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「ピット器官」の版間の差分

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[[Image:The Pit Organs of Two Different Snakes.jpg|250px|right|thumb|ピット器官<br />上:ニシキヘビの口唇窩<br />下:ガラガラヘビの頬窩<br />上下とも黒矢印は[[鼻孔]]]]
{{出典の明記|date=2017-08-09}}
'''ピット器官'''(ピットきかん、{{lang-en|pit organ}})は、[[マムシ亜科]]、[[ニシキヘビ科]]、[[ボア科]]の[[ヘビ]]([[爬虫類|爬虫綱]][[有鱗目 (爬虫類)|有鱗目]][[ヘビ亜目]])が持つ[[赤外線]]受容器官<ref name=sk411>『脊椎動物のからだ』 p411</ref><ref name=hs98>『爬虫類の進化』 p98</ref>。英語そのままに'''ピット・オルガン'''、単純に'''ピット'''とも呼ばれる<ref name=nrh66>『日本の両生類と爬虫類』 p66</ref>。ヘビの顔面に開口した小孔として存在し、マムシ亜科が持つ[[眼]]と[[鼻孔]]の間の頬部に一対存在するものを'''頬窩''' (loreal pit)、ニシキヘビ科とボア科が持つ口唇に沿って複数並ぶものを'''口唇窩''' (labial pit) と呼ぶ<ref name=hs98/>。数メートルはなれた位置にいる温度差のある物体を「視る」ことができ、少なくとも0.003℃の温度差を感知できる<ref name=shigenaka2003>{{Cite journal ja-jp|author = 重中圭太郎:編|year = 2003|title = 環境の赤外線Q&A|url = http://www.jsir.org/wp/wp-content/uploads/2014/10/2003.10VOL.13NO.1_21_1.pdf |journal = 日本赤外線学会誌|volume = 13|issue = 1|publisher = 日本赤外線学会|issn = 0916-7900|pages = 79-95 }}</ref>。赤外線領域の電磁波に対する感覚として可視光領域の電磁波に対する視覚と同様に働き、眼球と合わせて総合的な視覚をヘビにもたらしている<ref name=hs98/><ref name=nrh68>『日本の両生類と爬虫類』 p68</ref>。
[[Image:The Pit Organs of Two Different Snakes.jpg|250px|right|thumb|ピット器官<br />上:ニシキヘビの口唇窩<br />下:ガラガラヘビの頬窩<br />上下とも黒矢印は鼻孔]]
'''ピット器官'''(ピットきかん、{{lang-en|pit organ}})は、[[爬虫類|爬虫綱]][[有鱗目 (爬虫類)|有鱗目]][[ヘビ亜目]]の構成種が持つ[[赤外線]]感知器官<ref>{{Cite web |url=http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/011900019/ |title=人間にはない動物たちの驚きの器官7選 |publisher=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]]日本版サイト |date=2017-1-19 |accessdate=2017-10-28}}</ref>。単に'''ピット'''(pit, 原義は「くぼみ」のこと)とも呼ばれる。


== 研究史 ==
ヘビ亜目の中でも[[ボア科]][[ボア亜科]]、[[ニシキヘビ科]](ボア科の亜科とする説もあり)、[[クサリヘビ科]][[マムシ亜科]]がピット器官を持つ(例外もあり)。ボア科、ニシキヘビ科は人間でいう唇にあたる鱗(上唇板、下唇板)にあり、'''口唇窩''' (labial pit) と呼ばれる。前者では鱗と鱗の隙間、後者は鱗に穴が空いたような形である。マムシ亜科では鼻孔と眼の間に1対のみ持ち、'''頬窩''' (loreal pit) と呼ばれる。
マムシ亜科ヘビがほとんど分布していない土地からきたヨーロッパ移民にとっては、[[アメリカ大陸]]のマムシ亜科毒蛇の顔面に存在するピット器官(頬窩)は特徴的なものだった<ref name=nrh66/>。[[英語]] ({{lang|en|pit viper}})をはじめとして、[[フランス語]] ({{lang|fr|vipères à fosse}})、[[スペイン語]] ({{lang|es|víboras de foseta}})、[[ポルトガル語]] ({{lang|pt|cobra-covinha}}) などのヨーロッパ言語におけるマムシ亜科ヘビの呼称には「穴」「窪み」を指す語が含まれている。


ピット器官が科学界に登場するのは1683年にエドワード・タイソン ([[w:Edward Tyson|Edward Tyson]]) が[[ロンドン]]の[[王立協会]]で[[ガラガラヘビ]]の解剖学について報告したときであると言われている。彼はピット器官の[[解剖学]]的特徴について述べ、これをなんらかの[[感覚器]]ではないかと(その点では)正しく推測したが、残念ながら聴覚器と考えた<ref>TYSON, E. 1683. [https://www.jstor.org/stable/102217?seq=4 “Vipera Caudi-sona Americana, or the anatomy of a rattle-snake, dissected at the repository of the Royal Society in January 1682”]. ''Philosophical Transactions of the Royal Society of London'' '''13''' :25–46. </ref>。その後もこの他に似た例のない器官について、「余分な鼻孔」「[[角膜]]洗浄用の分泌腺」「嗅覚器」「魚類の[[側線]]のようなもの」「[[第六感]]」など様々な説が飛び交った。
あまり視覚が良くなく[[夜行性]]の種が多いヘビ亜目において、夜間見通しが悪い中でも獲物である小型恒温動物の存在を察知することに役立っている。特に[[ニシダイヤガラガラヘビ]]は他のヘビより優れており、目を覆われても獲物を追跡・捕食できる<ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2710359 |title=ヘビが赤外線を「感じる」メカニズムが明らかに、米研究 |publisher=[[AFPBB News]] |date=2010-3-16 |accessdate=2017-10-28}}</ref>。


1930年代になって、ピット器官が[[熱]]を感じていることがわかり始めた。ピット器官と赤外線放射との関連性について初めて注目されたのは1935年のことで、M. Ros によって[[アフリカニシキヘビ]]の口唇窩を塞いだ場合に温物体への誘引行動が変化することが報告された<!-- ROS, M. 1935. “Die Lippengruben der Pythonen als Temperatureorgane”. Jenaische Zeitschrift für Medizin und Naturwissen 70:1–32. -->。数年後、頬窩についても口唇窩についても同様に熱放射に対する感知器官であり、かなり小さな温度差をも感知することがNoble and Schmidt (1937) <!-- NOBLE, G. K., AND A. SCHMIDT. 1937. “The structure and function of the facial and labial pits of snakes”. Proceedings of the American Philosophical Society 77:263–288. -->によって明らかになった<ref name=goris2011>{{Cite journal | last = Goris| first = Richard C.| author = | date = 2011| title = Infrared Organs of Snakes: An Integral Part of Vision| journal = Journal of Herpetology| volume = 45| issue = 1| pages = 2-14| publisher = The Society for the Study of Amphibians and Reptiles | doi = 10.1670/10-238.1| url = http://www.bioone.org/doi/full/10.1670/10-238.1 | accessdate = 2023-09-15}}</ref>。
[[Image:Diagram of the Crotaline Pit Organ.jpg|none|200px|thumb|ピット器官の構造<br />Trigeminal nerve:[[三叉神経]]<br />Posterior air chamber:内腔<br />Anterior air chamber:外腔<br />Pit membrane:ピット膜]]

