コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「齋藤正樹 (寿司職人)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
71行目: 71行目:
|補足=
|補足=
}}
}}
'''齋藤 正樹'''(さいとう まさき、{{Lang-en|''Masaki Saito''}}、[[1987年]][[8月27日]] - )は、[[日本]]の[[握り寿司#寿司職人|寿司職人]]。「Sushi Masaki Saito」のオーナーシェフ。「MASAKI SAITO CONSULTING INC.」の代表取締役。
'''齋藤 正樹'''(さいとう まさき、[[英語]]: ''Masaki Saito''、[[1987年]][[8月27日]] - )は、カナダ・トロント在住の[[寿司|寿司職人]]。[[北海道]][[伊達市 (北海道)|伊達市]]出身。家族構成は、父・母・姉の四人家族。現在は Sushi Masaki Saito 」のオーナーシェフ。「 MASAKI SAITO CONSULTING INC. 」の代表取締役。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[北海道函館水産高等学校]]を卒業後、上京し寿司屋で4年の修行を経て、「すし善」([[札幌市]])へ移る。その後、「銀座おのでら」本店、[[香港]]、[[ニューヨーク]]を経て、独立。2019年5月カナダ・トロントに「Sushi Masaki Saito」をオープン<ref>{{cite web|url=https://torontolife.com/food/guy-one-bankable-names-big-money-world-fish-rice/|title=Big Fish|website=Toronto Life|publisher=Toronto Life Publishing Co., Ltd.|date=2019-05-17|accessdate=2019-09-15|language=en}}</ref>。2016年に[[ニューヨーク]]にて[[ミシュランガイド]]の1つ星、翌年2017年に2つ星を取得。そして2022年カナダミシュランガイドにて、トロントで唯一の2つ星を取得している
[[北海道函館水産高等学校]]を卒業後、上京し寿司屋で4年の修行を経て、「 札幌すし善 」へ移る。その後、「 銀座おのでら 」本店、[[香港]]、[[ニューヨーク]]を経て、独立。2019年5月[[カナダ]][[トロント]]に「 Sushi Masaki Saito 」をオープン。2016年ニューヨークにてミシュラン1つ星、翌年2017年に2つ星を取得。そして2022年カナダ初上陸のミシュランにて、トロントで唯一の2つ星を取得。


== 歴 ==
== 人物・経歴 ==
=== 生い立ち ===
{{要出典範囲|[[北海道]][[伊達市 (北海道)|伊達市]]に生まれ、中学卒業までの15年間を過ごす。祖父母が[[知内町]]の小さな漁村で漁師をしていたため、毎年訪れては[[シュノーケリング]]や魚釣りをして、海や魚に触れる機会が多かった。その結果肉よりも魚を食べることの方が多く、子供の頃から好物は[[刺身]]であった。|date=2023-02}}


=== '''幼少期''' ===
{{要出典範囲|幼少時代はサッカー・アイススケート・水泳・ピアノ・書道と複数の稽古ごとをこなす。サッカーでは全道大会準優勝、大会得点王を経験し、アイススケートでは地方大会6年連続で金メダルを獲得するなど、体を動かすことが好きな、活発な少年だった。一方、スポーツだけでなく、書道においては全道コンクールにて入賞している。稽古ごとの節目に必ず訪れていた地元の「千代鮨」で食べた寿司に魅了されるが、8歳の時に店主が他界して食べることができなくなる。その後、他の鮨屋に訪れるも、千代鮨で食べた味を超える美味しさはないと感じ、自らが寿司職人になることを目指す。|date=2023-02}}
1987年8月27日北海道伊達市に生まれ、中学卒業までの15年間を過ごす。幼少時代はサッカー・アイススケート・水泳・ピアノ・書道と数々の稽古事をこなし、センスと忍耐力、集中力、判断力を培う。サッカーでは全道大会準優勝、大会得点王を経験し、アイススケートでは地方大会6年連続で金メダルを獲得するなど、体を動かすことが好きな、活発な少年だった。一方、スポーツだけでなく、書道においては全道コンクールにて入賞、9年間通ったピアノは今でも趣味の一つとして楽しんでいる。


==== '''祖父母の影響''' ====
{{要出典範囲|中学卒業後に地元を離れ、水産物全般に関する知識を深めるために北海道立函館水産高等学校へ進学する。高校2年生(当時17歳)の時に、[[ハワイ]]沖へ53日間の遠洋航海となる[[マグロ]]延縄漁業実習に参加した。実習中は24時間ワッチや機関室での点検業務などをおこなった他、延縄漁業における仕掛けを一から作り、全長200km、12000本の仕掛けを6時間かけて投入した。約10日間の実習では、1日平均1.2tの釣果を得る。船上で釣れたてのマグロを食べた時に「こんなに美味しくないマグロは初めてだ。」と感じ、魚体が大きくなるにつれ熟成させることがいかに大事かを目の当たりにした。また、[[太平洋]]の真ん中で実習をしていたため、帰りたくても帰れないという過酷な環境下において、精神力や忍耐力が鍛えられる。在学中に1級[[小型船舶操縦士]]をはじめ、[[危険物取扱者]]乙種(第4類・第5類)、[[玉掛作業者]]、[[移動式クレーン運転士|小型移動式クレーン運転士]]など、約10種類の資格を取得した。|date=2023-02}}
祖父母が北海道知内町の小さな漁村で漁師をしていた為、毎年訪れてはシュノーケリングや魚釣りをして、海や魚に触れる機会が多かった。その為、肉よりも魚を食べることの方が多く、子供の頃から好物は刺身であった。


