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「ゲルシュタイン報告」の版間の差分

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#ベウジェツやトレブリンカの靴や衣類の山の高さが35-40mになっていた、などの証言は、明らかに誇張である<ref name = "rudolf">{{Cite web |url= https://archive.org/stream/RudolfGermarLecturesOnTheHolocaustControversialIssuesCrossExaminedEN573P.Scan/Rudolf%2C%20Germar%20-%20Lectures%20on%20the%20Holocaust%20-%20Controversial%20Issues%20Cross%20Examined%20%28EN%2C%20573%20p.%2C%20Scan%29_djvu.txt|title= Rudolf, Germar - Lectures on the Holocaust - Controversial Issues Cross Examined|accessdate=2023-12-08}}</ref>。
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#ガス室についても、25平行メートル、45立方メートルのガス室に700-800人が収容された。と主張しているが、それは、1平行メートル当たり27-32人、1立方メートル当たり15-18人が入っている事になる<ref name = "rudolf"/>。
#ガス室についても、25平行メートル、45立方メートルのガス室に700-800人が収容された。と主張しているが、それは、1平行メートル当たり27-32人、1立方メートル当たり15-18人が入っている事になる<ref name = "rudolf"/>。

== ツンデル裁判におけるゲルシュタイン報告 ==

1985年、[[カナダ]]・[[トロント]]において、ドイツ系住民のエルンスト・ツンデル(英: [[:en:Ernst Zündel|Ernst Zündel]])は、600万のユダヤ人が死亡したという話を疑問視した為に、ユダヤ人団体から起訴された。

ツンデル裁判(英: [[:en:R v Zundel|R v Zundel]])では、ロベール・フォーリンソン(英: [[:en:Robert Faurisson|Robert Faurisson]])や[[デイヴィッド・アーヴィング]](英: [[:en:David Irving|David Irving]])などの修正主義者の重鎮が、世界各地から集結し、ツンデル側の弁護団に加わり、法廷で検察側の起訴内容へ反論を行った。

ホロコースト肯定派からは、肯定派の重鎮、[[ラウル・ヒルバーグ]]が、証言台に立った。

ツンデル側弁護団に加わった弁護士のダグラス・クリスティによって、ラウル・ヒルバーグと法廷で何度も激しい論戦が発生した。

ゲルシュタイン報告に関して、およそ以下の通りである。

「貴方は、著書の中で資料源として何度もクルト・ゲルシュタインを引用していますが、1平方メートルあたり28人~32人も入ると主張する人物を、信用出来ると思いますか?」

「この報告に関して、大変慎重に扱う必要が有ります。ゲルシュタインは非常に興奮し易い人物です。私は著書では、この部分は採用しませんでした。」

「ゲルシュタインは、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]や[[ハインリヒ・ヒムラー|ヒムラー]]が、ガス室を見学しに来たと主張してます。」

「その証言は信用出来ません。」

「ゲルシュタインは、[[ベウジェツ強制収容所|ベウジェツ]]と[[トレブリンカ強制収容所|トレブリンカ]]では、証拠記録を残さないようにしたが、本当はユダヤ人を含めて、2500万人が殺害されたのだ。などと主張してますが、信用出来ますか?」

「一部は事実ですが、他の部分は明らかに誇張です。この報告で、事実の部分は、何人がガス室へ入ったのか?記録は残されなかったという部分です。」

「貴方は、明らかに誇張されていると、判断した部分は採用せず、記録が残されなかった。という部分は信用出来るとして、採用を行っているのですか?」

「その通りです。」<ref>[https://vho.org/GB/Books/Giant/Chapter9.pdf Hilbergís Debacle at the First Z¸ndel Trial P114-115]</ref>

カナダ最高裁は、言論の自由の範囲内であるとして、最終的にツンデルに対し無罪判決を下した。<ref>[https://scc-csc.lexum.com/scc-csc/scc-csc/en/item/904/index.do カナダ最高裁判所判決の全文]</ref>


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2023年12月17日 (日) 00:36時点における版

ゲルシュタイン報告1945年武装親衛隊中尉であったクルト・ゲルシュタインによって書かれた報告書。

報告書の執筆と内容

クルト・ゲルシュタインは1945年4月22日、ロイトリンゲンでフランスの捕虜となった[1]。捕虜になった直後、ネッカー河畔のロトヴァイル英語: Rottweilへと連行された[1]。ゲルシュタインはロトヴァイルで、4月26日からフランス語で手記をのこし、5月4日からドイツ語で手記をのこし始め、これがゲルシュタイン報告とされるものとなった[2]。ゲルシュタイン報告の大まかな内容はゲルシュタイン自身の簡単な経歴、ベウジェツトレブリンカでの虐殺状況、そして、これら収容所での虐殺を中立国へ伝えようとしたことが記載されている[3]。また、報告書にはデゲッシュ社への青酸の発注書12通が同封されていた[3]

