibition catalog from the Brunnier Art Museum at Iowa State University, 2004.
* ''When Tillage Begins, Other Arts Follow: Grant Wood and Christian Petersen Murals''. Ames: Exhibition catalog from the Brunnier Art Museum at Iowa State University, 2006.
* Dennis, James M. ''Grant Wood: A Study in American Art and Culture''. New York: Viking Press, 1975.
* ''Renegade Regionalists: The Modern Independence of Grant Wood, Thomas Hart Benton, and John Steuart Curry''. Madison: University of Wisconsin Press, 1998.
* Evans, R. Tripp. ''Grant Wood [A Life]''. New York: Alfred A. Knopf, 2010 {{oclc|503041934}}.
* Graham, Nan Wood, John Zug, and [[ジュリー・ジェンセン・マクドナルド|Julie Jensen McDonald]]. ''My Brother, Grant Wood''. Iowa City: State Historical Society of Iowa, 1993.
* Green, Edwin B. ''A Grant Wood Sampler'', January Issue of the Palimpsest. Iowa City: State Historical Society of Iowa, 1972.
* Haven, Janet. [https://web.archive.org/web/19990209053732/http://xroads.virginia.edu/%7EMA98/haven/wood/home.html "Going Back to Iowa: The World of Grant Wood"], MA project in conjunction with the Museum for American Studies of the American Studies Program at the University of Virginia, 1998; includes list of paintings and gallery.
* Hoving, Thomas. ''American Gothic: The Biography of Grant Wood's American Masterpiece''. New York: Chamberlain Brothers, 2005.
* Milosch, Jane C., ed. ''Grant Wood’s Studio: Birthplace of American Gothic''. Cedar Rapids and New York: Cedar Rapids Museum of Art and Prestel, 2005.
* Seery, John E. "Grant Wood's Political Gothic." ''Theory & Event'' 2, no. 1 (1998).
* Taylor, Sue. "Grant Wood's Family Album." ''American Art'' 19, no. 2 (2005): 48–67.

==外部リンク==
{{Commons category}}
*[http://www.monograffi.com/wood.htm Work by Grant Wood.]
* [https://digital.lib.uiowa.edu/islandora/object/ui%3Agrantwood Grant Wood scrapbooks] at the Iowa Digital Library
* [https://web.archive.org/web/20080708193645/http://www.grantwoodstudio.org/index.html Grant Wood's Studio]
* [http://www.museumsyndicate.com/artist.php?artist=62 Grant Wood Gallery at MuseumSyndicate] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20101126122815/http://museumsyndicate.com/artist.php?artist=62 |date=November 26, 2010 }}
* [http://thenedscottarchive.com/hollywood/films/the-long-voyage-home.html#painters ''The Long Voyage Home'' Artist Portraits and Paintings] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20190524020022/https://www.thenedscottarchive.com/hollywood/films/the-long-voyage-home.html#painters |date=May 24, 2019 }} at [[The Ned Scott Archive]]
* [https://web.archive.org/web/20110505224913/http://www.lib.iastate.edu/info/6292 "Grant Woods Murals in the Parks Library at Iowa State University"]
* [https://www.mthermonlodge263.com/lodge-history Mt.Hermon Lodge #263 history]


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グラント・ウッド
Grant Wood
自画像(1932年)
生誕 Grant DeVolson Wood
(1891-02-13) 1891年2月13日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アイオワ州ジョーンズ郡アナモサ英語版
死没 1942年2月12日(1942-02-12)(50歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アイオワシティ
教育 シカゴ美術館附属美術大学
著名な実績 絵画
代表作アメリカン・ゴシック
運動・動向 リージョナリズム英語版
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グラント・デヴォルソン・ウッド(Grant DeVolson Wood、1891年2月13日 - 1942年2月12日)は、アメリカ合衆国画家である。リージョナリズム英語版の代表的な人物であり、アメリカ中西部の田舎を描いた絵画で知られる。代表作は1930年の『アメリカン・ゴシック』で、20世紀初頭のアメリカ美術英語版の象徴的な作品となっている[1]