=== 寿司職人 ===
==== '''寿司職人を目指したきっかけ''' ====
稽古ごとの節目に必ず訪れていた、地元の「千代鮨」で食べた寿司に魅了されるが、8歳の時に店主が他界したことをきっかけに千代鮨に行くことが出来なくなった。その後、他の鮨屋に訪れるも、千代鮨で食べた味を超える美味しさはないと感じ、自らが寿司職人になることを目指す。
{{要出典範囲|高校卒業後上京し、東京都[[築地]]にある寿司屋に就職。寝る間も惜しんで働く毎日を送る。1年目は皿洗いから始まり、掃除、ごみ捨て、賄い作りなどの基礎的な仕事であった。魚に触れることはできず、「仕事は目で盗む」という教えを信じて、先輩たちの仕事を見た。約半年後、休みの日に職場に行き仕事をしていると、魚に触ってもよいという許可を得る。そこで初めて、コハダやアジといった光物に触れる。先輩が魚をおろしている様子を何度も見て、仕込みのイメージトレーニングも充分にしてきたつもりであったが、現実は甘くなかった。それを機に、休みの日にも職場へ行き、自主的に仕込みの練習をした。|date=2023-02}}


=== '''青年期''' ===
{{要出典範囲|2年目に親方から、その年の「寿司技術コンクール」への出場を提案されるが、その時はまだ絶対に優勝できるという自信がなかったため断った。翌年は必ず出場して優勝することを約束して練習を重ね、「初出場・最年少記録」で優勝を果たした。|date=2023-02}}


==== '''ハワイ沖でのマグロ延縄漁業''' ====
約4年半で退職し、当時北海道で一番と言われていた[[札幌市]]の「すし善」へ移り、オーナーの嶋宮勤に出会う{{要出典|date=2023-02}}。嶋宮は札幌で初めて本格的な下仕込みをする店として「すし善」を開いた人物だった<ref>[https://hre-net.com/keizai/keizaisougou/48810/ 「すし善」嶋宮勤代表取締役がSATOグループセミナーで講演、「伝統は改革によって守られる」①] - リアルエコノミー(2020年11月26日)2023年2月4日閲覧。</ref>。{{要出典範囲|本来であれば修業年数10年以下の若手が寿司場に立つことが出来ないような高級店であったが、当時23歳でその実力を買われ、寿司職人として雇われた。そこでは、今まで教わったことのない高い技術や、扱ったことのない魚に触れ、江戸前寿司の奥深さをさらに知る。|date=2023-02}}
中学卒業後、地元伊達市を離れ、水産物全般に関する知識を深めるために北海道立函館水産高等学校へ進学する。高校二年生(当時17歳)の時に、ハワイ沖へ53日間の遠洋航海、マグロ延縄漁業へ出航。実習中は24時間ワッチや機関室での点検業務などを行なった他、延縄漁業における仕掛けを1から作り、全長200km、12000本の仕掛けを6時間かけて投入した。約10日間の実習では、1日平均1.2tの釣果を得る。メバチマグロをはじめ、キハダマグロ、ビンチョウマグロ、カジキマグロ、クロタチカマス、アオザメ、イタチザメ、アカマンボウなどを釣り上げる。ハワイに上陸後、静岡県清水港で水揚げし、その後函館へ帰港する。


船上で釣れたてのマグロを食べた時に「こんなに美味しくないマグロは初めてだ。」と感じ、いかに魚体が大きくなるにつれ熟成させることが大事なのかを目の当たりにした。また、太平洋の真ん中で実習をしていた為、帰りたくても帰れないという過酷な環境下において、精神力や忍耐力が鍛え上げられた。
{{要出典範囲|著名人や富裕層を相手に寿司を握り、接客をすることで、言葉遣いや所作を学び、自信を付けた。しかし、ある日客から若さゆえに毛嫌いされて厳しい評価を受け、今までにない挫折を味わった。|date=2023-02}}


==== '''高校三年間での取得資格''' ====
{{要出典範囲|他方、高級店で外国人と接客する機会が増えたことにより、多国籍文化の違いに興味を持った。感情豊かなコミュニケーションやリアクションのよさ、そして何よりも職人へのリスペクトを感じた。|date=2023-02}}
1級小型船舶操縦士をはじめ、危険物取扱者乙種第4類・第5類、玉掛け、小型移動式クレーンなど、約10種類の資格を取得。


=== 海外移住 ===
==== '''寿司職人見習い''' ====
高校卒業後上京し、東京都築地にある寿司屋に就職。365日、寝る間も惜しんで働く毎日を送る。一年目の業務内容は皿洗いから始まり、掃除、ごみ捨て、賄い作りなどの基礎的な仕事であった。もちろん魚に触れることは出来ず、「仕事は目で盗む」という教えを信じて、横目で先輩達の仕事を見ていた。すると、約半年後チャンスが訪れる。休みの日に職場に行き仕事をしていると、魚に触っても良いという許可を得る。そこで初めて、コハダやアジといった光物に触れる。先輩が魚をおろしている様子を何度も見て、仕込みのイメージトレーニングも充分にしてきたつもりであったが、現実は甘くなかった。それを機に、休みの日にも職場へ行き、自主的に仕込みの練習をした。
{{要出典範囲|26歳の時、[[香港]]へ移る。初めての海外では慣れない文化や言語の違いに戸惑いを感じたが、それよりも未知の世界に対する期待感もあり、さほど苦にしなかった。香港では世界トップクラスを誇る富裕層の多さと人口密集率に驚く。日本からの魚の輸送もオーダーした当日の昼過ぎには届くため鮮度はよく、[[HACCP]](ハサップ)のレギュレーションも欧米よりも緩いことで、使いたい食材が簡単に手に入った。[[日本酒]]は高価もかかわらず、現地の客には人気で驚くほど売れた。日本食も好まれ街中に店も多く存在した。ミシュランの星を獲得している店舗も多く、アジアの富裕層は日本とほぼ変わらないレベルの日本料理を口にする機会が多いため、知識や経験も豊富であった。|date=2023-02}}