== 画像 ==
1950年代に入るとT. H. Bullock等によってピット器官に分布しているのが[[三叉神経]]の温繊維(温感を伝える神経繊維)であることが証明され<!-- BULLOCK, T. H., AND R. B. COWLES. 1952. “Physiology of an infrared receptor—the facial pit of pit vipers”. Science 115:541–543. -->、個々の神経細胞からの活動電位が記録できるようになって、その後の研究の基礎が確立された。以来現在に至るまで様々な[[電気生理学]]的・[[行動学]]的・[[形態学]]的・[[組織学]]的研究が成されている<ref name=terashima1989>{{Cite journal ja-jp|author = 寺嶋真一|year = 1989|title = 赤外線感覚系の研究|url = http://physiology.jp/wp-content/uploads/2023/06/1989_5102.pdf|format = |journal = 日本生理学雑誌|volume = 51|issue = 2|publisher = 日本生理学会|issn = 0031-9341|pages = 65-73}}</ref>。
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ファイル:Morelia-labial-pits.jpg|ミドリニシキヘビ下唇板のピット
== 構造 ==
ファイル:Emerald Tree Boa Facing Forward 2646px.jpg|エメラルドツリーボア
ピット器官の構造はボア科・ニシキヘビ科の口唇窩とマムシ亜科の頬窩とでかなり異なる。また、同じ口唇窩でもニシキヘビ科の物とボア科の物にも差がある。マムシ亜科のものとニシキヘビ科のものは基本的には奧に受容体が広がった空隙の入り口が狭まった小孔となっており、レンズを持たないピンホールカメラと同様の構造を持っている<ref name=hs98/>。
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=== 口唇窩の構造 ===
{{Double image aside|right|Emerald tree boa snout.JPG|200|Morelia-labial-pits.jpg|220|ボア科の口唇窩。鱗と鱗の間に開口している([[エメラルドツリーボア]])|ニシキヘビ科の口唇窩。個々の鱗(下唇板)の中央に開口している([[ミドリニシキヘビ]])}}
ヘビの頭部の鱗で口吻周りの鱗について、上顎先端にある鱗を吻端板 ([[w:Rostral scale|rostal scale]])、上顎縁に沿ってある鱗を上唇板 ([[w:Supralabial scale|superlabial scale]])、下顎縁に沿う鱗を下唇板 ([[w:Infralabial scales|infralabial scale]]) と呼ぶ(「[[ヘビの鱗]]」を参照)。ボア科の口唇窩がニシキヘビ科の物と異なる点は、ボア科の口唇窩は鱗と鱗の間に開口しているのに対し、ニシキヘビ科の口唇窩は鱗の中に開いているという点である。

ボア科には口唇窩を持つものと持たないものが存在するが、口唇窩を持たないものでも試験された全てのボア科ヘビは赤外線を感じることができた<!-- BULLOCK, T. H., AND R. BARRETT. 1968. “Radiant heat reception in snakes”. Communications in Behavioral Biology A1:19–29. --><ref name=goris1988>{{Cite journal | last = Goris| first = Richard C.| author = | date = 1988| title = INFRARED “VISION” IN SNAKES| journal = Animal Eye Research| volume = 7| issue = 1・2| pages = 1-6| publisher = Japanese Society of Comparative and Veterinary Ophthalmology | doi = 10.11254/jscvo.7.1| url = https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscvo/7/1-2/7_1/_pdf| format = | accessdate = 2023-12-25}}</ref>。口唇窩を持たずに赤外線感覚をもつボア科では、隣接する2枚の上唇板(下顎ならば下唇板)のうち、前方にある鱗の後端と後方にある鱗の前端に赤外線受容体が分布している。口唇窩を持つボア科では前後の鱗の間が陥入することでピット器官が形成されるが、その場合でも陥入部の底部には赤外線受容体は分布せず、受容体はあくまで前方鱗の後端と後方鱗の前端である。陥入部が比較的広がっているツリーボア属 (''Corallus'') などでは、そのことにより他のボア科よりも方向感覚が良い可能性がある。

ニシキヘビ科の口唇窩は、吻端板、上唇板、下唇板のおおよその中央部に開いた空隙であり、その底部に赤外線受容体が広がっている。この赤外線受容器は '''pit fundus'''(仮訳:ピット底{{Refnest|group="†"|name=a}})とよばれ、後述のピット膜と同様に網膜の機能を果たす。ピット底の奧には毛細血管網が位置する<ref name=goris2011/>。

=== 頬窩の構造 ===
[[ファイル:Diagram of the Crotaline Pit Organ.jpg|200px|left|thumb|ピット器官(頬窩)の構造<small><br />Trigeminal nerve:[[三叉神経]]<br />Posterior air chamber:内腔<br />Anterior air chamber:外腔<br />Pit membrane:ピット膜</small>]]
マムシ亜科の頬窩は、ボアやニシキヘビの口唇窩と比べてかなり複雑な構造をもつ。空孔の外側の空間と内側の空間が薄い膜で隔てられており、外側の空間は'''外腔'''(外室:outer chamber, outer cavity)、内側の空間は'''内腔'''(内室:inner chamber, inner cavity)、二つの空間を隔てて網膜の働きをする薄膜は'''ピット膜''' (pit membrane) と呼ばれる{{Refnest|group="†"|name=a|和文用語の”内腔/外腔”はゴリス(1989)、”内室/外室”は疋田(2002)での用例。英文の用例はそれぞれの訳語に対応しているわけではない。”ポアー”はゴリス(1989)での用例。”ピット膜”はゴリス(1989)、疋田(2002)、寺嶋(1989)など複数の日本語文献で用いられていて定訳と考えられるが、口唇窩における'''pit fundus'''については日本語の定訳をみつけられず暫定的に”ピット底”としてある。適切な日本語用例が見つかれば出典を伴って置き換えられるべきものである。}}。外腔は空孔径より少し狭まったピット器官開口部に向いて外気に接しており、内腔もポアー(pore:小穴)と呼ばれる細い管が眼とピット器官の間に通じている。ポアーは耳における[[エウスタキオ管]]と同様にピット膜内外の気圧を等しくする働きがある<ref name=nrh67>『日本の両生類と爬虫類』 p67</ref>。ピット膜の外腔側には赤外線受容体が並び、内腔側には発達した毛細血管網がある。これら2層を合わせてもピット膜の厚さは15μm ほどで、この厚さはマムシ類の楕円形をした[[赤血球]]の長径よりも小さい。この薄さとピット孔壁から離れて懸架されている配置のため、ピット膜の[[熱容量]]は小さくなっており感度の増大に寄与している<ref name=terashima1989/>。

