新米と古米
新米と古米(しんまいとこまい)は、その年に収穫された米と、前年に収穫された米。
同様に、前々年に収穫された米を古古米・古々米(ここまい)、以下同様に、古古古米・古々々米(こここまい)、古古古古米・古々々々米(ここここまい)と、古(こ)を収穫した年から現在までの年数分呼ぶ[要出典]。
定義
[編集]新米と古米の区別について、明確な定義はない。
11月から翌年10月までの米穀年度を基準にすると、11月1日をもって新米が古米に変わることになる。ただしこの定義は、夏から10月までに取れた早場米に適用できない。なお、新米・古米の区別と直接には関わらないが、米の備蓄計画では7月から翌年6月までの1年間を単位としている。
JAS法に基づく「玄米及び精米品質表示基準」によれば、新米と表示できるのは、収穫年の年末までに精白・包装された精米に限る。そのため、店頭で新米と表示された米が売られるのは、翌年の年初か、せいぜい春までである。ただし、新米と表示できなくなったからといって、古米になるというわけではない。
違い
[編集]古米には、新米に比べ次のような違いがある。
- 米飯が、硬く、粘りが少ない。
- 米飯の光沢や白度が低い。
- 古米臭がする。
- 水分が抜けているため、炊いた時新米より2、3割膨れる。
これらは古古米、古古古米になるにつれ強くなるが、古古古古米になると逆に弱くなる。
東南アジア・南アジアでは、粘り気の少ない米飯が好まれ量も増えるため古米の方が人気である。また日本でも中世から近世にかけては新米よりも古米の方が値段が高い。これは炊くと量が増えるからで、味よりも腹が一杯になる方が重要だったと考えられる[1]。現代でも、寿司飯は酢の浸透が良いという理由で古米を使う、若しくは一部ブレンドする。
備考
[編集]日本では、経験が豊富な人を「古米」とは呼ばない。しかし、仕事を始めて間もない人、まだ経験が足りない人(新人、フレッシュマン)を「新米」と呼ぶことがある。
もともとは、江戸時代の商店で新入りの店員が新しい前掛けを着けていたのを「新前掛け(しんまえかけ)」と呼び、これが省略されて「新前(しんまえ)」になり、さらに訛って「新米(しんまい)」に変化したとする説が有力であり、新しい米を意味する新米とは直接の関係はないとされる[要出典]。
第二次世界大戦後の食糧難が解消された1960年代には、「古米=まずい」というイメージが定着した。一例として、大量の古米を抱えた食糧庁は、1968年秋から配給米に古米を混入させる割合を大幅に増やし始めた。さらに翌1969年10月からは、新米を価格の高い自主流通米に割り振り流通させる一方、古米は価格の安い配給米に割り振り新米の割合をゼロとして流通させた。こうした政策について朝日新聞は見出しで「配給米まずくなる」と表現している[2]。
脚注
[編集]- ^ 清水克行 『大飢饉、室町社会を襲う!』 吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー258〉、2008年、pp.41-47、ISBN 978-4-642-05658-8.
- ^ 「配給米まずくなる 十月までは新米ゼロに」『朝日新聞』昭和44年(1969年)7月14日朝刊12版、15面