二年目に入り、初めての後輩もできたことで、より責任が増え、仕事への熱意が更に高まった。親方から、その年の「 寿司技術コンクール 」への出場を提案されるが、その時はまだ絶対に優勝できるという自信がなかった為、断った。翌年は必ず出場して優勝することを約束し、日々の練習に励んだ。そして翌年のコンクールでは、「 初出場・最年少記録 」で見事優勝を果たす。
{{要出典範囲|毎年香港では「Food Expo Hong Kong」という、一般からプロのシェフまで約3万人もの人が参加する香港食品業界の最大イベントがある。このイベントには日本の[[農林水産省]]も力を入れており、委託を受けて「[[米]]」にフォーカスした演説をおこなった。|date=2023-02}}


==== '''更なるステップアップへ''' ====
{{要出典範囲|香港で約1年過ごした後、新たなプロジェクト(「銀座おのでら」の店舗開設)のためニューヨークに移る。当初は現地に一人で入って準備を始め、店をオープンさせた。そこで「江戸前寿司とは何か?」とメディアや客から多く問われ、アジアとの差を感じる。ニューヨークをはじめ、欧米諸国の人々は簡単に日本の食文化に触れられないということが理由の一つであった。しかし著名人や富裕層であっても職人へのリスペクトが強く、会話一つにおいても尊敬と敬意を感じた。言葉や文化の違いによる苦労も多かったが、周囲のサポートや人に恵まれ、日本とは異なる多くの経験を味わう。オープンから約半年後、28歳の時にミシュランガイドの1つ星を獲得する。ミシュランの星を獲得してからはメディアからのインタビューを始め、日本や海外テレビ局への出演、有名ブランドとのタイアップ、コラボレーション、航空機内映像、プライベートジェット機内でのサービス提供、[[タイ王国]]や[[オランダ]]王室関係者へのサービス提供等と数多くの依頼を受ける。|date=2023-02}}
約4年半で退職し、当時北海道で一番と言われていた「 札幌すし善 」へ移る。そこで、巨匠・嶋宮勤氏に出会う。本来であれば修業年数10年以下の若手が寿司場に立つことが出来ないような高級店であったが、当時23歳でその実力を買われ、寿司職人として雇われた。そこでは、今まで教わったことのない高い技術や、扱ったことのない魚に触れ、江戸前寿司の奥深さを更に知る。


日々、著名人や富裕層のお客様を相手に寿司を握り、接客をすることで、言葉遣いや所作を学び、自信を付けていった。しかし、ある日訪れたお客様から、若さゆえに毛嫌いされ、厳しい評価を受けた。それは初めての経験であり、今までにない挫折を味わった。
{{要出典範囲|1つ星を獲得したことによりミシュランガイドの星に対して意識が変わり、翌年には2つ星を獲得する。周囲からは来年は3つ星と期待されたが、「3つ星は自身の店舗で獲得したい」という意識を持つようになり、会社を退職した。|date=2023-02}}


=== カナダでの独立 ===
=== '''壮年期''' ===
{{要出典範囲|ニューヨークを離れる際に世界各地の投資家や資産家、企業等から出店の勧誘を受け、その中でカナダを選ぶ。ニューヨークからトロントまで飛行機で約1時間という距離にもかかわらずレストラン業界のレベルが圧倒的に違う状況を「変えたい」という意識と、国・人々・自然のよさが理由だった。|date=2023-02}}


==== '''寿司文化を海外に''' ====
2019年にトロントに移住し、同年5月にヨークビルエリアに自身の店を開く。常に2ヶ月以上の満席、キャンセル待ちの状態を維持する。2020年1月には地元の新規レストランランキングで1位ともなった<ref>{{cite web|url=https://trnto.com/best-new-restaurants-in-toronto-2019/|title=Critics pick the 10 best new restaurants in Toronto|website=TRNTO|publisher=lindsaylow for TRNTO|date=2020-01-08|accessdate=2020-01-08|language=en}}</ref>。{{要出典範囲|しかし、同年3月に[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症流行]]の影響でトロントもロックダウンが実施された。店が開けない状況で、企業とのコラボレーションやケータリングイベント等をおこなったほか、「CHEFS’ CIRCLE」といった、医療機関や医療関係者に対しての慈善事業も実施した。|date=2023-02}}この間2020年6月にはカナダ国内のレストラン100位ランキングで10位となる<ref>{{cite web|url=https://canadas100best.com/best-restaurants-2020-sushi-masaki-saito/|title=10. SUSHI MASAKI SAITO|website=Canada’s 100 Best|publisher=Canada’s 100 Best|date=2020-06-18|accessdate=2020-06-18|language=en}}</ref>。


==== '''【香港】''' ====
{{要出典範囲|2022年から営業を再開する。同年9月、初のカナダ版ミシュランガイドでトロント最上位の2つ星となった。|date=2023-02}}
海外や独立に対する思いはあまり無かったが、高級店で外国人のお客様に接客する機会が増えたことにより、多国籍文化の違いに興味を持った。感情豊かなコミュニケーションやリアクションの良さ、そして何よりも職人へのリスペクトを感じた。

