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このウィキでページ「左大弁大伴古麻呂」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 大伴 古麻呂(おおとも の こまろ)は、奈良時代の貴族。官位は正四位下・左大弁。 父親については複数の説があり確実なことは不明。『万葉集』の「(大伴旅人の)姪胡麻呂」という記述から、旅人の兄弟の子(大伴宿奈麻呂の子)とする推定がある。また、右大臣・大伴長徳あるいは大納言・大伴御行の子とする系図も存在する。…11キロバイト (1,826 語) - 2024年8月3日 (土) 03:14
- が、この時の防人との出会いが『万葉集』の防人歌収集につながっている。天平宝字元年(757年)に発生した橘奈良麻呂の乱では、越中国赴任時に深い交流を持った大伴池主を始めとして、大伴古麻呂や大伴古慈斐ら一族が処罰を受けたが、家持は謀反に与せず処罰を免れる。しかし、乱の影響を受けたものか、翌天平宝字2年(…18キロバイト (2,683 語) - 2024年11月11日 (月) 02:52
- 麻呂は大伴古麻呂を誘い、大伴佐伯両氏族をもって黄文王擁立を告げるが佐伯大伴両氏はともにこれを拒絶した。 同年5月2日、聖武太上天皇が崩御する。太上天皇の遺言により道祖王が立太子された。 翌757年(天平勝宝9歳)1月、引退していた橘諸兄が失意のうちに74歳で死去する。なお、奈良麻呂…18キロバイト (3,025 語) - 2024年8月25日 (日) 13:48
- 大伴 継人(おおとも の つぐひと)は、奈良時代後期の貴族。左大弁・大伴古麻呂の子。官位は従五位下・左少弁、贈正五位上。 父・古麻呂が天平勝宝7歳(749年)8月に善戒経と優婆塞戒経を東大寺に返却した際に使者として登場する「大伴継仁」は継人のことと推定されている(「正倉院文書」『大日本古文書』巻13・P154…5キロバイト (728 語) - 2024年2月23日 (金) 15:53
- 正月11日:正五位上 神亀元年(724年) 2月22日:従四位下 時期不詳:右大弁 父:大伴安麻呂 母:不詳 妻:大伴坂上郎女 女子:大伴坂上大嬢 - 大伴家持正室 女子:大伴坂上二嬢 - 大伴駿河麻呂婚約者? 生母不明の子女 男子:大伴古麻呂? 女子:大伴田村大嬢 [脚注の使い方] ^ 『万葉集』巻4-0532,0533)…4キロバイト (402 語) - 2024年3月16日 (土) 16:52
- 平勝宝6年(754年)摂津大夫を経て、天平勝宝9歳(757年)参議兼治部卿に任官する。また同年の道祖王の廃太子に伴う新皇太子選定においては、左大弁・大伴古麻呂と共に池田王を推しているが、結局皇太子に冊立されたのは池田王の弟である大炊王(のち淳仁天皇)だった。…11キロバイト (1,692 語) - 2023年11月27日 (月) 06:39
- 大舎人頭に任ぜられる。 孝謙朝の天平勝宝9歳(757年)5月に従四位上へ昇叙し、6月に但馬守に任ぜられる。同年6月28日に山背王は参議・橘奈良麻呂が謀反を計画し、武器を準備して田村宮を包囲しようとしていること、左大弁・大伴古麻呂もこの件に関知していることを訴え出る。その後、奈良麻呂…7キロバイト (930 語) - 2024年10月26日 (土) 13:11
- 弾正大弼 春宮大夫 右大弁後に左大弁〔続日本後紀、日本三代実録〕 藤原助(847年〈承和14年〉1月12日~ ) 従四位上 参議 弾正大弼 治部卿 左兵衛督 摂津国田使長官〔続日本後紀〕 伴善男(849年〈嘉祥2年〉~ 851年〈仁寿元年〉1月12日) 従四位下、後に従四位上 参議 右大弁 右衛門督 式部大輔…66キロバイト (10,640 語) - 2024年4月5日 (金) 01:44
- 古佐美が征東大将軍に補任され、その後、大伴弟麻呂が初めて「征夷大将軍」に任命された。 この征夷大将軍(征夷将軍)の下には、征夷副将軍・征夷軍監・征夷軍曹がなどの役職が置かれ、征東将軍(大使)の下には、征東副将軍(副使)・征東軍監・征東軍曹などが置かれた。 坂上田村麻呂は大伴弟麻呂…61キロバイト (7,260 語) - 2024年11月27日 (水) 01:58
- く従四位下に叙せられる。神亀6年(729年)長屋王の変後に行われた3月の叙位にて正四位下に叙せられると、同年9月に左大弁に任ぜられ、天平3年(731年)諸官人の推挙により藤原宇合・麻呂兄弟や多治比県守らとともに参議に任ぜられ公卿に列す。天平4年(732年)従三位。天平8年(736年)弟の佐為王と共…22キロバイト (3,815 語) - 2024年11月12日 (火) 06:19