[[胚]]の段階では頬窩のある位置には2つの窪みが前後に並んでおり、発生に従って後方の窪みが前方の窪みの内側に潜り込むように成長し、前方の窪みが外腔へ、後方の窪みが内腔へと変化する。2つの窪みの間にあった壁が非常に薄くなってピット膜となり、前方の窪みの陥入孔がピット器官開口部に、後方の窪みの陥入孔も細く残存してポアーとなる<ref name=terashima1989/>。
{{-}}

== 神経系 ==
ピット器官に分布している神経は三叉神経由来であり、他の動物の温熱情報が[[視床]]を経由して[[大脳皮質]]の体性感覚野に向かうのに対し、ピットからの情報は三叉神経節を通って[[延髄]]を経由し視蓋([[上丘]])へ向かう<ref name=terashima1989/>。頬窩のピット膜は三叉神経の第一支([[眼神経]])と第二支([[上顎神経]])の支配を受ける。口唇窩については、Goris (2011)では同じく第一支・第二支のみとしているが<!-- Goris (2011)では以下のような記述となっている." The pits of all the snakes that possess them are innervated by two ganglia of the trigeminal nerve, the ophthalmic ganglion and the maxillary ganglion (Lynn, 1931; Bullock and Fox, 1957; Kishida et al., 1982; Fig. 3) ... All the infralabial pits are also innervated by the maxillary ganglion alone (de Cock Buning and Dullemeijer, 1977; Tan and Gopalakrishnakone, 1988). " ただし第1文の出典は全てマムシ亜科に関する論文で口唇窩への言及がされているかタイトルからは確認できず、さらに第2文の出典の一つ [TAN, C. K., AND P. GOPALAKRISHNAKONE. 1988. “Infrared sensory neurons in the trigeminal ganglia of the python (Python reticulatus)—a horseradish peroxidase study”. Neuroscience Letters 86:251–256.] のアブストラクトには少なくとも "Neurons innervating the mandibular and mental pits are all located in the mandibular part of the ganglia." とあり下唇板の口唇窩には第三支(下顎神経)が関わっているようにみえる.不明(個人的な限界).-->、寺嶋 (1989) では第三支([[下顎神経]])も含めた3支全てが関係するとしている。

=== 末梢神経 ===
[[File:Trigeminal nerve, Rattlesnake.jpg|250px|right|thumb|左頬部を切開されて神経を露出しているガラガラヘビ標本。<small><br />1. ピット器官(頬窩)に向かう三叉神経束<br />2. 脳の三叉神経起始部<br />3. ピット器官(頬窩)</small>]]
ピット器官に入った自由神経終末は細かく枝分かれし、[[シュワン細胞]]周りに絡みついた状態で[[ミトコンドリア]]と一緒に詰め込まれた[[原繊維]]の塊を形成する。この塊は終末神経塊{{Refnest|group="†"|”終末神経塊”・”外側下行路核”・”熱核”の和文用語は寺嶋 (1989) における用例}} (terminal nerve mass:TNM) と名付けられ、これが個々の赤外線受容体となる。すなわち、視覚における[[桿体細胞|桿体]]や[[錐体細胞|錐体]]、聴覚における有毛細胞のような物理的情報を活動電位に変換する専門の感覚細胞は存在せず、神経末端がそのまま受容体となっている<ref name=terashima1989/>。これがピット膜やピット底の表面に数千個集まって赤外線の像を受け取る<ref name=goris2011/>。受容体の構造は、ピット膜のものとピット底のものに基本的な差異は無い<ref name=goris1988/>。

通常の感覚ならば適切な刺激が無い場合は沈黙し、適切な刺激が入ったときに発火する(信号を発する)。しかし全ての物体は常に赤外線を放射しているので、赤外線神経は常に継続的に発火し続ける。背景よりも高い温度による刺激に対しては発火頻度が増加することによって反応する。発火頻度は刺激となる赤外線の波長によっても変化し、応答は波長 8000〜12000 nm で最も強くなる<!-- GRACE, M. S., D. R. CHURCH, C. T. KELLY, W. F. LYNN, AND T. M. COOPER. 1999. “The Python pit organ: imaging and immunocytochemical analysis of an extremely sensitive natural infrared detector”. Biosensors and Bioelectronics 14:53–59. -->。これは[[鳥類]]や[[哺乳類]]など[[恒温動物]]の体表から放射される赤外線波長と一致する。また、背景よりも低温の物体が視野にいた場合は発火頻度は減少する。このことにより、少なくともマムシ亜科は冷たい背景に対して移動する暖かい物体と同様に暖かい背景に対して移動する冷たい物体も感知可能であることが確かめられている<ref name=goris2011/>。

=== 中枢神経 ===
ピット膜やピット底や口唇赤外線受容体で発生した活動電位は三叉神経節を経由して延髄に入る。赤外線感知能力を持つヘビには延髄中に外側下行路核 (nucleus descendens lateralis) と呼ばれる処理中枢があり、赤外線受容器からの情報はここで最初の情報処理を受ける。外側下行路核は1974年に Molenaar によって発見され<!-- MOLENAAR, G. J. 1974. “An additional trogeminal system in certain snakes possessing infrared receptors”. Brain Res. 78, 340-344. -->、三叉神経の下行路核の外側にあるため名付けられたもので、他のどのグループのヘビにも存在しない構造である<ref name=terashima1989/>。外側下行路核で処理を受けた後の情報は口唇窩(ボア科・ニシキヘビ科)と頬窩(マムシ亜科)では少し異なる経路を取る。

