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== ゲルシュタイン報告に対する批判 == |
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ゲルシュタイン報告は一般的に、[[ナチス・ドイツ]]の絶滅収容所で起きた事実を偽りなく正確に描写したものであるとされている。しかし、以下の点について信憑性に疑念がある。 |
ゲルシュタイン報告は一般的に、[[ナチス・ドイツ]]の絶滅収容所で起きた事実を偽りなく正確に描写したものであるとされている。しかし、以下の点について信憑性に疑念がある。 |
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⚫ | *ゲルシュタイン報告には、様々な人名が登場するが、人名の誤りと思われる記述が散見される<ref name = "friedländer_P320">{{harvnb|フリートレンダー(1971)|p=320}}</ref><ref name = "friedländer_P324">{{harvnb|フリートレンダー(1971)|p=324}}</ref>。自分が勤務していたベウジェツ収容所の名詞ですら、「Belcec」または「Belcek」と綴りを間違えていた。正しくは「Belzec」である<ref>[https://holocausthandbooks.com/book/rudolf-reder-versus-kurt-gerstein/ ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 カルロ・マットーニョ 2021年(英語)101頁]</ref>。 |
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4 靴や衣服の山の高さ |
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⚫ | *ベウジェツやトレブリンカの靴や衣類の山の高さが35-40メートルになっていた、などの証言は、明らかに誇張である<ref name = "rudolf">{{Cite web |url= https://archive.org/stream/RudolfGermarLecturesOnTheHolocaustControversialIssuesCrossExaminedEN573P.Scan/Rudolf%2C%20Germar%20-%20Lectures%20on%20the%20Holocaust%20-%20Controversial%20Issues%20Cross%20Examined%20%28EN%2C%20573%20p.%2C%20Scan%29_djvu.txt|title= Rudolf, Germar - Lectures on the Holocaust - Controversial Issues Cross Examined|accessdate=2023-12-08}}</ref>。40メートルの高さは高層ビル15階に相当し、山の傾斜角にもよるが、仮に傾斜角10度の山と想定した場合、面積が13[[ヘクタール]]と想定されるトレブリンカ収容所には全く収まらず、倍以上の面積が必要になる。傾斜角30度を想定すれば収容所内にギリギリ収まる可能性が出てくるが、この場合、傾斜角がきつすぎて積み上げるのは物理的に不可能である。仮に収容所内に収まっても、敷地内は衣服の蓄積だけとなり、建造物の築造や人間の居住は出来ない。これだけの高さの衣服の山を作るのには、少なくとも1億9000万人分の衣服が必要になる。ゲルシュタインの供述が正しいなら、この天文学的な量の衣服を何処から調達して、如何なる手段で輸送したのか?全く謎である<ref>[https://www.ihr.org/jhr/v01/v01p-69_Felderer.html Certain Impossibilities of the 'Gerstein Statement']</ref>。 |
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5 ガス室についての目撃証言 |