当時26歳、オープニングの為に香港へ移る。初めての海外では、慣れない文化や言語の違いに戸惑いを感じたが、それよりも未知の世界に対する期待感もあり、それほど苦ではなかった。香港において一番驚いたことは、世界トップクラスを誇る富裕層の多さと、人口密集率であった。日本からの魚の輸送もオーダーした当日の昼過ぎには届く為、鮮度は抜群であり、HACCPのレギュレーションも欧米に比べて緩く使いたい食材が簡単に手に入った。ただ日本酒の値段が異常に高いのにも関わらず、現地のお客様にはとても人気で驚くほどに売れた。香港ではとにかく日本食が好まれ街中に多く存在した。ミシュランの星を獲得しているお店も多く、アジアの富裕層は日本とほぼ変わらないレベルの日本料理を口にする機会が多い為、知識や経験も豊富であった。

毎年香港では「 Food Expo Hong Kong 」という、一般からプロのシェフまで約3万人もの人が参加する香港食品業界の最大イベントがある。このイベントには日本農林水産省も力を入れており、そこでは農林水産省から委託を受け「 お米 」にフォーカスした演説を行った。国内消費米や海外輸出米等といった知識の話にも興味を持って参加している姿を見て、やはり日本食に対する関心が深いと感じた。

Food Expo Hong Kong での演説の様子

==== '''【アメリカ・ニューヨーク】''' ====
香港で約1年過ごした後、新たなプロジェクトの為ニューヨークに移ることとなる。アジアとは異なった文化ではあったが、香港で経験したことも役立ち、さほど戸惑いは無かった。

当時27歳、まさか自分が世界の大都市ニューヨークで寿司を握るということを想像していなかったが、映画で見た世界に心躍らせ、さらなる挑戦に気持ちが高鳴った。当初は現地に一人で入り店舗のミーティングや設定、準備などに時間を費やし毎日を過ごした。それと共にに、マーケティングや経営戦略、人事業務等を行い、グランドオープンを迎える。

そこで「江戸前寿司とは何か?」という質問がメディアやお客様から多く問われ、アジアの客層との差を感じた。ニューヨークと違い、日本により近いアジア諸国の人々は短時間で日本に行くことができ、本物の日本食を味わうことができるが、ニューヨークをはじめ、欧米諸国の人々は移動だけでも時間がかかる為、簡単に日本の食文化に触れられないということが理由の一つであった。しかし著名人や富裕層であっても、職人へのリスペクトが強く、会話一つにおいても、尊敬と敬意を感じられた。特にエンターテインメントの都市であるニューヨークにおいては、その都市柄もあるのか、人を楽しませるというエンターテイナーとしての傾向が感じられ、お客様との会話の中では冗談も飛び交うなど、笑顔の広がる空間であった。異国の地での寿司職人としての仕事は、言葉や文化の違いから苦労することが多くあったが、周囲のサポートや人に恵まれ、日本では得られない多くのことを経験することができた。

==== '''初ミシュラン獲得''' ====
当時28歳。オープンから約半年後、異例の早さでミシュラン1つ星を獲得する。

もちろん料理人であれば誰でも【ミシュラン】というものは知っているであろう。賛否両論あるが世界で一番信頼度の高いメディア、媒体である。

レストランだけではなくホテルの評価も同時に行う。そのミシュランの1つ星を獲得したことによって大きく人生を変えはじめる。セレモニーパーティに参加した際は権威あるコックスーツを頂き【PPAP】の替え歌で会場を沸かせた。

==== '''ミシュラン2つ星獲得''' ====
当時29歳。翌年にはミシュラン2つ星を獲得する。この年のセレモニーパーティでも壇上でスピーチをし、会場を笑わせた。

2つ星獲得は予想していないかったことだが、昨年、1つ星を獲得したことによりミシュランの星に対しての意識レベルが変わった。星を獲得すること自体とても難しいことだが、維持することも大変である。いつ、誰が、どのシチュエーションで来るか分からない状況で一年間美味しい食事を提供し続ける精神レベルが必須とされるからだ。それ故に星を獲得する際にかかってくる電話で断る店舗も存在する。それだけ普段から店舗や予約、食材、人材管理、オーダー、クオリティ維持、向上、接客サービスなどに気を使っているので、更に重荷として自身にのしかかることの大変さは計り知れない。

周りからは来年は3つ星と期待されたが、自身はそう考えてはいなかった。不思議と湧いた感情の中に『3つ星は自身の店舗で獲得したい』という気持ちがあった為である。今まで独立を意識していなかったが故に自分でも驚く感情であった。その年に自店の出店を決意し会社を退職した。

==== '''ニューヨークでの経験''' ====
ミシュランの星を獲得してからは一気に名前が売れた。メディアからのインタビューを始め、日本や海外テレビ局からの出演依頼、有名ブランドとのタイアップ、コラボレーション、航空機内映像の依頼、プライベートジェット機内でのサービス提供依頼、タイ王国関係者へのサービス提供、オランダ王室関係者へのサービス提供等と数え切れない程の依頼を受けた。ミシュランという名前の偉大さを改めて感じ、新たな挑戦の原動力ともなった。

==== '''【カナダ・トロント】''' ====
海外で自身の店舗を立ち上げるのにはビジネスパートナーが必要だと考える。もちろん自分一人で立ち上げることも可能だが、知識や経験、コネクション等が無いと厳しい。ニューヨークを離れる際に世界各地の投資家や資産家、企業等から出店の話を頂いたが、その中で選んだ国がカナダであった。