眼球からの可視光情報は[[視交叉|視神経交叉]]によって脳の対側(左右反対側)の視蓋に入るが{{Refnest|group="†"|ヒトを含む哺乳類では網膜が受け取った情報が左半分・右半分に分かれ、各網膜の片側の情報はどちらも同側の脳に向かうという不完全交叉であるが<ref name=sk427>『脊椎動物のからだ』 p427</ref>、ヘビの場合は一つの網膜が受け取った情報は全て対側の視蓋へと向かう完全交叉であり、ピット器官からの情報も同様に全て対側の視蓋へ向かう<ref name=goris2011/>。}}、ピットからの赤外線情報も延髄の同側(左右同じ側)で処理された後、対側の視蓋に入る。口唇窩の場合は外側下行路核の後すぐに対側の視蓋へ向かうが、頬窩の場合は外側下行路核の処理後、延髄の同側にあるもう一つの中継神経核を経由する。これは熱核 (nucleus reticularis caloris) と呼ばれ、延髄[[網様体]]の中の腹外側部に存在し、外側下行路核からの出力を全て受ける。同側の熱核での処理を受けてあらためて対側の視蓋へと送られる。熱核はボア科・ニシキヘビ科にも存在しない構造であり、マムシ類の頬窩がボアやニシキヘビの口唇窩よりも高解像度の画像を生成する証拠であると考えられている。

電気生理学的実験によって眼の視野とピット器官の視野が重なっていることが確かめられている。この2つの視野を視蓋表面にマッピングすると、同側の眼とピット器官の視野はどちらも対側の視蓋の同じ場所に記録される。ただしおそらくは解像度の関係で、記録される領域は赤外線のほうが可視光よりも粗いものとなる<!-- TERASHIMA, S., AND R. C. GORIS. 1975. “Tectal organization of pit viper infrared reception”. Brain Research 83:490–494. --><!-- BERSON, D. M., AND P. H. HARTLINE. 1988. “A tecto-rotundo-telencephalic pathway in the rattlesnake: evidence for a forebrain representation of the infrared sense”. Journal of Neuroscience 8:1074–1088. -->。視蓋からの赤外線/視覚情報は視床の円形核へ進み、さらに[[終脳]]の前背側脳室隆起へ向かう。円形核からの情報の一部は対側の円形核に移動する。鳥類における研究で円形核は、色彩・形状・移動・視野への登場、を処理していることが判明しており<!-- KARTEN, H. J., AND A. M. REVZIN. 1966. “The afferent connections of the nucleus rotundus in the pigeon”. Brain Research 2:368–377. -->、ヘビにおいても同様であると推測される<ref name=goris2011/>。

== 機能 ==
中枢神経系内でのピット情報の取り扱いで理解できるように、ピットは視覚とは別の感覚と言うよりは視覚の一部(または視覚の拡張)として機能している。脊椎動物は網膜に数種類の錐体視細胞を持ち、それぞれの錐体は異なる視物質を含んで特定の波長域の電磁波(光)を感じる。その特定波長の光を「光の原色」として、各錐体からの刺激が様々に組み合わさることにより動物は色覚を得ている。ピットは眼から検出された3原色にさらに赤外線波長域の「原色」を加えることによって広帯域画像を構築することを可能としている<ref name=hs98/><ref name=goris2011/>。

=== 立体視 ===
ピットは左右にあるため、両眼と同様に視野の重なる部分では立体視が可能で対象までの距離も認識可能であると考えられている。一般的にヘビの両眼は側方を向いていることが多いが、そういった種でも頬窩は前方を向いていることが多く、そのような場合眼球よりも立体的視野をもたらすことが可能である<ref name=goris1988/>。これも眼と同様、動くものには敏感だが対象が急停止すると一瞬見失うこともあると言われている。ただしその場合も頭を左右に振って立体視を行い対象を再確認する<ref name=nrh68/>。

=== 解像度 ===
視蓋に記録される赤外線領域と可視光領域の比較により、ピット器官の解像度は眼と比べて低いと考えられている。これは眼球の光受容体(視細胞)数が数百万個であるのに対してピットの赤外線受容体数は数千個であること、眼球にはレンズ([[水晶体]])があり焦点を結ぶことができるのに対しピットにはピンホールの役割を持つ穴しかないことからも裏付けられる<ref name=goris2011/>。さらにピンホールカメラの構造をもつとはいえ、ピットの開口部は比較的大きいので受容面上に明確な像を映し出すことはできない。しかしマムシ亜科やニシキヘビ科ではピット開口部は必ず受容領域よりも小さく、また開口部形状も円形・三角形・四角形・スリット型など様々である。受容領域は同時に全領域が照らし出されることはなく、常に複雑な明暗パターンが受容領域上に描かれることになる<ref name=nrh67/>。この明暗パターンが視野内の物体移動やヘビ自身の移動に伴って受容領域上を移動し、ヘビはそれを知覚することができる<ref name=nrh68/>。少なくとも赤外線の照射方向の感知はかなり正確で、ガラガラヘビで調べられた方向感覚の誤差は 5° 以内であった<!-- NEWMAN, E. A., & HALTLINE, P. H. 1982. “The infrared "vision of snake" ”. Sci. Am. 246:98-107--><ref name=terashima1989/>。

=== 感度調節 ===
眼球においては[[瞳孔]]の拡大と収縮により入射光量を変化させ感度を調節しているが、ピット膜やピット底においては同様な感度調節機構が存在している。それがピット膜やピット底の受容器層の裏側に存在する[[毛細血管]]網である。これら毛細血管の第一の役割はもちろん赤外線受容体への[[酸素]]/[[エネルギー]]供給であるが、これには受容体を反応させた温度変化を除去する役目もあると考えられている<ref name=nrh67/>。ピット膜は0.003℃(ことによると0.001℃)の温度変化に反応できることが多くの研究によって確認されている。しかし例えば、赤外線入射によって温度が上昇し発火頻度が増した受容体が、入射が無くなっても温度が高いままだといわば「残像」が残ったままとなってしまう。よって入射が無くなれば速やかに背景と同レベルまで冷却する必要があり、これが背景と同温の血液が流れている毛細血管による温度の平衡化によって行われる<!-- AMEMIYA, F., M. NAKANO, R. C. GORIS, T. KADOTA, Y. ATOBE, K. FUNAKOSHI, K. HIBIYA, AND R. KISHIDA. 1999. “Microvasculature of crotaline snake pit organs: possible function as a heat exchange mechanism”. Anatomical Record 254:107–115. --><!-- GORIS, R. C., Y. ATOBE, M. NAKANO, K. FUNAKOSHI, AND K. TERADA. 2007. “Blood flow in snake infrared organs: response-induced changes in individual vessels”. Microcirculation 14:99–110. -->。これは低温の物体を視て発火頻度が減少した受容体についても同じ事である。蛍光マイクロビーズを血流中に入れ高速動画撮影を行った実験においても、ピット膜の一部を[[赤外線レーザー]]で照射すると、その部分を血流に乗って流れるマイクロビーズの速度が照射していない部分に比べて増加することが確かめられている。血液の流速調整は毛細血管を取り囲む[[周皮細胞]]の収縮と弛緩によって行われているのではないかと推測されている<ref name=goris2011/>。