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⚫ | *ゲルシュタインは、ガス室に人々が密閉されてから、ディーゼルエンジンの始動に手間取り、2時間49分後にようやく始動が開始して排気ガスの注入が始まり、全員死亡するまでに32分間もかかったと報告している。750人の人体が占める体積は、平均35㎏、体積比率1で計算して、26,250リットルであり、密閉されたガス室は45立方メートル(45,000リットル)である。その中で、2時間49分間以上も生きていたという。呼吸に使用出来る屋内の空気の総量は、45,000リットル-26,250リットル=18,750リットルである。そのうち一人当たりに使用出来る空気量は、18,750リットル÷750人=約25リットルである。空気中の酸素濃度を21%と想定した場合、一人当たり酸素量はわずかに約5,3リットルとなる。これは通常の呼吸速度では、わずか数分間程度の酸素量でしかない。ゲルシュタインの報告通りの状況なら、45立方メートルの部屋に密閉された750人は、ディーゼルエンジンが始動する2時間49分間のずっと前に窒息して死亡していた事になる。オーバーハウザー裁判(The Oberhauser Trial)の判決のように、犠牲者の数を750人ではなく250人くらいであった。として、大幅に少なく仮定しても、結果は変わらない。空気量はわずか [45,000ー(35リットル×250人)=] 36,250リットル、一人当たり145リットルに過ぎず、閉じ込められた犠牲者が呼吸出来る時間は10分以下である<ref>[https://holocausthandbooks.com/book/rudolf-reder-versus-kurt-gerstein/ ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 カルロ・マットーニョ 2021年(英語)114-115頁]</ref>。 |
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⚫ | *ゲルシュタインは、ガス室にはエンジンの排ガスを使用する事もあり、使ったエンジンは「[[ディーゼルエンジン]]」であった。と主張しているが、実際にはディーゼルエンジンはガソリンエンジンと比較して人体に有害な[[一酸化炭素]]の排出が少ない為、[[一酸化炭素中毒]]を起こしにくく、化学的な見地から殺害には不向きな事が指摘されている<ref>[https://www.ihr.org/jhr/v05/v05p-15_Berg.html The Diesel Gas Chambers: Myth Within A Myth]</ref>。デボラ・E・リップシュタット(英: [[:en:Deborah Lipstadt|Deborah Lipstadt]])も、ガス室に使用したとされるのは、ゲルシュタインが主張したディーゼルエンジンではなく、「[[ガソリンエンジン]]」の方であろう。と指摘している<ref>[https://web.archive.org/web/20200121232729/https://www.hdot.org/debunking-denial/ds6-engines-used/ DIESEL EXHAUST: THE ENGINES USED]</ref>。 |
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6 ソビボル収容所の死亡者数 |
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⚫ | *ゲルシュタインは、[[ソビボル強制収容所|ソビボル収容所]]にも言及しており、1942年6月頃から同年8月17日にまで、毎日平均で約2万人の処刑が行われていたと主張している。従って8月17日までの時点で、ソビボルの犠牲者数は計算で2万人×48~78日間となり、96万人~156万人になっているはずであるが、現在の正史派の研究では、ゲルシュタインの報告は信用されておらず、ソビボル収容所の全犠牲者数は約20万人から30万人である。と推測している<ref>[https://holocausthandbooks.com/book/rudolf-reder-versus-kurt-gerstein/ ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 カルロ・マットーニョ 2021年(英語)102頁]</ref>。 |
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7 ヒトラーとヒムラーによる訪問 |
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*ゲルシュタインは、ルブリン([[マイダネク|マイダネク収容所]])に[[アドルフ・ヒトラー]]と[[ハインリヒ・ヒムラー|ハインリッヒ・ヒムラー]]が訪問して、ヒトラーが「子孫たちに地球の浄化を行った偉業を伝える為に、ここに青銅の銘板を埋めよう。」などと話したという。だが、実際にヒトラーとヒムラーがルブリンを訪問した事実はなく、現在の正史派たちの研究でも、この証言を事実であるとしている者は居ない<ref>[https://holocausthandbooks.com/book/rudolf-reder-versus-kurt-gerstein/ ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 カルロ・マットーニョ 2021年(英語)108-109頁]</ref>。ヒトラーによる訪問の証言は、ツンデル裁判でも争点となったが、ヒルバーグもゲルシュタインの虚偽証言であると主張した。([[#ツンデル裁判におけるゲルシュタイン報告|後述]]) |