若年期

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アイオワ州シーダーラピッズにあるウッドが若年期に住んでいた家。アイオワ州における危機史跡の一つとなっている[2]

ウッドはアイオワ州の田舎であるジョーンズ郡アナモサ英語版の東約6キロメートルのところにある農場主の家に1891年2月13日に生まれた[3][4]。1901年に父が亡くなり、母は一家でシーダーラピッズに移った。その後間もなく、ウッドは地元の金属製品工場で見習いとして働き始めた。地元のワシントン高校を卒業後、1910年にミネソタ州ミネアポリスの工芸学校であるハンドクラフト・ギルド英語版に入った[5]

1913年、ウッドはシカゴ美術館附属美術大学の夜間クラスに入学し[5]銀細工職人になった。第一次世界大戦の終戦間際にウッドはアメリカ陸軍に入隊し、軍用車両の迷彩などのデザインの仕事をした[6]

キャリア

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退役後は故郷のシーダーラピッズに戻り、1919年から1925年まで公立学校で中学生に美術を教えた[5]。これにより安定した収入を得、また、教師には長期休暇があるため、たびたびヨーロッパへ旅行した。1922年から1928年までの間にウッドはヨーロッパへ4回渡航し、そこで様々な絵画スタイル、特に印象派ポスト印象派を学んだ。1923年から1924年にかけては1年間休職して2回目の渡欧を行い[5][7]パリの美術学校アカデミー・ジュリアンで学んだ。1926年の夏に3回目の渡欧をした際には、パリの画廊で個展を開く[5]が成功しなかった。その後、15世紀のフランドル派の画家ヤン・ファン・エイクの作品の影響を受け、その技法を取り入れた。1927年に、シーダーラピッズの退役軍人記念館のステンドグラスの制作を依頼され、この仕事のために1928年にドイツミュンヘンを訪れたのが4回目かつ最後の渡欧となった[8]。この際に美術館のアルテ・ピナコテークをしばしば訪れ、ゴシック様式やルネッサンス初期の絵画を学んだ[5]

1932年、世界恐慌で苦しむ芸術家たちを支援するために、ウッドはシーダーラピッズの近くに芸術家村「ストーン・シティ・アート・コロニー英語版」を設立する支援を行った。ウッドはリージョナリズム英語版を強く支持し[9]、リージョナリズムに関する講演を全米で行った[10]。それによりウッドは「古典的なアメリカ人」として見られるようになり、かつてパリでボヘミアン的な生活をしていたということは隠されるようになった[11]

1933年、ウッドはニューディール政策公共芸術プロジェクト英語版(PWAP)のディレクターに任命され、アイオワシティに拠点を置き、アイオワ州エイムズアイオワ州立大学の壁画作成に携わりつつ、アイオワ大学と連携しながらアーティストや美学生を支援した。1934年にPWAPが終了すると、ウッドは3年の任期でアイオワ大学の美術の助教授に就任した。任期終了後も1941年まで同大学の美術学部で絵画を教えていた。

作品

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2004年にアイオワ州が発行した50州25セント硬貨。図柄はウッドの絵画"Arbor Day"の一部。

ウッドは若い頃から亡くなるまで、精力的に絵を描き続け、リトグラフ、インク、木炭、陶器、金属、木材、レディメイドなど様々な素材を使って制作していた。生涯を通じて、アイオワ州の多くの企業のために絵を描き、それにより安定した収入を得ていた。

リージョナリズム

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ウッドはアメリカにおけるリージョナリズム英語版の代表的な画家である。リージョナリズムとは、主にアメリカ中西部で発生した、ヨーロッパの抽象絵画を攻撃的に拒絶し、アメリカの農村を題材とした具象絵画を推進する運動である[12]

ウッドはリージョナリズムの中心人物であり、他の中心人物であるジョン・スチュアート・カリートーマス・ハート・ベントンは、ウッドの勧めと支援により、1930年代にそれぞれウィスコンシン州とミズーリ州の大学で教職に就く機会を得たことで中西部に戻ってきた。ベントン、カリーやその他のリアリズム派の芸術家たちとともに、ウッドの作品は長年にわたり、ニューヨークのギャラリー「アソシエイテッド・アメリカン・アーティスト英語版」を通じて販売されていた。