== 起源 ==
頬窩、ニシキヘビの口唇窩、ボアの口唇窩の形態は頬窩の方がより精巧であり<ref name=hs98/>、ニシキヘビの口唇窩とボアの口唇窩の形態にも差異がある。その精巧さに伴って熱線刺激の検出感度は、頬窩、ニシキヘビの口唇窩、ボアの口唇窩の順に優れている<!-- DE COCK BUNING, Tj. 1983. “Thresholds of infrared sensitive tectal neurons Python reticularis, Boa constrictor and Agkistrodon rhodostoma”. J. comp. Physiol. A151:461-467. -->。既に述べた構造上の違い、神経系における大きな差、他にも頬窩の受容体が[[真皮]]に存在するのに対し口唇窩の受容体は[[表皮]]に存在するので脱皮のたびに脱落して新しいものに更新される<ref name=goris2011/>などの点から、頬窩と口唇窩は各々独立に発達してきたと考えられている<ref name=terashima1989/>。ピット器官をもっているヘビにとっては恒温動物の体はいわば「光って」見えるため、獲物を探すのにも敵を避けるのにも非常に都合が良く<ref name=sk411/><ref name=nrh68/><ref name=hs99>『爬虫類の進化』 p99</ref>そのために進化してきたとされているが、最近の研究ではさらに[[変温動物]]であるヘビ自身の[[体温調節]]のためにも役立っていることが示唆されている<ref name="KBLaD">{{cite journal|last=Krochmal|first=Aaron R.|author2=George S. Bakken |author3=Travis J. LaDuc |title=Heat in evolution's kitchen: evolutionary perspectives on the functions and origin of the facial pit of pitvipers (Viperidae: Crotalinae)|journal=Journal of Experimental Biology |date=15 November 2004|volume=207|pages=4231–4238|doi=10.1242/jeb.01278|pmid=15531644|issue=Pt 24|doi-access=free}}</ref>。

== 他の動物の可視光外波長視覚 ==
[[File:BirdVisualPigmentAbsorbance.svg|220px|right|thumb|鳥類が持つ4種類の視物質。一番左、370nmに最大吸収率を持つ視物質は近紫外線に対応している。]]
他の動物でもヒトの可視光外の波長を視ることができるものがいるが、そのほとんどが紫外線視覚である。ここ数十年の研究を経て、鳥類、トカゲ類、カメ類、多くの魚類が紫外線視覚を持つことがわかってきた<ref name=SoB32>『鳥のサイエンス』 p32</ref>。これは彼らの網膜に紫外線波長に対応した視物質をもつ錐体視細胞が存在することによって達成されている{{Refnest|group="†"|これはそれらの動物が特殊化しているのではなく、逆にヒトを含む現生哺乳類が紫外線感知能力を失う方向に特殊化したのであることがわかっている。脊椎動物の共通祖先は紫外線に対応した視物質を含む4種類の視物質を持っていた。我々の祖先が哺乳類に進化する際、おそらくは夜行性化への過程で2種の視物質を失い、結果紫外線領域は哺乳類にとって可視光範囲外となったと考えられている<ref name=SoB34>『鳥のサイエンス』 p34</ref>。}}。すなわち紫外線を視る能力は我々が可視光の特定の波長を視る能力と同様の機構により獲得されている。しかし赤外線については、第1点:少なくとも現在まで発見されている中で、赤外線に対応する視物質が存在しないこと<ref name=goris2011/>、第2点:水は赤外線をほぼ通さないので{{Refnest|group="†"|可視光域での水中の透過距離は約10m(海水)になるが、ピット器官が最も高感度になる帯域(8000〜12000nm)を含む中赤外線領域では透過距離は0.1mm 以下となる<ref name=shigenaka2003/><ref name=ichikawa1988>{{Cite journal ja-jp|author = 市川眞人・西岡明久|year = 1988|title = 中,遠赤外放射に対する水の吸収率と浸透深さの分光特性|url = https://www.jstage.jst.go.jp/article/jieij1980/72/2/72_2_102/_pdf|journal = 照明学会誌|volume = 72|issue = 2|publisher = 照明学会|issn = 0019-2341|pages = 102-108}}</ref>。}}、レンズ(水晶体)はもちろん角膜や[[硝子体]]も赤外線に対してほぼ完全に不透明であること<ref name=nrh66/>、以上2点により眼球の網膜内の感知機構として組み込むことはできない。よって赤外線感知能力を得るためには眼球以外の別の器官を発達させる必要があり、紫外線視覚をもつ動物が多数いるのに対し、赤外線感知能力をもつ動物は少ない。脊椎動物ではピット器官を持つヘビ以外には[[チスイコウモリ]]が鼻先に赤外線受容器を持つことが報告されている<ref name=terashima1989/><ref name=nrh69>『日本の両生類と爬虫類』 p69</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist}}
{{Reflist|group=†}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


* A.S.ローマー, T.S.パーソンズ 『脊椎動物のからだ その比較解剖学』 1983 ISBN 4-588-76801-8
* 疋田努 『爬虫類の進化』 東京大学出版会 2002 ISBN 4-13-060179-2
* {{Cite book ja-jp
|author = リチャード・ゴリス
|year = 1989
|chapter = ピット ー マムシの第2の目
|others2 = 疋田努・その他
|title = 日本の両生類と爬虫類
|publisher = 大阪市立自然史博物館
|series =
|pages = 66-69
}}
* {{Cite book ja-jp
|author = T. H. ゴールドスミス
|year = 2018
|chapter = 鳥たちが見る色あざやかな世界
|editor = 日経サイエンス編集部
|title = 鳥のサイエンス 知られざる生態の謎を解く
|publisher = 日経サイエンス
|series =
|isbn = 978-4-532-51227-9
|pages = 30-38
}}

== 外部リンク ==
{{commonscat|Pit organs}}
*[http://www.physorg.com/news76249412.html Physorg article on Infrared vision in snakes]


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2023年12月27日 (水) 08:35時点における版