収容所については、オディロ・グロボクニクより、ベウジェツトレブリンカソビボールマイダネクの収容所の一日当たりの処理人数の説明を受けたこと、また大量の服の消毒命令や、より一層効率よくガス殺が遂行できるようにと命令を受けたことが記載されていた[4][5]。ゲルシュタイン自身が、収容所での排気ガスを使ったガス殺の完了タイムをストップウォッチで計測するという任務をしていたことも同報告書に記載されている[6]

戦後の扱い

ゲルシュタイン報告は、ニュルンベルク裁判ニュルンベルク継続裁判医者裁判でも証拠として活用された[7][8]

ゲルシュタイン報告に対する批判

ゲルシュタイン報告は一般的に、ナチス・ドイツの絶滅収容所で起きた事実を偽りなく正確に描写したものであるとされている。しかし、以下の点について信憑性に疑念がある。

  1. 強制収容所に到着した輸送列車からユダヤ人を追い立てていた様子について、200人のウクライナ人が追い立てていたとしているが、異常な状況下において、『ウクライナ人』と『200人』というのが果たして冷静に観測できるのか?という点[9]。その他にも具体的な数字がゲルシュタイン報告に登場している点に疑念が持たれている[9]
  2. ゲルシュタインは、虐殺されたユダヤ人の数を2,500万人としているが、これは誇張であると指摘されている[10]
  3. ゲルシュタイン報告には、様々な人名が登場するが、人名の誤りと思われる記述が散見される[11][12]
  4. ベウジェツやトレブリンカの靴や衣類の山の高さが35-40mになっていた、などの証言は、明らかに誇張である[13]
  5. ガス室についても、25平行メートル、45立方メートルのガス室に700-800人が収容された。と主張しているが、それは、1平行メートル当たり27-32人、1立方メートル当たり15-18人が入っている事になる[13]

ツンデル裁判におけるゲルシュタイン報告 

1985年、カナダトロントにおいて、ドイツ系住民のエルンスト・ツンデル(英: Ernst Zündel)は、600万のユダヤ人が死亡したという話を疑問視した為に、ユダヤ人団体から起訴された。

ツンデル裁判(英: R v Zundel)では、ロベール・フォーリンソン(英: Robert Faurisson)やデイヴィッド・アーヴィング(英: David Irving)などの修正主義者の重鎮が、世界各地から集結し、ツンデル側の弁護団に加わり、法廷で検察側の起訴内容へ反論を行った。

ホロコースト肯定派からは、肯定派の重鎮、ラウル・ヒルバーグが、証言台に立った。

ツンデル側弁護団に加わった弁護士のダグラス・クリスティによって、ラウル・ヒルバーグと法廷で何度も激しい論戦が発生した。

ゲルシュタイン報告に関して、およそ以下の通りである。

「貴方は、著書の中で資料源として何度もクルト・ゲルシュタインを引用していますが、1平方メートルあたり28人~32人も入ると主張する人物を、信用出来ると思いますか?」

「この報告に関して、大変慎重に扱う必要が有ります。ゲルシュタインは非常に興奮し易い人物です。私は著書では、この部分は採用しませんでした。」

「ゲルシュタインは、ヒトラーヒムラーが、ガス室を見学しに来たと主張してます。」

「その証言は信用出来ません。」

「ゲルシュタインは、ベウジェツトレブリンカでは、証拠記録を残さないようにしたが、本当はユダヤ人を含めて、2500万人が殺害されたのだ。などと主張してますが、信用出来ますか?」

「一部は事実ですが、他の部分は明らかに誇張です。この報告で、事実の部分は、何人がガス室へ入ったのか?記録は残されなかったという部分です。」

「貴方は、明らかに誇張されていると、判断した部分は採用せず、記録が残されなかった。という部分は信用出来るとして、採用を行っているのですか?」

「その通りです。」[14]

カナダ最高裁は、言論の自由の範囲内であるとして、最終的にツンデルに対し無罪判決を下した。[15]

脚注

参考文献


関連項目

外部リンク