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== ツンデル裁判におけるゲルシュタイン報告 == |
== ツンデル裁判におけるゲルシュタイン報告 == |
2024年2月15日 (木) 13:24時点における版
ゲルシュタイン報告は1945年に武装親衛隊の中尉であったクルト・ゲルシュタインによって書かれた報告書。
報告書の執筆と内容
クルト・ゲルシュタインは1945年4月22日、ロイトリンゲンでフランスの捕虜となった[1]。捕虜になった直後、ネッカー河畔のロトヴァイル(英語: Rottweil)へと連行された[1]。ゲルシュタインはロトヴァイルで、4月26日からフランス語で手記をのこし、5月4日からドイツ語で手記をのこし始め、これがゲルシュタイン報告とされるものとなった[2]。ゲルシュタイン報告の大まかな内容はゲルシュタイン自身の簡単な経歴、ベウジェツとトレブリンカでの虐殺状況、そして、これら収容所での虐殺を中立国へ伝えようとしたことが記載されている[3]。また、報告書にはデゲッシュ社への青酸の発注書12通が同封されていた[3]。
収容所については、オディロ・グロボクニクより、ベウジェツとトレブリンカ、ソビボール、マイダネクの収容所の一日当たりの処理人数の説明を受けたこと、また大量の服の消毒命令や、より一層効率よくガス殺が遂行できるようにと命令を受けたことが記載されていた[4][5]。ゲルシュタイン自身が、収容所での排気ガスを使ったガス殺の完了タイムをストップウォッチで計測するという任務をしていたことも同報告書に記載されている[6]。
戦後の扱い
ゲルシュタイン報告は、ニュルンベルク裁判やニュルンベルク継続裁判の医者裁判でも証拠として活用された[7][8]。
ゲルシュタイン報告に対する批判
ゲルシュタイン報告は一般的に、ナチス・ドイツの絶滅収容所で起きた事実を偽りなく正確に描写したものであるとされている。しかし、以下の点について信憑性に疑念がある。
1 ウクライナ人看守に関して
- 強制収容所に到着した輸送列車からユダヤ人を追い立てていた様子について、200人のウクライナ人が追い立てていたとしているが、異常な状況下において、『ウクライナ人』と『200人』というのが果たして冷静に観測できるのか?という点[9]。その他にも具体的な数字がゲルシュタイン報告に登場している点に疑念が持たれている[9]。
2 犠牲者の総数
- ゲルシュタインは、虐殺されたユダヤ人の数を2,500万人としているが、これは誇張であると指摘されている[10]。
3 名詞の誤り
- ゲルシュタイン報告には、様々な人名が登場するが、人名の誤りと思われる記述が散見される[11][12]。自分が勤務していたベウジェツ収容所の名詞ですら、「Belcec」または「Belcek」と綴りを間違えていた。正しくは「Belzec」である[13]。
4 靴や衣服の山の高さ
- ベウジェツやトレブリンカの靴や衣類の山の高さが35-40メートルになっていた、などの証言は、明らかに誇張である[14]。40メートルの高さは高層ビル15階に相当し、山の傾斜角にもよるが、仮に傾斜角10度の山と想定した場合、面積が13ヘクタールと想定されるトレブリンカ収容所には全く収まらず、倍以上の面積が必要になる。傾斜角30度を想定すれば収容所内にギリギリ収まる可能性が出てくるが、この場合、傾斜角がきつすぎて積み上げるのは物理的に不可能である。仮に収容所内に収まっても、敷地内は衣服の蓄積だけとなり、建造物の築造や人間の居住は出来ない。これだけの高さの衣服の山を作るのには、少なくとも1億9000万人分の衣服が必要になる。ゲルシュタインの供述が正しいなら、この天文学的な量の衣服を何処から調達して、如何なる手段で輸送したのか?全く謎である[15]。
5 ガス室についての目撃証言
- ガス室についても、25平方メートル、45立方メートルのガス室に700-800人が収容された。と主張しているが、それは、1平方メートル当たり27-32人、1立方メートル当たり15-18人が入っている事になる[14]。この容積にこれだけの人数が入るのは物理的に不可能であり、ラウル・ヒルバーグもツンデル裁判においてゲルシュタイン報告のこの部分は採用しなかったと認めた(後述)。