ピット器官
上:ニシキヘビの口唇窩
下:ガラガラヘビの頬窩
上下とも黒矢印は鼻孔

ピット器官(ピットきかん、英語: pit organ)は、マムシ亜科ニシキヘビ科ボア科ヘビ爬虫綱有鱗目ヘビ亜目)が持つ赤外線受容器官[1][2]。英語そのままにピット・オルガン、単純にピットとも呼ばれる[3]。ヘビの顔面に開口した小孔として存在し、マムシ亜科が持つ鼻孔の間の頬部に一対存在するものを頬窩 (loreal pit)、ニシキヘビ科とボア科が持つ口唇に沿って複数並ぶものを口唇窩 (labial pit) と呼ぶ[2]。数メートルはなれた位置にいる温度差のある物体を「視る」ことができ、少なくとも0.003℃の温度差を感知できる[4]。赤外線領域の電磁波に対する感覚として可視光領域の電磁波に対する視覚と同様に働き、眼球と合わせて総合的な視覚をヘビにもたらしている[2][5]

研究史

マムシ亜科ヘビがほとんど分布していない土地からきたヨーロッパ移民にとっては、アメリカ大陸のマムシ亜科毒蛇の顔面に存在するピット器官(頬窩)は特徴的なものだった[3]英語 (pit viper)をはじめとして、フランス語 (vipères à fosse)、スペイン語 (víboras de foseta)、ポルトガル語 (cobra-covinha) などのヨーロッパ言語におけるマムシ亜科ヘビの呼称には「穴」「窪み」を指す語が含まれている。

ピット器官が科学界に登場するのは1683年にエドワード・タイソン (Edward Tyson) がロンドン王立協会ガラガラヘビの解剖学について報告したときであると言われている。彼はピット器官の解剖学的特徴について述べ、これをなんらかの感覚器ではないかと(その点では)正しく推測したが、残念ながら聴覚器と考えた[6]。その後もこの他に似た例のない器官について、「余分な鼻孔」「角膜洗浄用の分泌腺」「嗅覚器」「魚類の側線のようなもの」「第六感」など様々な説が飛び交った。

1930年代になって、ピット器官がを感じていることがわかり始めた。ピット器官と赤外線放射との関連性について初めて注目されたのは1935年のことで、M. Ros によってアフリカニシキヘビの口唇窩を塞いだ場合に温物体への誘引行動が変化することが報告された。数年後、頬窩についても口唇窩についても同様に熱放射に対する感知器官であり、かなり小さな温度差をも感知することがNoble and Schmidt (1937) によって明らかになった[7]

1950年代に入るとT. H. Bullock等によってピット器官に分布しているのが三叉神経の温繊維(温感を伝える神経繊維)であることが証明され、個々の神経細胞からの活動電位が記録できるようになって、その後の研究の基礎が確立された。以来現在に至るまで様々な電気生理学的・行動学的・形態学的・組織学的研究が成されている[8]

構造

ピット器官の構造はボア科・ニシキヘビ科の口唇窩とマムシ亜科の頬窩とでかなり異なる。また、同じ口唇窩でもニシキヘビ科の物とボア科の物にも差がある。マムシ亜科のものとニシキヘビ科のものは基本的には奧に受容体が広がった空隙の入り口が狭まった小孔となっており、レンズを持たないピンホールカメラと同様の構造を持っている[2]

口唇窩の構造

ボア科の口唇窩。鱗と鱗の間に開口している(エメラルドツリーボア) ニシキヘビ科の口唇窩。個々の鱗(下唇板)の中央に開口している(ミドリニシキヘビ)
ボア科の口唇窩。鱗と鱗の間に開口している(エメラルドツリーボア
ニシキヘビ科の口唇窩。個々の鱗(下唇板)の中央に開口している(ミドリニシキヘビ

ヘビの頭部の鱗で口吻周りの鱗について、上顎先端にある鱗を吻端板 (rostal scale)、上顎縁に沿ってある鱗を上唇板 (superlabial scale)、下顎縁に沿う鱗を下唇板 (infralabial scale) と呼ぶ(「ヘビの鱗」を参照)。ボア科の口唇窩がニシキヘビ科の物と異なる点は、ボア科の口唇窩は鱗と鱗の間に開口しているのに対し、ニシキヘビ科の口唇窩は鱗の中に開いているという点である。

ボア科には口唇窩を持つものと持たないものが存在するが、口唇窩を持たないものでも試験された全てのボア科ヘビは赤外線を感じることができた[9]。口唇窩を持たずに赤外線感覚をもつボア科では、隣接する2枚の上唇板(下顎ならば下唇板)のうち、前方にある鱗の後端と後方にある鱗の前端に赤外線受容体が分布している。口唇窩を持つボア科では前後の鱗の間が陥入することでピット器官が形成されるが、その場合でも陥入部の底部には赤外線受容体は分布せず、受容体はあくまで前方鱗の後端と後方鱗の前端である。陥入部が比較的広がっているツリーボア属 (Corallus) などでは、そのことにより他のボア科よりも方向感覚が良い可能性がある。

ニシキヘビ科の口唇窩は、吻端板、上唇板、下唇板のおおよその中央部に開いた空隙であり、その底部に赤外線受容体が広がっている。この赤外線受容器は pit fundus(仮訳:ピット底[† 1])とよばれ、後述のピット膜と同様に網膜の機能を果たす。ピット底の奧には毛細血管網が位置する[7]

頬窩の構造

ピット器官(頬窩)の構造
Trigeminal nerve:三叉神経
Posterior air chamber:内腔
Anterior air chamber:外腔
Pit membrane:ピット膜

マムシ亜科の頬窩は、ボアやニシキヘビの口唇窩と比べてかなり複雑な構造をもつ。空孔の外側の空間と内側の空間が薄い膜で隔てられており、外側の空間は外腔(外室:outer chamber, outer cavity)、内側の空間は内腔(内室:inner chamber, inner cavity)、二つの空間を隔てて網膜の働きをする薄膜はピット膜 (pit membrane) と呼ばれる[† 1]。外腔は空孔径より少し狭まったピット器官開口部に向いて外気に接しており、内腔もポアー(pore:小穴)と呼ばれる細い管が眼とピット器官の間に通じている。ポアーは耳におけるエウスタキオ管と同様にピット膜内外の気圧を等しくする働きがある[10]。ピット膜の外腔側には赤外線受容体が並び、内腔側には発達した毛細血管網がある。これら2層を合わせてもピット膜の厚さは15μm ほどで、この厚さはマムシ類の楕円形をした赤血球の長径よりも小さい。この薄さとピット孔壁から離れて懸架されている配置のため、ピット膜の熱容量は小さくなっており感度の増大に寄与している[8]

の段階では頬窩のある位置には2つの窪みが前後に並んでおり、発生に従って後方の窪みが前方の窪みの内側に潜り込むように成長し、前方の窪みが外腔へ、後方の窪みが内腔へと変化する。2つの窪みの間にあった壁が非常に薄くなってピット膜となり、前方の窪みの陥入孔がピット器官開口部に、後方の窪みの陥入孔も細く残存してポアーとなる[8]