過去に数回視察に訪れていたが、ニューヨークからトロントまで飛行機で約一時間という距離にも関わらず、レストラン業界のレベル差が圧倒的に違った。しかし、国も人々も環境も自然も大変素晴らしい。そんなトロントを『変えたい』という思いで選んだのである。

==== '''「グランドオープン」から「コロナ禍」''' ====
2019年(当時31歳)トロントに移り住み本格的に始動。そして同年5月にヨークビルエリアに自身のお店をグランドオープン。ニューヨークのミシュラン効果もあってか、常に2ヶ月以上の満席、キャンセル待ちの状態を維持する。しかし、翌年の2020年3月にコロナの影響でロックダウン。何度かロックダウンを繰り返し2022年からオープン再開。それまでの期間に企業とのコラボレーションやケータリングイベント等を行い普段出来ない取り組みにも積極的にチャレンジした。それに加え、「 CHEFS’ CIRCLE 」といった、沢山の富裕層を巻き込んで、医療機関や医療関係者に対しての慈善事業も行なっている。

==== '''ミシュラン2つ星獲得''' ====
2022年9月、ついにカナダにミシュランが初上陸。第1回目となるトロントミシュランガイドに掲載されるレストランは、1つ星が12店舗、2つ星が1店舗。そこで、最上位の2つ星を取得する。世界トップクラスの多文化多民族という国際色豊かなトロントの地で、日本料理が世界的に認められた瞬間でもあった。今回カナダにミシュランが上陸したことにより、トロントにおける食文化はさらに発展し、レストラン業界のレベルや競争率も上がっていくだろう。

ニューヨークに続き、トロントでの2つ星獲得は自身にとってもかなりのプレッシャーであり、クオリティの維持と共に更なる向上を目指さなえければならない。『3つ星は自身の店舗で獲得したい』という思いを胸に、更なる進化を目指す。


'''カナダにおける日本食普及の親善大使に任命'''

2022年12月、海外を拠点として活動する日本料理関係者を対象に、農林水産省が選出する「日本食普及の親善大使」に任命される。


{{Gallery
{{Gallery
120行目: 171行目:
|ファイル:S 13288307.jpg|2022年カナダミシュランセレモニーパーティ
|ファイル:S 13288307.jpg|2022年カナダミシュランセレモニーパーティ
}}
}}

== 受賞 ==

=== '''2016年''' ===
「 銀座おのでら 」ニューヨークにて出店半年後にミシュラン1つ星を獲得。

=== '''2017年''' ===
ミシュラン2つ星獲得。

=== '''2019年''' ===
「 The Best New Restaurants in Toronto in 2019 」トロントにおけるニューレストラン1位獲得。

=== '''2020年''' ===
「 Canada’s 100 Best 」カナダ国内ベストレストラン10位獲得。

https://canadas100best.com/best-new-restaurant-2020-sushi-masaki-saito/

=== '''2022年''' ===
「 Canada’s 100 Best 」カナダ国内ベストレストラン11位獲得。

https://canadas100best.com/sushi-masaki-saito-2022/

「Sushi Masaki Saito」トロントにてカナダ初のミシュラン2つ星を獲得。

https://guide.michelin.com/jp/ja/ontario/toronto/restaurant/sushi-masaki-saito

令和4年度「日本食普及の親善大使」に任命

[https://www.maff.go.jp/j/press/yusyutu_kokusai/kikaku/221214.html 令和4年度「日本食普及の親善大使」の任命について]

[https://www.maff.go.jp/j/press/yusyutu_kokusai/kikaku/attach/pdf/221214-1.pdf 日本食普及の親善大使一覧(敬称略)]

== 慈善活動 ==

=== '''2021年8月4日 Chef Cioppino とのコラボレーションディナー''' ===
Collaboration between Toronto and Vancouver chefs at Cioppino’s Mediterranean Grill makes for an epic meal

https://www.theglobeandmail.com/life/food-and-wine/restaurant-reviews/article-collaboration-between-toronto-and-vancouver-chefs-at-cioppinos/

[https://www.instagram.com/p/CSVwTjPr5bt/ インスタグラム投稿]

=== '''Chefs' Circle Dinner Events in support of the Sunnybrook Foundation''' ===
[https://sunnybrook.ca/foundation/chefs-circle/ An Exclusive Dinner Series]

==== '''2021年8月27日 hosted by Dr. Shawn Seit''' ====
[https://sunnybrook.ca/foundation/chefs-circle/ An Exclusive Dinner Series]

==== '''2021年9月22日 with Chef Stephen Tong hosted by Stephen Arbib''' ====
[https://sunnybrook.ca/foundation/chefs-circle/ An Exclusive Dinner Series]

[https://www.instagram.com/p/CUOaITHgCDv/ インスタグラム投稿]

==== '''2022年4月21日 with Chef Didier hosted by William Chang''' ====
[https://sunnybrook.ca/foundation/chefs-circle/ An Exclusive Dinner Series]

==== '''2022年5月16日 With Chef Cioppino hosted by William Chang''' ====
[https://sunnybrook.ca/foundation/chefs-circle/ An Exclusive Dinner Series]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{| class="wikitable"
{{脚注ヘルプ}}
|[<nowiki/>[[Help:脚注/読者向け|脚注の使い方]]]
|}