- ゲルシュタインは、ガス室に人々が密閉されてから、ディーゼルエンジンの始動に手間取り、2時間49分後にようやく始動が開始して排気ガスの注入が始まり、全員死亡するまでに32分間もかかったと報告している。750人の人体が占める体積は、平均35㎏、体積比率1で計算して、26,250リットルであり、密閉されたガス室は45立方メートル(45,000リットル)である。その中で、2時間49分間以上も生きていたという。呼吸に使用出来る屋内の空気の総量は、45,000リットル-26,250リットル=18,750リットルである。そのうち一人当たりに使用出来る空気量は、18,750リットル÷750人=約25リットルである。空気中の酸素濃度を21%と想定した場合、一人当たり酸素量はわずかに約5,3リットルとなる。これは通常の呼吸速度では、わずか数分間程度の酸素量でしかない。ゲルシュタインの報告通りの状況なら、45立方メートルの部屋に密閉された750人は、ディーゼルエンジンが始動する2時間49分間のずっと前に窒息して死亡していた事になる。オーバーハウザー裁判(The Oberhauser Trial)の判決のように、犠牲者の数を750人ではなく250人くらいであった。として、大幅に少なく仮定しても、結果は変わらない。空気量はわずか [45,000ー(35リットル×250人)=] 36,250リットル、一人当たり145リットルに過ぎず、閉じ込められた犠牲者が呼吸出来る時間は10分以下である[16]。
- ゲルシュタインは、ガス室にはエンジンの排ガスを使用する事もあり、使ったエンジンは「ディーゼルエンジン」であった。と主張しているが、実際にはディーゼルエンジンはガソリンエンジンと比較して人体に有害な一酸化炭素の排出が少ない為、一酸化炭素中毒を起こしにくく、化学的な見地から殺害には不向きな事が指摘されている[17]。デボラ・E・リップシュタット(英: Deborah Lipstadt)も、ガス室に使用したとされるのは、ゲルシュタインが主張したディーゼルエンジンではなく、「ガソリンエンジン」の方であろう。と指摘している[18]。
- ゲルシュタインが、ガソリンエンジンをディーゼルエンジンと区別がつかず誤認していた。とする説があるが、工学の学位を持っているゲルシュタインは専門的知識を持っており、ディーゼルエンジンとガソリンエンジンの区別は出来た[19]。
6 ソビボル収容所の死亡者数
- ゲルシュタインは、ソビボル収容所にも言及しており、1942年6月頃から同年8月17日にまで、毎日平均で約2万人の処刑が行われていたと主張している。従って8月17日までの時点で、ソビボルの犠牲者数は計算で2万人×48~78日間となり、96万人~156万人になっているはずであるが、現在の正史派の研究では、ゲルシュタインの報告は信用されておらず、ソビボル収容所の全犠牲者数は約20万人から30万人である。と推測している[20]。
7 ヒトラーとヒムラーによる訪問
- ゲルシュタインは、ルブリン(マイダネク収容所)にアドルフ・ヒトラーとハインリッヒ・ヒムラーが訪問して、ヒトラーが「子孫たちに地球の浄化を行った偉業を伝える為に、ここに青銅の銘板を埋めよう。」などと話したという。だが、実際にヒトラーとヒムラーがルブリンを訪問した事実はなく、現在の正史派たちの研究でも、この証言を事実であるとしている者は居ない[21]。ヒトラーによる訪問の証言は、ツンデル裁判でも争点となったが、ヒルバーグもゲルシュタインの虚偽証言であると主張した。(後述)
このように信憑性に疑念がある為に、ゲルシュタイン報告書は、歴史修正主義者による攻撃の標的にされている。
ツンデル裁判におけるゲルシュタイン報告
1985年、カナダ・トロントにおいて、ドイツ系住民のエルンスト・ツンデル(英: Ernst Zündel)は、「600万人は本当に死んだのか?」(リチャード・ハーウッド著)を出版し、「虚偽のニュースを広めた罪」で「ホロコースト記憶協会」により起訴された[22]。ツンデル裁判(英: R v Zundel)の一審では、修正派の重鎮、ロベール・フォーリソン(英: Robert Faurisson)がツンデル側の弁護団に加わった。法廷に出席したフォーリソンは鋭い問題点を弁護士に教示していた。
ホロコースト肯定派からは、肯定派の重鎮、ラウル・ヒルバーグ(英: Raul Hilberg)が、証言台に立った。 ツンデル側弁護団に加わった弁護士のダグラス・クリスティ(Douglas Christie)によって、ラウル・ヒルバーグと法廷で何度も激しい論戦が発生した。
ゲルシュタイン報告に関しては、およそ以下の通りである。 Cは、弁護士のダグラス・クリスティ(Douglas Christie) Hは、肯定派のラウル・ヒルバーグ(Raul Hilberg)を指す。
C 「貴方は、著書の中で情報源として何度もクルト・ゲルシュタインを引用していますが、1平方メートルあたり28人~32人も入ると主張する人物を、信用出来ると思いますか?」