ウッドはシーダーラピッズの後援者とみなされており、2004年にアイオワ州が発行した50州25セント硬貨には、ウッドが幼少期に通った学校をモデルとしたウッドの絵画"Arbor Day"の一部が描かれている。

『アメリカン・ゴシック』

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アメリカン・ゴシック』(1930年、シカゴ美術館所蔵)

ウッドの作品の中で最も知られているのは、1930年に描かれた『アメリカン・ゴシック』である[13]。この作品は、アメリカ美術における有名な絵画の中の一つであり[12]レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』やエドヴァルド・ムンクの『叫び』に並ぶほどの広く認知された文化的な象徴となった数少ない作品である[1]

ウッドはこの作品を1930年にシカゴ美術館の展覧会に出品し、シカゴ美術館に購入されて現在も同美術館に所蔵されている。ウッドはこの展覧会で300ドルの賞金を獲得し、全米でニュース記事に取り上げられたことで一躍有名になった。それ以来、この作品は広告や漫画、写真などで盛んにパロディ化されてきた[12][13]

ガートルード・スタインクリストファー・モーリー英語版などの、この作品に好意的だった美術批評家たちは、この作品はアメリカの田舎の小さな町での抑圧感や視野の狭さを風刺したものだと考えていた。当時、シャーウッド・アンダーソンの小説『ワインズバーグ・オハイオ』(1919年)、シンクレア・ルイスの『本町通り』(1920年)、カール・ヴァン・ヴェクテンの『刺青のある伯爵夫人英語版』(1924年)などのように、アメリカの田舎を批判的に描く傾向が強まる流れがあり、この作品もその一部として理解された[1][12]。しかし、ウッド自身はその解釈を否定した[12]。この作品が描かれてからすぐに世界恐慌が深刻化すると、この作品は西部開拓時代の揺るぎない開拓者精神を描いたものだとみなされるようになった[13]

ウッドはアイオワ州エルドン英語版で「ディブル邸英語版」と呼ばれるカーペンター・ゴシック様式の小さな白い家を見つけ、この家を描きたいと考えた[12]。そして、「その家にはこんな人たちが住んでいるはずだ」とウッドが想像した人々と一緒に描くことにした[1]。モデルとなったのは、ウッドの妹のナンと、ウッド家のかかりつけ歯科医である[12]。描かれた2人はよく夫婦であるとみなされるが、ウッドは親子のつもりだと主張している。

この作品の構図の厳格さと詳細な技法は、ウッドがヨーロッパを訪れたときに見た北方ルネサンスの絵画に由来するものである。この作品以降、ウッドはアメリカ中西部の独自の遺産をさらに意識するようになり、それが作品にも反映された。これはリージョナリズムの重要なイメージである[12]

1940年、ユージン・オニールの戯曲を映画化した『果てなき航路』の撮影中、ウッドを含む8人の当時アメリカで著名あったアーティストに、この映画をモチーフとした作品の制作が依頼され、ウッドは『センチメンタル・バラード英語版』を描いた[14]

私生活

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ウッドは同性愛者だった。ウッド自身はそれを公表していなかったが、批評家のジャネット・マスリンによれば、ウッドの友人たちは彼が同性愛者であることを知っていたという[11]。アイオワ大学助教授時代、同僚のレスター・ロングマンは、道徳的な理由とリージョナリズムをウッドが擁護していたという理由から、ウッドを解任させようとしたが失敗に終わった[15]。大学当局はロングマンの訴えを退けており、健康上の問題がなければウッドは教授として大学に復帰していたはずだった[16]

ウッドは1935年にサラ・シャーマン・マクソンと結婚したが、これは社会的体裁を保つための偽装結婚と見られ、ウッドの友人たちは、この結婚は彼にとっての過ちだと考えていた[17]。サラとは、3年後の1938年に離婚した。

『フリーメイソンの最初の3階級』(1921年)