* '''^''' “Big Fish” (英語). ''Toronto Life''. Toronto Life Publishing Co., Ltd. (2019年5月17日). 2019年9月15日閲覧。
* '''^''' “Critics pick the 10 best new restaurants in Toronto” (英語). ''TRNTO''. lindsaylow for TRNTO (2020年1月8日). 2020年1月8日閲覧。
* '''^''' “10. SUSHI MASAKI SAITO” (英語). ''Canada’s 100 Best''. Canada’s 100 Best (2020年6月18日). 2020年6月18日閲覧。
{{Reflist}}
{{Reflist}}



2023年7月30日 (日) 15:01時点における版

さいとう まさき

齋藤 正樹
生誕 (1987-08-27) 1987年8月27日(37歳)
日本の旗 日本
北海道伊達市
国籍 日本の旗 日本
出身校 北海道函館水産高等学校
職業 寿司職人
活動拠点 カナダの旗 カナダ
オンタリオ州トロント
肩書き 「Sushi Masaki Saito」のオーナーシェフ
「MASAKI SAITO CONSULTING INC.」の代表取締役。
公式サイト masakisaito.ca
テンプレートを表示

齋藤 正樹(さいとう まさき、英語: Masaki Saito1987年8月27日 - )は、カナダ・トロント在住の寿司職人北海道伊達市出身。家族構成は、父・母・姉の四人家族。現在は「 Sushi Masaki Saito 」のオーナーシェフ。「 MASAKI SAITO CONSULTING INC. 」の代表取締役。

概要

北海道函館水産高等学校を卒業後、上京し寿司屋で4年の修行を経て、「 札幌すし善 」へ移る。その後、「 銀座おのでら 」本店、香港ニューヨークを経て、独立。2019年5月カナダトロントに「 Sushi Masaki Saito 」をオープン。2016年ニューヨークにてミシュラン1つ星、翌年2017年に2つ星を取得。そして2022年カナダ初上陸のミシュランにて、トロントで唯一の2つ星を取得。

人物・経歴

幼少期

1987年8月27日北海道伊達市に生まれ、中学卒業までの15年間を過ごす。幼少時代はサッカー・アイススケート・水泳・ピアノ・書道と数々の稽古事をこなし、センスと忍耐力、集中力、判断力を培う。サッカーでは全道大会準優勝、大会得点王を経験し、アイススケートでは地方大会6年連続で金メダルを獲得するなど、体を動かすことが好きな、活発な少年だった。一方、スポーツだけでなく、書道においては全道コンクールにて入賞、9年間通ったピアノは今でも趣味の一つとして楽しんでいる。

祖父母の影響

祖父母が北海道知内町の小さな漁村で漁師をしていた為、毎年訪れてはシュノーケリングや魚釣りをして、海や魚に触れる機会が多かった。その為、肉よりも魚を食べることの方が多く、子供の頃から好物は刺身であった。

寿司職人を目指したきっかけ

稽古ごとの節目に必ず訪れていた、地元の「千代鮨」で食べた寿司に魅了されるが、8歳の時に店主が他界したことをきっかけに千代鮨に行くことが出来なくなった。その後、他の鮨屋に訪れるも、千代鮨で食べた味を超える美味しさはないと感じ、自らが寿司職人になることを目指す。

青年期

ハワイ沖でのマグロ延縄漁業

中学卒業後、地元伊達市を離れ、水産物全般に関する知識を深めるために北海道立函館水産高等学校へ進学する。高校二年生(当時17歳)の時に、ハワイ沖へ53日間の遠洋航海、マグロ延縄漁業へ出航。実習中は24時間ワッチや機関室での点検業務などを行なった他、延縄漁業における仕掛けを1から作り、全長200km、12000本の仕掛けを6時間かけて投入した。約10日間の実習では、1日平均1.2tの釣果を得る。メバチマグロをはじめ、キハダマグロ、ビンチョウマグロ、カジキマグロ、クロタチカマス、アオザメ、イタチザメ、アカマンボウなどを釣り上げる。ハワイに上陸後、静岡県清水港で水揚げし、その後函館へ帰港する。

船上で釣れたてのマグロを食べた時に「こんなに美味しくないマグロは初めてだ。」と感じ、いかに魚体が大きくなるにつれ熟成させることが大事なのかを目の当たりにした。また、太平洋の真ん中で実習をしていた為、帰りたくても帰れないという過酷な環境下において、精神力や忍耐力が鍛え上げられた。

高校三年間での取得資格

1級小型船舶操縦士をはじめ、危険物取扱者乙種第4類・第5類、玉掛け、小型移動式クレーンなど、約10種類の資格を取得。

寿司職人見習い

高校卒業後上京し、東京都築地にある寿司屋に就職。365日、寝る間も惜しんで働く毎日を送る。一年目の業務内容は皿洗いから始まり、掃除、ごみ捨て、賄い作りなどの基礎的な仕事であった。もちろん魚に触れることは出来ず、「仕事は目で盗む」という教えを信じて、横目で先輩達の仕事を見ていた。すると、約半年後チャンスが訪れる。休みの日に職場に行き仕事をしていると、魚に触っても良いという許可を得る。そこで初めて、コハダやアジといった光物に触れる。先輩が魚をおろしている様子を何度も見て、仕込みのイメージトレーニングも充分にしてきたつもりであったが、現実は甘くなかった。それを機に、休みの日にも職場へ行き、自主的に仕込みの練習をした。

二年目に入り、初めての後輩もできたことで、より責任が増え、仕事への熱意が更に高まった。親方から、その年の「 寿司技術コンクール 」への出場を提案されるが、その時はまだ絶対に優勝できるという自信がなかった為、断った。翌年は必ず出場して優勝することを約束し、日々の練習に励んだ。そして翌年のコンクールでは、「 初出場・最年少記録 」で見事優勝を果たす。