- 大伴 古慈斐(おおとも の こしび、持統天皇9年〈695年〉 - 宝亀8年〈777年〉)は、奈良時代の公卿。名は古慈備・祜信備・祜志備とも記される。越前按察使・大伴祖父麻呂の子。官位は従三位・大和守。 はじめ大学大允に任官したのち、天平9年(737年)従六位上から四階昇進して外従五位下に、天平11…6キロバイト (793 語) - 2024年3月16日 (土) 16:50
- 天平勝宝6年(754年)正月に19年ぶりに昇叙され従四位上となる。のち畿内巡察使・弾正尹を歴任。天平勝宝9歳(757年)4月皇太子・道祖王を廃すにあたり、摂津大夫・文室珍努と左大弁・大伴古麻呂から代わりの皇太子に推挙される。しかし、孝謙天皇から孝行に欠けると評されて退けられ、弟の大炊王(のち淳仁天皇)が皇太子に冊立された。同年正四位上・刑部卿に叙任。…4キロバイト (615 語) - 2024年3月5日 (火) 08:50
- 左大弁を経て、天平勝宝9歳(757年)には出雲守にも補せられているが、これらの地方官への任官は実際に任地に赴かない遙任と推測される。同年7月に橘奈良麻呂の乱が勃発すると、大宰帥・船王らと共に衛府の人々を率いて黄文王・道祖王・大伴古麻呂・小野東人ら反乱者の勾留警備および拷問の任に当たっている。…10キロバイト (1,587 語) - 2024年10月10日 (木) 02:10
- 麻呂の乱において、薬の処方を受けるために答本忠節の邸宅を訪ねた際に、大伴古麻呂や小野東人が反乱を計画していること、この計画を知った忠節が右大臣・藤原豊成に報告を行っているとの情報を得て、これを孝謙天皇に密かに上奏する。この功労により7月に入って三階昇進して従三位兼左大弁に叙任され、8月には参議に任ぜられ公卿に列した。…5キロバイト (453 語) - 2022年1月5日 (水) 13:30
- 多治比 三宅麻呂(たじひ の みやけまろ)は、飛鳥時代後期から奈良時代前期にかけての貴族。摂津大夫・多治比古王の子。官位は正四位上・左大弁。 東山道巡察使を経て、慶雲元年(704年)従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵。慶雲4年(707年)文武天皇の崩御に際して御装束司を務める。…5キロバイト (683 語) - 2024年4月17日 (水) 07:57
- 桓武朝に入ると、左兵衛督・中衛中将と武官を務めると共に、左中弁・式部大輔を兼ね、延暦4年(785年)には従四位上・参議に叙任されて公卿に列した。同年11月安殿親王(のち平城天皇)の立太子に伴いその春宮大夫に、翌延暦5年(786年)右大弁次いで左大弁…8キロバイト (1,251 語) - 2023年11月14日 (火) 14:09
- 麻呂の次男。官位は正二位・左大臣、贈正一位・太政大臣。閑院大臣と号す。 桓武朝では大判事・左衛士大尉を歴任する。平城天皇が即位した大同元年(806年)従五位下・春宮大進に叙任されると、大同2年(807年)には春宮亮に昇進する等、平城朝では皇太子・賀美能親王に仕える一方、侍従・右少弁も務めた。…17キロバイト (2,622 語) - 2024年5月29日 (水) 14:55
- 仲世 巻之一百二十一 列伝第四十八 - 巨勢麻呂 大伴旅人 子家持 大野東人 田中多太麻呂 坂上苅田麻呂 道島島足 大伴駿河麻呂 百済俊哲 紀広純 藤原継縄 大伴益立 藤原小黒麻呂 巻之一百二十二 列伝第四十九 - 紀古佐美 大伴弟麻呂 坂上田村麻呂 子浄野 孫当道 巨勢野足 巻之一百二十三 列伝第五十…92キロバイト (13,451 語) - 2024年7月27日 (土) 17:44
- 大伴 兄麻呂(おおとも の えまろ)は、奈良時代の公卿。大納言・大伴御行の子。官位は従三位・参議。 天平3年(731年)従五位下・尾張守に叙任される。天平9年(737年)主税頭として京官に復すが、天平10年(738年)美作守、天平17年(745年)美濃守と再び地方官を務め、この間天平13年(741年…4キロバイト (446 語) - 2023年1月30日 (月) 03:12
- 万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第十九 (萬葉集古義(抄)/巻第十九からのリダイレクト)右の一首は、左中弁(ひだりのなかのおほともひ)中臣朝臣清麻呂が伝へ 誦める、古き京の時の歌なり。 4259 十月(かみなつき)時雨の降れば我が背子が屋戸のもみち葉散りぬべく見ゆ 右の一首は、少納言大伴宿禰家持が、当時梨の黄葉(もみち)を 矚(み)て、此の歌を作めり。