コンテンツにスキップ

「公儀」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
リンク調整
タグ: 差し戻し済み
Cewbot (会話 | 投稿記録)
タグ: 手動差し戻し
3行目: 3行目:


==概要==
==概要==
本来は[[公家]]という語が「[[おおやけ]]」すなわち[[朝廷]]や[[天皇]]を指していたが、[[領主制]]による私的支配に由来する新たな公権力である[[武家政権]]成立後に[[武家]]である[[幕府 (日本)|幕府]]及び[[征夷大将軍]](将軍)と区別するために「公儀」という語も用いられるようになった。
本来は[[公家]]という語が「[[おおやけ]]」すなわち[[朝廷]]や[[天皇]]を指していたが、[[領主制]]による私的支配に由来する新たな公権力である[[武家政権]]成立後に[[武家]]である[[幕府]]及び[[征夷大将軍]](将軍)と区別するために「公儀」という語も用いられるようになった。


やがて、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に入ると、[[北朝 (日本)|北朝]]を擁する[[室町幕府]](武家側)と[[南朝 (日本)|南朝]]の[[吉野朝廷]](公家側)の対立によって、自己が所属する公権力側を「公儀」と呼ぶようになり、その結果、幕府や将軍に対しても公儀が用いられるようになった。
やがて、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に入ると、[[北朝 (日本)|北朝]]を擁する[[室町幕府]](武家側)と[[南朝 (日本)|南朝]]の[[吉野朝廷]](公家側)の対立によって、自己が所属する公権力側を「公儀」と呼ぶようになり、その結果、幕府や将軍に対しても公儀が用いられるようになった。

2023年1月3日 (火) 21:25時点における版

公儀(こうぎ/くうぎ)とは、日本中世から近世において公権力を指した語。

概要

本来は公家という語が「おおやけ」すなわち朝廷天皇を指していたが、領主制による私的支配に由来する新たな公権力である武家政権成立後に武家である幕府及び征夷大将軍(将軍)と区別するために「公儀」という語も用いられるようになった。

やがて、南北朝時代に入ると、北朝を擁する室町幕府(武家側)と南朝吉野朝廷(公家側)の対立によって、自己が所属する公権力側を「公儀」と呼ぶようになり、その結果、幕府や将軍に対しても公儀が用いられるようになった。

豊臣政権末期の政情不安定期に公権力を漠然と公儀と呼ぶ慣習が生まれ、江戸時代に入ると統一政権で諸領主権力間の唯一の利害調整機関となった江戸幕府を指して公儀と呼ぶようになった。ただし、地方ではを指して公儀と呼ぶ習慣も残り、幕府のことを「公儀の公儀」と認めて特に大公儀(おおこうぎ)とも呼ぶようになったのは寛永期以後と言われている。

関連項目

外部リンク