神経系

ピット器官に分布している神経は三叉神経由来であり、他の動物の温熱情報が視床を経由して大脳皮質の体性感覚野に向かうのに対し、ピットからの情報は三叉神経節を通って延髄を経由し視蓋(上丘)へ向かう[8]。頬窩のピット膜は三叉神経の第一支(眼神経)と第二支(上顎神経)の支配を受ける。口唇窩については、Goris (2011)では同じく第一支・第二支のみとしているが、寺嶋 (1989) では第三支(下顎神経)も含めた3支全てが関係するとしている。

末梢神経

左頬部を切開されて神経を露出しているガラガラヘビ標本。
1. ピット器官(頬窩)に向かう三叉神経束
2. 脳の三叉神経起始部
3. ピット器官(頬窩)

ピット器官に入った自由神経終末は細かく枝分かれし、シュワン細胞周りに絡みついた状態でミトコンドリアと一緒に詰め込まれた原繊維の塊を形成する。この塊は終末神経塊[† 2] (terminal nerve mass:TNM) と名付けられ、これが個々の赤外線受容体となる。すなわち、視覚における桿体錐体、聴覚における有毛細胞のような物理的情報を活動電位に変換する専門の感覚細胞は存在せず、神経末端がそのまま受容体となっている[8]。これがピット膜やピット底の表面に数千個集まって赤外線の像を受け取る[7]。受容体の構造は、ピット膜のものとピット底のものに基本的な差異は無い[9]

通常の感覚ならば適切な刺激が無い場合は沈黙し、適切な刺激が入ったときに発火する(信号を発する)。しかし全ての物体は常に赤外線を放射しているので、赤外線神経は常に継続的に発火し続ける。背景よりも高い温度による刺激に対しては発火頻度が増加することによって反応する。発火頻度は刺激となる赤外線の波長によっても変化し、応答は波長 8000〜12000 nm で最も強くなる。これは鳥類哺乳類など恒温動物の体表から放射される赤外線波長と一致する。また、背景よりも低温の物体が視野にいた場合は発火頻度は減少する。このことにより、少なくともマムシ亜科は冷たい背景に対して移動する暖かい物体と同様に暖かい背景に対して移動する冷たい物体も感知可能であることが確かめられている[7]

中枢神経

ピット膜やピット底や口唇赤外線受容体で発生した活動電位は三叉神経節を経由して延髄に入る。赤外線感知能力を持つヘビには延髄中に外側下行路核 (nucleus descendens lateralis) と呼ばれる処理中枢があり、赤外線受容器からの情報はここで最初の情報処理を受ける。外側下行路核は1974年に Molenaar によって発見され、三叉神経の下行路核の外側にあるため名付けられたもので、他のどのグループのヘビにも存在しない構造である[8]。外側下行路核で処理を受けた後の情報は口唇窩(ボア科・ニシキヘビ科)と頬窩(マムシ亜科)では少し異なる経路を取る。

眼球からの可視光情報は視神経交叉によって脳の対側(左右反対側)の視蓋に入るが[† 3]、ピットからの赤外線情報も延髄の同側(左右同じ側)で処理された後、対側の視蓋に入る。口唇窩の場合は外側下行路核の後すぐに対側の視蓋へ向かうが、頬窩の場合は外側下行路核の処理後、延髄の同側にあるもう一つの中継神経核を経由する。これは熱核 (nucleus reticularis caloris) と呼ばれ、延髄網様体の中の腹外側部に存在し、外側下行路核からの出力を全て受ける。同側の熱核での処理を受けてあらためて対側の視蓋へと送られる。熱核はボア科・ニシキヘビ科にも存在しない構造であり、マムシ類の頬窩がボアやニシキヘビの口唇窩よりも高解像度の画像を生成する証拠であると考えられている。

電気生理学的実験によって眼の視野とピット器官の視野が重なっていることが確かめられている。この2つの視野を視蓋表面にマッピングすると、同側の眼とピット器官の視野はどちらも対側の視蓋の同じ場所に記録される。ただしおそらくは解像度の関係で、記録される領域は赤外線のほうが可視光よりも粗いものとなる。視蓋からの赤外線/視覚情報は視床の円形核へ進み、さらに終脳の前背側脳室隆起へ向かう。円形核からの情報の一部は対側の円形核に移動する。鳥類における研究で円形核は、色彩・形状・移動・視野への登場、を処理していることが判明しており、ヘビにおいても同様であると推測される[7]

機能

中枢神経系内でのピット情報の取り扱いで理解できるように、ピットは視覚とは別の感覚と言うよりは視覚の一部(または視覚の拡張)として機能している。脊椎動物は網膜に数種類の錐体視細胞を持ち、それぞれの錐体は異なる視物質を含んで特定の波長域の電磁波(光)を感じる。その特定波長の光を「光の原色」として、各錐体からの刺激が様々に組み合わさることにより動物は色覚を得ている。ピットは眼から検出された3原色にさらに赤外線波長域の「原色」を加えることによって広帯域画像を構築することを可能としている[2][7]

立体視

ピットは左右にあるため、両眼と同様に視野の重なる部分では立体視が可能で対象までの距離も認識可能であると考えられている。一般的にヘビの両眼は側方を向いていることが多いが、そういった種でも頬窩は前方を向いていることが多く、そのような場合眼球よりも立体的視野をもたらすことが可能である[9]。これも眼と同様、動くものには敏感だが対象が急停止すると一瞬見失うこともあると言われている。ただしその場合も頭を左右に振って立体視を行い対象を再確認する[5]

解像度

視蓋に記録される赤外線領域と可視光領域の比較により、ピット器官の解像度は眼と比べて低いと考えられている。これは眼球の光受容体(視細胞)数が数百万個であるのに対してピットの赤外線受容体数は数千個であること、眼球にはレンズ(水晶体)があり焦点を結ぶことができるのに対しピットにはピンホールの役割を持つ穴しかないことからも裏付けられる[7]。さらにピンホールカメラの構造をもつとはいえ、ピットの開口部は比較的大きいので受容面上に明確な像を映し出すことはできない。しかしマムシ亜科やニシキヘビ科ではピット開口部は必ず受容領域よりも小さく、また開口部形状も円形・三角形・四角形・スリット型など様々である。受容領域は同時に全領域が照らし出されることはなく、常に複雑な明暗パターンが受容領域上に描かれることになる[10]。この明暗パターンが視野内の物体移動やヘビ自身の移動に伴って受容領域上を移動し、ヘビはそれを知覚することができる[5]。少なくとも赤外線の照射方向の感知はかなり正確で、ガラガラヘビで調べられた方向感覚の誤差は 5° 以内であった[8]