H 「この報告に関しては、極めて慎重に扱う必要が有るのです。ゲルシュタインは非常に興奮し易い人物です。私は著書では、この部分は証拠として採用はしませんでした。」
C 「ゲルシュタインは、ヒトラーやヒムラーが、ガス室を見学しに来たと主張してます。信用出来ますか?」
H 「いえ、その証言は虚偽であり、信用出来ません。」
C 「ゲルシュタインは、ベウジェツとトレブリンカでは、証拠記録を残さないようにしたが、本当はユダヤ人を含めて、2500万人が殺害されたのだ。などと主張してますが、信用出来ますか?」
H 「一部は事実ですが、他の部分は明らかに誇張です。この報告で、事実の部分は「何人がガス室へ入ったのか?記録は残されなかった。」という部分です。」
C 「貴方は、明らかに誇張されていると、判断した部分は証拠に採用せず「記録が残されなかった。」という部分は信用出来るとして、恣意的な取捨選択を行っているのですか?」
H 「その通りです。」[23]
一審判決では、ツンデルに15ヶ月の刑を下した。この判決は1988年5月13日の二審判決でも支持されたが、刑期は9ヶ月に短縮された。1992年8月27日、カナダ最高裁は、言論の自由の範囲内であるとして、ツンデルに対し無罪判決を下した[24][25]。
脚注
- ^ a b フリートレンダー(1971), p. 260
- ^ フリートレンダー(1971), p. 262
- ^ a b フリートレンダー(1971), p. 15
- ^ フリートレンダー(1971), p. 321-322
- ^ フリートレンダー(1971), p. 137-145
- ^ フリートレンダー(1971), p. 327-328
- ^ フリートレンダー(1971), p. 299
- ^ ジョウ下巻(2023年)、215-219頁
- ^ a b フリートレンダー(1971), p. 306
- ^ フリートレンダー(1971), p. 153-155
- ^ フリートレンダー(1971), p. 320
- ^ フリートレンダー(1971), p. 324
- ^ ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 カルロ・マットーニョ 2021年(英語)101頁
- ^ a b “Rudolf, Germar - Lectures on the Holocaust - Controversial Issues Cross Examined”. 2023年12月8日閲覧。
- ^ Certain Impossibilities of the 'Gerstein Statement'
- ^ ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 カルロ・マットーニョ 2021年(英語)114-115頁
- ^ The Diesel Gas Chambers: Myth Within A Myth
- ^ DIESEL EXHAUST: THE ENGINES USED
- ^ ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 カルロ・マットーニョ 2021年(英語)149-150頁
- ^ ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 カルロ・マットーニョ 2021年(英語)102頁
- ^ ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 カルロ・マットーニョ 2021年(英語)108-109頁
- ^ Hilbergís Debacle at the First Z¸ndel Trial P113
- ^ Hilbergís Debacle at the First Z¸ndel Trial P114-115
- ^ Hilbergís Debacle at the First Z¸ndel Trial P113
- ^ カナダ最高裁判所判決の全文
参考文献
- ソール・フリートレンダー 著, 石井良 訳『抵抗のアウトサイダー : クルト・ゲルシュタイン』産業行動研究所、1971年。doi:10.11501/12221458。NDLJP:12221458 。「国立国会図書館デジタルコレクション.国立国会図書館内限定公開/一部判読不能:表紙、p.134-135、215他」
- 加藤一郎「研究ノート : クルト・ゲルシュタインの「自白」 : アンリ・ロックのテキスト・クリティークから」『言語と文化』第12巻、文教大学、2000年3月、115-132頁、CRID 1050845762956152320、ISSN 0914-7977。
- カルロ・マットーニョ著 ホロコーストハンドブック第43巻 ルドルフ・レーダー対クルト・ゲルシュタイン ベウジェツ収容所を巡る二人の虚偽証言の分析 2021年(英語)ISBN:978-1-59148-266-6