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- に真理を語り、国家を云々するのが彼等の大半である。敢へて言へば、文化人といふものは日本国民の中でもかなり汚い部分を形作つてゐるのである。そしてかういふ汚さが最も甚しいのは、寧ろ良心的などと評せられてゐる文化人であらう。格別の業績もなくて、ただ良心的といふやうなポーズを以て身を守つてゐる人々に…4キロバイト (449 語) - 2024年7月20日 (土) 18:11
- 雛様にいろんなお供へものをするあの飾台(かざりだい)からヒントを得て、さういふものがあつたならば、手でとるのにも便利だし、眼で見るのにもハツキリするといふところから、工夫に工夫をこらして、現在用ひ(ママ)られてゐるやうな形式にまで発展させ完成させたのであつた。 — 団鬼六編、『日本の名随筆 別巻8 将棋』…4キロバイト (749 語) - 2024年9月15日 (日) 23:14
- 実際に冒頭の一節に「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」というくだりがある。ただし平成18年(2006年)に小松英雄が行った検証によると、この日記は女性に仮託したものではなく、冒頭の一節は「漢字ではなく、仮名文字で書いてみよう」という表明を、仮名の特性を活かした技法で巧みに表現したものであるという。…29キロバイト (1,989 語) - 2024年6月7日 (金) 03:00
- もの(たとへば肉体)を通じて、成就されるのであるから、見えるものを軽視して、精神を発揚するといふ方法は妥当ではない。行為は見える。行為を担ふものは肉体である。従つて、精神の存在証明のためには、行為が要り、行為のためには肉体が要る。かるがゆゑに、肉体を鍛へなければならない、といふ…20キロバイト (2,101 語) - 2023年6月25日 (日) 01:36
- といふものはない。」という小林の著述に対して 私は然しかういふ気の利いたやうな言ひ方は好きでない。本当は言葉の遊びぢやないか。私は中学生のとき漢文の試験に「日本に多きは人なり。日本に少きも亦また人なり」といふ文章の解釈をだされて癪に…26キロバイト (4,769 語) - 2024年11月6日 (水) 22:25
- さういふ本質論によつて私は日本の保守党の無方策を弁護しようといふのではない。むしろ逆なのである。保守的な態度といふものはあつても、保守主義などといふものはありえないことを言ひたいのだ。保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではないし、またそんなことは出来ぬはずである…67キロバイト (10,140 語) - 2024年11月10日 (日) 14:33
- 日野時光:なこそとは ちきらぬものを うきひとの こころのせきや ゆるささるらむ(延文百首) 二条持基:おとにきく なこそのせきの なもつらし わかかよひちに あるとおもへは(永享百首) 一条兼良:せきもりの うちねぬよはは あつまちの なこそといふそ とふにまされる(永享百首) 浄喜:うきなかに なこそのせきは…34キロバイト (5,456 語) - 2024年5月18日 (土) 17:40
- 教義は神観においては、自己の神である「如来」について、「諸仏といふと如来といふは段のちがつたものでござる」、「神々といふは皆、如来様に仕はれさつせる様なもの」というように、神道の諸神、仏教の諸仏の上にあるものとし、またこの世の創造神、摂理神であるとした。…6キロバイト (992 語) - 2023年11月18日 (土) 12:07
- 家制度 (家制度の復活に賛成する著名人の節)戸主の権利義務は少なくとも起草者の主観においては、妥当な範囲に制限しようとする意図が働いていた。 法律は、依然として、戸主といふものを認めてゐるが、唯だ、其一家の代表者として認めてるほどの事で、決して、生殺与奪といふが如き、強力の権力を認めてゐない。故に、家族に対して、懲罰権をもたぬのみか…戸主は、相続によって、其家の財…27キロバイト (4,602 語) - 2024年10月5日 (土) 23:41
- 文政2年(1819年)の『文政二卯ノとし 年中きようくんうた 全』では既に仏滅の説明として「仏の命日といふて何事にもわるし・・・」とある。しかし、六曜は仏教に由来するものではなく上述のように無関係である。釈迦の死亡日とされる2月15日が旧暦では必ず仏滅になるのは、偶然そうなっただけである。…39キロバイト (4,262 語) - 2024年11月10日 (日) 15:49
- 誤植 (カテゴリ 雑多な内容を箇条書きした節のある記事 - 2013年6月-12月)『中央公論』幸田露伴「佐佐木氏の如き歌」 『中央公論』1905年(明治38年)1月1日号に掲載された幸田露伴の評論「文芸の批評家と一般士女との関係」(のち「批評」と改題)内で、「歌人にして歌学者たる佐佐木氏の解する能はずといふが如き歌」が「歌人にして歌学者たる佐佐木氏の如き歌は今猶行はるゝにあらずや。」と誤植された。ここは流行に…53キロバイト (8,017 語) - 2024年11月9日 (土) 12:38