ウッドはフリーメイソンであり、1921年から1924年までシーダーラピッズのマウント・ハーモン・ロッジの263番目の会員だった[18][19]。第3階級の儀式を受けた後、1921年に『フリーメイソンの最初の3階級』(The First Three Degrees of Freemasonry)を描いた[20]。しかし、1924年3月に会費を支払わなかったため会員資格を停止され、それ以降フリーメイソンと関わることはなかった[21]

ウッドは1942年2月12日、51歳の誕生日の前日に、アイオワシティの大学病院で膵癌により死去した[22]。遺体は、出生地であるアナモサのリバーサイド墓地に埋葬された[23]

遺産

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グラント・ウッドの肖像が刻まれた1980年発行のアメリカ芸術記念メダル英語版

ウッドの死後、その遺産は妹のナン・ウッド・グラハム英語版(『アメリカン・ゴシック』に描かれた女性)が相続した。ナンが1990年に亡くなると、ウッドの作品や私物を含むナンの遺産は、アイオワ州ダベンポートフィッジ美術館英語版の所有となった。

第二次世界大戦中に建造されたリバティ船の中の一隻に「グラント・ウッド」があった。

1975年、ジム・ヘイズがアイオワシティのコート・ストリート1142番地にあるウッドが住んでいた家(オークス=ウッド・ハウス英語版)を購入した。この家は、1978年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。ヘイズはこの家に隣接した土地も購入し、ウッドが生前に設立しようとしたストーン・シティのような芸術家村をモデルにした「グラント・ウッド・アート・コロニー」を設立した。

ギャラリー

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作品一覧

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絵画

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著書

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  • Wood, Grant. "Art in the Daily Life of the Child." Rural America, March 1940, 7–9.
  • Revolt against the City. Iowa City: Clio Press, 1935.

脚注

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  1. ^ a b c d Fineman, Mia, The Most Famous Farm Couple in the World: Why American Gothic still fascinates., Slate, June 8, 2005
  2. ^ Preservation Iowa, 2008 Most Endangered Properties Archived January 5, 2016, at the Wayback Machine.
  3. ^ Taylor, Sue (2005). “Grant Wood's Family Album”. American Art 19 (2): 48–67. doi:10.1086/444481. https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/444481. 
  4. ^ Details Page - the Biographical Dictionary of Iowa - the University of Iowa Libraries”. 2024年10月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e f “Review: It's no joke: Grant Wood is truly a great artist”. The Phoenix (Boston). (June 6, 2011). オリジナルの20 December 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131220110605/http://thephoenix.com/boston/news/113884-review-its-no-joke-grant-wood-is-truly-a-great-/ 2024年10月2日閲覧。 
  6. ^ Artist Info”. www.nga.gov. 2021年7月2日閲覧。
  7. ^ Dennis, James M (1975). Grant Wood; A Study in American Art and Culture. New York: Viking Press. pp. 27–28 
  8. ^ “In the Know; European Journeys”. The Gazette (Cedar Rapids, Iowa): pp. 2A. (September 23, 2005) 
  9. ^ Grant Wood: Biography”. CornerHouse Gallery (Cedar Rapids, Iowa). Via Artnet.com. October 19, 2006時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月1日閲覧。
  10. ^ Grant Wood (1892-1942)”. visual-arts-cork.com. January 12, 2020閲覧。
  11. ^ a b Maslin, Janet (October 3, 2010). "Behind That Humble Pitchfork, a Complex Artist" (review of R. Tripp Evans, Grant Wood: A Life). The New York Times. Retrieved May 26, 2018.
  12. ^ a b c d e f g h "Grant Wood" Archived October 31, 2011, at the Wayback Machine., Art Institute of Chicago. Retrieved December 14, 2008.
  13. ^ a b c Kendall, Sue M., "Wood, Grant", Oxford Art Online (subscription). Retrieved December 14, 2008.
  14. ^ "Cover Article, American Artist Magazine, September, 1940, pp. 4-14"”. May 24, 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。December 15, 2013閲覧。
  15. ^ Schjeldahl, Peter (March 12, 2018). “Beyond American Gothic”. New Yorker. https://www.newyorker.com/magazine/2018/03/12/beyond-american-gothic January 12, 2020閲覧。. 
  16. ^ Departmental Gothic: Grant Wood at the U. of Iowa”. The Chronicle of Higher Education (October 10, 2010). 2024年10月1日閲覧。
  17. ^ Winslow, Art (October 22, 2010). "Review of R. Tripp Evans, Grant Wood: A Life. Chicago Tribune. Retrieved May 26, 2017.
  18. ^ Freemason | Mt. Hermon #263 | Cedar Rapids” (英語). Mt. Hermon #263. 2021年7月1日閲覧。
  19. ^ First Three Degrees of Freemasonry by Grant Wood – The Square Magazine” (英語). 2024年2月5日閲覧。
  20. ^ The First Three Degrees of Freemasonry, 1921”. Fine Art America. January 13, 2021閲覧。
  21. ^ First Three Degrees of Freemasonry by Grant Wood – The Square Magazine” (英語). 2024年2月5日閲覧。
  22. ^ Deborah Solomon (October 28, 2010). “Gothic American”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2010/10/31/books/review/Solomon-t.html 
  23. ^ Wilson, Scott. Resting Places: The Burial Sites of More Than 14,000 Famous Persons, 3d ed.: 2 (Kindle Location 51786). McFarland & Company, Inc., Publishers. Kindle Edition.
  24. ^ Grant Wood - Fall Plowing” (英語). en.artsdot.com. February 5, 2019閲覧。

