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'''石澤 守雄'''(いしざわ もりお、[[1906年]]12月24日 - [[1979年]]4月8日)、日本の[[内務省 (日本)|内務]]官僚。[[京都府副知事]]。
'''石澤 守雄'''(いしざわ もりお、[[1906年]]12月24日 - [[1979年]]4月8日)、日本の[[内務省 (日本)|内務]]官僚。[[京都府副知事]]。


== 略歴・人物 ==
== 略歴・人物 ==
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==外部リンク==
==外部リンク==
*蜷川京都府政の開発政策の理念と実践京都大学学術情報リポジトリ、朱 著 (2014-09-24)第1章「高度成長期の政治における知事職」より
* {{Cite thesis|和書|author=朱然 |url=https://doi.org/10.14989/doctor.k18537 |title=蜷川京都府政の開発政策の理念と実践 |volume=京都大学 |degree=博士(経済) 甲第18537号 |year=2014 |doi=10.14989/doctor.k18537 |hdl=2433/192137 |id={{naid|500000962217}} |CRID=1110282785197776512}} 第1章「高度成長期の政治における知事職」より


1.2.2「蜷川虎三のリーダーシップ」の 最後の項目「蜷川虎三は石沢守雄について、以下のように財政再建で大きな役割を果たしたと回想している『財政問題は蜷川がやったような顔をしていますけど、みんな石沢君のお蔭です』」(『洛陽に吼ゆ』p.71


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詳細:蜷川虎三は前知事時代の京都府官僚のうち、とくに農林部長・石沢守雄を副知事に任命し、 秘書課長小川貢(おがわみつぎ)を知事公室長・企画管理部長に任命するように重用した。京都府職員労働組合の元委員長・大江洸によると「---蜷川さんは小川貢のほかにも元内務省の官僚で財務の専門家だった人物を副知事(石沢守雄) に据えるなど、旧来の官僚機構にいた有能な人材をうまく登用して長期政権の礎を築いていったんです(『右と左と裏』、P154)。 蜷川虎三は石沢守雄について、以下のように財政再建で大きな役割を果たしたと回想してい る。「府財政の立て直しをどうするか、あたしの理屈をよく具体化してやってくれました。自治庁の 廊下を泣き声出して走っていたという話が残ってるぐらい、よく自治庁へ出かけました。----- 非常に忠実な仕事ぶりでしたよ。財政問題は蜷川がやったような顔をしてますけど、みんな石沢君のおかげです」(『洛陽に吼ゆ』、P71)。

== 関連リンク  ==
Wikipedia「[[京都府知事]]」目次より「3京都府副知事」参照

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[[Category:京都府副知事]]
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2023年10月13日 (金) 03:53時点における版

石澤 守雄(いしざわ もりお、1906年12月24日 - 1979年4月8日)、日本の内務官僚。京都府副知事

略歴・人物

東京帝国大学法学部卒業。内務省役人として京都に赴任、鹿児島に転勤後、蜷川虎三京都府知事の要請で京都に呼び戻され、京都府副知事として、蜷川府政7期(28年間)のうち3期を支え、赤字財政を立て直した。

夫人の石澤千恵子は初代・岡田春夫の娘。実兄は2代目・岡田春夫(衆議院副議長を2期務める)。実弟は岡田晃(外交官)、岡田豊(フジサンケイグループ取締役)。日本女子大卒

石澤守雄亡き後も、石澤千恵子は保護司や更生保護女性会長、名誉会長として終生活躍。

石澤守雄の実姉の息子は佐伯隆久(東京医科歯科大卒・都内で開業外科医)その子3人も医師となり長男佐伯哲久(日大医学部卒)、長女佐伯久美子(東京大医学部卒)、次男佐伯秀久(東京大医学部卒・日本医科大付属病院部長、大学院教授)である。また、実妹の息子は春日建邦(春日内科糖尿病医院・長野市)孫は春日広一医師。

外部リンク

  • 朱然『蜷川京都府政の開発政策の理念と実践』(博士(経済学) 甲第18537号論文) 京都大学、2014年。doi:10.14989/doctor.k18537hdl:2433/192137NAID 500000962217https://doi.org/10.14989/doctor.k18537  第1章「高度成長期の政治における知事職」より