更なるステップアップへ

約4年半で退職し、当時北海道で一番と言われていた「 札幌すし善 」へ移る。そこで、巨匠・嶋宮勤氏に出会う。本来であれば修業年数10年以下の若手が寿司場に立つことが出来ないような高級店であったが、当時23歳でその実力を買われ、寿司職人として雇われた。そこでは、今まで教わったことのない高い技術や、扱ったことのない魚に触れ、江戸前寿司の奥深さを更に知る。

日々、著名人や富裕層のお客様を相手に寿司を握り、接客をすることで、言葉遣いや所作を学び、自信を付けていった。しかし、ある日訪れたお客様から、若さゆえに毛嫌いされ、厳しい評価を受けた。それは初めての経験であり、今までにない挫折を味わった。

壮年期

寿司文化を海外に

【香港】

海外や独立に対する思いはあまり無かったが、高級店で外国人のお客様に接客する機会が増えたことにより、多国籍文化の違いに興味を持った。感情豊かなコミュニケーションやリアクションの良さ、そして何よりも職人へのリスペクトを感じた。

当時26歳、オープニングの為に香港へ移る。初めての海外では、慣れない文化や言語の違いに戸惑いを感じたが、それよりも未知の世界に対する期待感もあり、それほど苦ではなかった。香港において一番驚いたことは、世界トップクラスを誇る富裕層の多さと、人口密集率であった。日本からの魚の輸送もオーダーした当日の昼過ぎには届く為、鮮度は抜群であり、HACCPのレギュレーションも欧米に比べて緩く使いたい食材が簡単に手に入った。ただ日本酒の値段が異常に高いのにも関わらず、現地のお客様にはとても人気で驚くほどに売れた。香港ではとにかく日本食が好まれ街中に多く存在した。ミシュランの星を獲得しているお店も多く、アジアの富裕層は日本とほぼ変わらないレベルの日本料理を口にする機会が多い為、知識や経験も豊富であった。

毎年香港では「 Food Expo Hong Kong 」という、一般からプロのシェフまで約3万人もの人が参加する香港食品業界の最大イベントがある。このイベントには日本農林水産省も力を入れており、そこでは農林水産省から委託を受け「 お米 」にフォーカスした演説を行った。国内消費米や海外輸出米等といった知識の話にも興味を持って参加している姿を見て、やはり日本食に対する関心が深いと感じた。

Food Expo Hong Kong での演説の様子

【アメリカ・ニューヨーク】

香港で約1年過ごした後、新たなプロジェクトの為ニューヨークに移ることとなる。アジアとは異なった文化ではあったが、香港で経験したことも役立ち、さほど戸惑いは無かった。

当時27歳、まさか自分が世界の大都市ニューヨークで寿司を握るということを想像していなかったが、映画で見た世界に心躍らせ、さらなる挑戦に気持ちが高鳴った。当初は現地に一人で入り店舗のミーティングや設定、準備などに時間を費やし毎日を過ごした。それと共にに、マーケティングや経営戦略、人事業務等を行い、グランドオープンを迎える。

そこで「江戸前寿司とは何か?」という質問がメディアやお客様から多く問われ、アジアの客層との差を感じた。ニューヨークと違い、日本により近いアジア諸国の人々は短時間で日本に行くことができ、本物の日本食を味わうことができるが、ニューヨークをはじめ、欧米諸国の人々は移動だけでも時間がかかる為、簡単に日本の食文化に触れられないということが理由の一つであった。しかし著名人や富裕層であっても、職人へのリスペクトが強く、会話一つにおいても、尊敬と敬意を感じられた。特にエンターテインメントの都市であるニューヨークにおいては、その都市柄もあるのか、人を楽しませるというエンターテイナーとしての傾向が感じられ、お客様との会話の中では冗談も飛び交うなど、笑顔の広がる空間であった。異国の地での寿司職人としての仕事は、言葉や文化の違いから苦労することが多くあったが、周囲のサポートや人に恵まれ、日本では得られない多くのことを経験することができた。

初ミシュラン獲得

当時28歳。オープンから約半年後、異例の早さでミシュラン1つ星を獲得する。

もちろん料理人であれば誰でも【ミシュラン】というものは知っているであろう。賛否両論あるが世界で一番信頼度の高いメディア、媒体である。

レストランだけではなくホテルの評価も同時に行う。そのミシュランの1つ星を獲得したことによって大きく人生を変えはじめる。セレモニーパーティに参加した際は権威あるコックスーツを頂き【PPAP】の替え歌で会場を沸かせた。

ミシュラン2つ星獲得

当時29歳。翌年にはミシュラン2つ星を獲得する。この年のセレモニーパーティでも壇上でスピーチをし、会場を笑わせた。

2つ星獲得は予想していないかったことだが、昨年、1つ星を獲得したことによりミシュランの星に対しての意識レベルが変わった。星を獲得すること自体とても難しいことだが、維持することも大変である。いつ、誰が、どのシチュエーションで来るか分からない状況で一年間美味しい食事を提供し続ける精神レベルが必須とされるからだ。それ故に星を獲得する際にかかってくる電話で断る店舗も存在する。それだけ普段から店舗や予約、食材、人材管理、オーダー、クオリティ維持、向上、接客サービスなどに気を使っているので、更に重荷として自身にのしかかることの大変さは計り知れない。