情報源

[編集]
  • Corn, Wanda M. Grant Wood: The Regionalist Vision. New Haven: Minneapolis Institute of Arts and Yale University Press, 1983.
  • Crowe, David. "Illustration as Interpretation: Grant Wood's 'New Deal' Reading of Sinclair Lewis's Main Street." In Sinclair Lewis at 100: Papers Presented at a Centennial Conference, edited by Michael Connaughton, 95–111. St. Cloud, MN: St. Cloud State University, 1985.
  • Czestochowski, Joseph S. John Steuart Curry and Grant Wood: A Portrait of Rural America. Columbia: University of Missouri Press and Cedar Rapids Art Association, 1981.
  • DeLong, Lea Rosson. Grant Wood's Main Street: Art, Literature and the American Midwest. Ames: Exhibition catalog from the Brunnier Art Museum at Iowa State University, 2004.
  • When Tillage Begins, Other Arts Follow: Grant Wood and Christian Petersen Murals. Ames: Exhibition catalog from the Brunnier Art Museum at Iowa State University, 2006.
  • Dennis, James M. Grant Wood: A Study in American Art and Culture. New York: Viking Press, 1975.
  • Renegade Regionalists: The Modern Independence of Grant Wood, Thomas Hart Benton, and John Steuart Curry. Madison: University of Wisconsin Press, 1998.
  • Evans, R. Tripp. Grant Wood [A Life]. New York: Alfred A. Knopf, 2010 OCLC 503041934.
  • Graham, Nan Wood, John Zug, and Julie Jensen McDonald. My Brother, Grant Wood. Iowa City: State Historical Society of Iowa, 1993.
  • Green, Edwin B. A Grant Wood Sampler, January Issue of the Palimpsest. Iowa City: State Historical Society of Iowa, 1972.
  • Haven, Janet. "Going Back to Iowa: The World of Grant Wood", MA project in conjunction with the Museum for American Studies of the American Studies Program at the University of Virginia, 1998; includes list of paintings and gallery.
  • Hoving, Thomas. American Gothic: The Biography of Grant Wood's American Masterpiece. New York: Chamberlain Brothers, 2005.
  • Milosch, Jane C., ed. Grant Wood’s Studio: Birthplace of American Gothic. Cedar Rapids and New York: Cedar Rapids Museum of Art and Prestel, 2005.
  • Seery, John E. "Grant Wood's Political Gothic." Theory & Event 2, no. 1 (1998).
  • Taylor, Sue. "Grant Wood's Family Album." American Art 19, no. 2 (2005): 48–67.

外部リンク

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