- 小林秀雄 (批評家) (カテゴリ Titlestyleにbackgroundとtext-alignを両方指定しているcollapsible list使用ページ)或る恐ろしい巨きなものが彼の小さな肉体を無理にでも通過しようとするので、彼は苦しく、止むを得ず、その触覚について語るのである。 — 「ゴッホの手紙」 ゴッホは読書家であり、その書簡にはドストエフスキーの名前なども見える。 一見、乱読した文学書に影響されて、議論をしてゐる様に見えるが、実は彼には告白といふものしか出来ない。…106キロバイト (16,935 語) - 2024年10月1日 (火) 22:36
- に余裕が出来ていたので、「たとしへなく勝りたりければ、其時より寂蓮左右なしといふ事になりにき」と評価が上がったとし、また、三体和歌において、長明自身の出詠歌を事前に見せた時に、同じ様な「高間の桜」を詠出していたが、文句も言わず「いと有難き心也かし」と人間性も評価している。…5キロバイト (744 語) - 2024年5月24日 (金) 00:57
- には、 「道 たまほこといふ、(以下略)」 「夜 ぬばたまといふ、またくらし、ぬまたまといふ、むばたまといふ」 「山 あしびきといふ、しなてるやともいふ、(以下略)」 など、現在でいう枕詞の例が見られる。当時はこれらも歌枕と称していたのである。なお能因の作には他に…7キロバイト (1,293 語) - 2023年5月13日 (土) 12:59
- に斎藤茂吉を挙げることもある。 ただし『古今和歌集』仮名序の解釈では、「歌聖」は柿本人麻呂ただ一人とする説もある。その場合、山部赤人は「歌仙」とされる。根拠は人麻呂の記述「正三位柿本人麿なむ歌の聖なりける」に対し、赤人の記述「また山の辺赤人といふ人ありけり」と記述に…5キロバイト (818 語) - 2024年1月7日 (日) 12:24
- 坂口安吾 (カテゴリ Titlestyleにbackgroundとtext-alignを両方指定しているcollapsible list使用ページ)に言ふが、個といふ最後の垣に於て人は絶対に平等たり得ぬものである。賢愚、美醜、壮健な肉体もあれば病弱もあり、強情な性癖もあれば触れれば傷つく精神もあるのだ。憎しみもあれば怒りもある。軽蔑もあれば嫉妬もある。人間といふものを机上にのせて、如何なる方程式だの公理によつて加減乗除してみても、計算に…147キロバイト (23,594 語) - 2024年9月23日 (月) 00:06
- anknüpfen“である。この、”anknüpfen“といふ語は、糸などを結ぶことに用ゐられてゐる。つながり、接続、関係、機縁、縁故などといふ意味にもひろがつてゐるが、兎に角、結合してゐて離れない意味がある。ローゼンベルクはその事をいつてゐるのである。世の(過去の)芸術批評家や美学者などといふもの…11キロバイト (1,587 語) - 2023年11月2日 (木) 12:11
- 三島由紀夫 (カテゴリ Titlestyleにbackgroundとtext-alignを両方指定しているcollapsible list使用ページ)「愛国心」という言葉に対し、「愛妻家」という言葉と似た〈好かない〉感触を持つ三島は、その言葉は官製のイメージが強いとして〈自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向こう側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてき…736キロバイト (108,338 語) - 2024年11月26日 (火) 03:22
- 双六の上手といひし人に、その行を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」といふ。 盤双六はゲームの進行に際してさいころによる偶然の要素が大きいため、賭博に用いられた。『日本書紀』に…15キロバイト (2,273 語) - 2024年11月27日 (水) 01:39
- §一 ほるたれざといふ强き心の善を求むる道の事 此强き心の善といふも◦余善に齊(ひとし)く求め難き善なれば◦如何にしてか求むべきぞといふに◦先(まづ)其價◦諸(もろもろ)の財にも越へ珠玉にも勝りたりと思へ。其故は善の寶(たから)を求むる便となるは◦其價の高き
- 美人の形容。 然るに西洋では、是に反して、表情を主とし、表情が欠けてゐては美人でないとしてあるのである。だから西洋の美人の形容詞には、東西共通の、沈魚落雁、閉月羞花とか、花顔柳腰明眸皓歯とかといふ美人に共通の資格の外に、「動」といふものが美人の美人たる資格の内に含まれてゐるのである。(堀口九萬一
- 『後拾遺和歌集』 吾邦(わがくに)ににてかすみと云ふものは、漢土(もろこし)に云ふ靄(あい)の字に当たれり --『栞草』(曲亭馬琴編・藍亭青藍補) 春立つといふばかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆらん --壬生忠岑 『拾遺和歌集』 きのふかもあられ降りしは信楽の外山の霞春めきにけり --藤原惟成 『詞華和歌集』
- ものとされていたが、作者の紀貫之は男だが、女のふりをして『土佐日記』を書いた。 男も(おとこも)すなる日記(にき)といふ(イウ)ものを、女もしてみむ(ミン)とて、するなり。 それの年(とし)の十二月(しはす、シワス)の二十日(はつか)余り(あまり)一日(ひとひ)の日(ひ)の戌(いぬ)の刻(とき)に