周りからは来年は3つ星と期待されたが、自身はそう考えてはいなかった。不思議と湧いた感情の中に『3つ星は自身の店舗で獲得したい』という気持ちがあった為である。今まで独立を意識していなかったが故に自分でも驚く感情であった。その年に自店の出店を決意し会社を退職した。

ニューヨークでの経験

ミシュランの星を獲得してからは一気に名前が売れた。メディアからのインタビューを始め、日本や海外テレビ局からの出演依頼、有名ブランドとのタイアップ、コラボレーション、航空機内映像の依頼、プライベートジェット機内でのサービス提供依頼、タイ王国関係者へのサービス提供、オランダ王室関係者へのサービス提供等と数え切れない程の依頼を受けた。ミシュランという名前の偉大さを改めて感じ、新たな挑戦の原動力ともなった。

【カナダ・トロント】

海外で自身の店舗を立ち上げるのにはビジネスパートナーが必要だと考える。もちろん自分一人で立ち上げることも可能だが、知識や経験、コネクション等が無いと厳しい。ニューヨークを離れる際に世界各地の投資家や資産家、企業等から出店の話を頂いたが、その中で選んだ国がカナダであった。

過去に数回視察に訪れていたが、ニューヨークからトロントまで飛行機で約一時間という距離にも関わらず、レストラン業界のレベル差が圧倒的に違った。しかし、国も人々も環境も自然も大変素晴らしい。そんなトロントを『変えたい』という思いで選んだのである。

「グランドオープン」から「コロナ禍」

2019年(当時31歳)トロントに移り住み本格的に始動。そして同年5月にヨークビルエリアに自身のお店をグランドオープン。ニューヨークのミシュラン効果もあってか、常に2ヶ月以上の満席、キャンセル待ちの状態を維持する。しかし、翌年の2020年3月にコロナの影響でロックダウン。何度かロックダウンを繰り返し2022年からオープン再開。それまでの期間に企業とのコラボレーションやケータリングイベント等を行い普段出来ない取り組みにも積極的にチャレンジした。それに加え、「 CHEFS’ CIRCLE 」といった、沢山の富裕層を巻き込んで、医療機関や医療関係者に対しての慈善事業も行なっている。

ミシュラン2つ星獲得

2022年9月、ついにカナダにミシュランが初上陸。第1回目となるトロントミシュランガイドに掲載されるレストランは、1つ星が12店舗、2つ星が1店舗。そこで、最上位の2つ星を取得する。世界トップクラスの多文化多民族という国際色豊かなトロントの地で、日本料理が世界的に認められた瞬間でもあった。今回カナダにミシュランが上陸したことにより、トロントにおける食文化はさらに発展し、レストラン業界のレベルや競争率も上がっていくだろう。

ニューヨークに続き、トロントでの2つ星獲得は自身にとってもかなりのプレッシャーであり、クオリティの維持と共に更なる向上を目指さなえければならない。『3つ星は自身の店舗で獲得したい』という思いを胸に、更なる進化を目指す。


カナダにおける日本食普及の親善大使に任命

2022年12月、海外を拠点として活動する日本料理関係者を対象に、農林水産省が選出する「日本食普及の親善大使」に任命される。

受賞

2016年

「 銀座おのでら 」ニューヨークにて出店半年後にミシュラン1つ星を獲得。

2017年

ミシュラン2つ星獲得。

2019年

「 The Best New Restaurants in Toronto in 2019 」トロントにおけるニューレストラン1位獲得。

2020年

「 Canada’s 100 Best 」カナダ国内ベストレストラン10位獲得。

https://canadas100best.com/best-new-restaurant-2020-sushi-masaki-saito/

2022年

「 Canada’s 100 Best 」カナダ国内ベストレストラン11位獲得。

https://canadas100best.com/sushi-masaki-saito-2022/

「Sushi Masaki Saito」トロントにてカナダ初のミシュラン2つ星を獲得。

https://guide.michelin.com/jp/ja/ontario/toronto/restaurant/sushi-masaki-saito

令和4年度「日本食普及の親善大使」に任命

令和4年度「日本食普及の親善大使」の任命について

日本食普及の親善大使一覧(敬称略)

慈善活動

2021年8月4日 Chef Cioppino とのコラボレーションディナー

Collaboration between Toronto and Vancouver chefs at Cioppino’s Mediterranean Grill makes for an epic meal

https://www.theglobeandmail.com/life/food-and-wine/restaurant-reviews/article-collaboration-between-toronto-and-vancouver-chefs-at-cioppinos/

インスタグラム投稿

Chefs' Circle Dinner Events in support of the Sunnybrook Foundation

An Exclusive Dinner Series

2021年8月27日 hosted by Dr. Shawn Seit

An Exclusive Dinner Series

2021年9月22日 with Chef Stephen Tong hosted by Stephen Arbib

An Exclusive Dinner Series

インスタグラム投稿

2022年4月21日 with Chef Didier hosted by William Chang

An Exclusive Dinner Series

2022年5月16日 With Chef Cioppino hosted by William Chang

An Exclusive Dinner Series

脚注

[脚注の使い方]
  • ^ “Big Fish” (英語). Toronto Life. Toronto Life Publishing Co., Ltd. (2019年5月17日). 2019年9月15日閲覧。
  • ^ “Critics pick the 10 best new restaurants in Toronto” (英語). TRNTO. lindsaylow for TRNTO (2020年1月8日). 2020年1月8日閲覧。
  • ^ “10. SUSHI MASAKI SAITO” (英語). Canada’s 100 Best. Canada’s 100 Best (2020年6月18日). 2020年6月18日閲覧。

外部リンク