感度調節

眼球においては瞳孔の拡大と収縮により入射光量を変化させ感度を調節しているが、ピット膜やピット底においては同様な感度調節機構が存在している。それがピット膜やピット底の受容器層の裏側に存在する毛細血管網である。これら毛細血管の第一の役割はもちろん赤外線受容体への酸素/エネルギー供給であるが、これには受容体を反応させた温度変化を除去する役目もあると考えられている[10]。ピット膜は0.003℃(ことによると0.001℃)の温度変化に反応できることが多くの研究によって確認されている。しかし例えば、赤外線入射によって温度が上昇し発火頻度が増した受容体が、入射が無くなっても温度が高いままだといわば「残像」が残ったままとなってしまう。よって入射が無くなれば速やかに背景と同レベルまで冷却する必要があり、これが背景と同温の血液が流れている毛細血管による温度の平衡化によって行われる。これは低温の物体を視て発火頻度が減少した受容体についても同じ事である。蛍光マイクロビーズを血流中に入れ高速動画撮影を行った実験においても、ピット膜の一部を赤外線レーザーで照射すると、その部分を血流に乗って流れるマイクロビーズの速度が照射していない部分に比べて増加することが確かめられている。血液の流速調整は毛細血管を取り囲む周皮細胞の収縮と弛緩によって行われているのではないかと推測されている[7]

起源

頬窩、ニシキヘビの口唇窩、ボアの口唇窩の形態は頬窩の方がより精巧であり[2]、ニシキヘビの口唇窩とボアの口唇窩の形態にも差異がある。その精巧さに伴って熱線刺激の検出感度は、頬窩、ニシキヘビの口唇窩、ボアの口唇窩の順に優れている。既に述べた構造上の違い、神経系における大きな差、他にも頬窩の受容体が真皮に存在するのに対し口唇窩の受容体は表皮に存在するので脱皮のたびに脱落して新しいものに更新される[7]などの点から、頬窩と口唇窩は各々独立に発達してきたと考えられている[8]。ピット器官をもっているヘビにとっては恒温動物の体はいわば「光って」見えるため、獲物を探すのにも敵を避けるのにも非常に都合が良く[1][5][12]そのために進化してきたとされているが、最近の研究ではさらに変温動物であるヘビ自身の体温調節のためにも役立っていることが示唆されている[13]

他の動物の可視光外波長視覚

鳥類が持つ4種類の視物質。一番左、370nmに最大吸収率を持つ視物質は近紫外線に対応している。

他の動物でもヒトの可視光外の波長を視ることができるものがいるが、そのほとんどが紫外線視覚である。ここ数十年の研究を経て、鳥類、トカゲ類、カメ類、多くの魚類が紫外線視覚を持つことがわかってきた[14]。これは彼らの網膜に紫外線波長に対応した視物質をもつ錐体視細胞が存在することによって達成されている[† 4]。すなわち紫外線を視る能力は我々が可視光の特定の波長を視る能力と同様の機構により獲得されている。しかし赤外線については、第1点:少なくとも現在まで発見されている中で、赤外線に対応する視物質が存在しないこと[7]、第2点:水は赤外線をほぼ通さないので[† 5]、レンズ(水晶体)はもちろん角膜や硝子体も赤外線に対してほぼ完全に不透明であること[3]、以上2点により眼球の網膜内の感知機構として組み込むことはできない。よって赤外線感知能力を得るためには眼球以外の別の器官を発達させる必要があり、紫外線視覚をもつ動物が多数いるのに対し、赤外線感知能力をもつ動物は少ない。脊椎動物ではピット器官を持つヘビ以外にはチスイコウモリが鼻先に赤外線受容器を持つことが報告されている[8][17]

脚注

注釈

  1. ^ a b 和文用語の”内腔/外腔”はゴリス(1989)、”内室/外室”は疋田(2002)での用例。英文の用例はそれぞれの訳語に対応しているわけではない。”ポアー”はゴリス(1989)での用例。”ピット膜”はゴリス(1989)、疋田(2002)、寺嶋(1989)など複数の日本語文献で用いられていて定訳と考えられるが、口唇窩におけるpit fundusについては日本語の定訳をみつけられず暫定的に”ピット底”としてある。適切な日本語用例が見つかれば出典を伴って置き換えられるべきものである。
  2. ^ ”終末神経塊”・”外側下行路核”・”熱核”の和文用語は寺嶋 (1989) における用例
  3. ^ ヒトを含む哺乳類では網膜が受け取った情報が左半分・右半分に分かれ、各網膜の片側の情報はどちらも同側の脳に向かうという不完全交叉であるが[11]、ヘビの場合は一つの網膜が受け取った情報は全て対側の視蓋へと向かう完全交叉であり、ピット器官からの情報も同様に全て対側の視蓋へ向かう[7]
  4. ^ これはそれらの動物が特殊化しているのではなく、逆にヒトを含む現生哺乳類が紫外線感知能力を失う方向に特殊化したのであることがわかっている。脊椎動物の共通祖先は紫外線に対応した視物質を含む4種類の視物質を持っていた。我々の祖先が哺乳類に進化する際、おそらくは夜行性化への過程で2種の視物質を失い、結果紫外線領域は哺乳類にとって可視光範囲外となったと考えられている[15]
  5. ^ 可視光域での水中の透過距離は約10m(海水)になるが、ピット器官が最も高感度になる帯域(8000〜12000nm)を含む中赤外線領域では透過距離は0.1mm 以下となる[4][16]

出典

  1. ^ a b 『脊椎動物のからだ』 p411
  2. ^ a b c d e f 『爬虫類の進化』 p98
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  4. ^ a b 重中圭太郎:編、2003、「環境の赤外線Q&A」、『日本赤外線学会誌』13巻1号、日本赤外線学会、ISSN 0916-7900 pp. 79-95
  5. ^ a b c d 『日本の両生類と爬虫類』 p68
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  17. ^ 『日本の両生類と爬虫類』 p69


  • A.S.ローマー, T.S.パーソンズ 『脊椎動物のからだ その比較解剖学』 1983 ISBN 4-588-76801-8
  • 疋田努 『爬虫類の進化』 東京大学出版会 2002 ISBN 4-13-060179-2
  • リチャード・ゴリス、1989、「ピット ー マムシの第2の目」、疋田努・その他『日本の両生類と爬虫類』、大阪市立自然史博物館 pp. 66-69
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外部リンク