浅井秀信
表示
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 天文12年(1544年)[要出典] |
別名 | 五郎兵衛尉、新三郎?(通称)、惟政? |
主君 | 浅井亮政、久政 |
氏族 | 浅井氏 |
父母 | 浅井清政? |
子 | 亮親 |
浅井 秀信(あざい ひでのぶ)は、戦国時代の武士。浅井氏の家臣。
略歴
[編集]「阿部文書」により五郎兵衛尉を名乗ったことが確認できる。浅井亮政に信任され、右筆を務めた(「南部文書」)。本願寺との取次を務めたことから秀信の名は『天文日記』にも見える[1]。
『柳営婦女伝』では越後守清政の子、惟政(新三郎、五兵衛)として見え、備前守亮政の猶子になったとする[2]。ただし『天文日記』から浅井越後守の存在は確認できるが、秀信の父であるかははっきりしない[1]。『柳営婦女伝』では兄弟に壁閑(新十郎、蔵人入道)、明政(石見守)、福寿庵(惟安首座)、貞政(越後守)[2]。
『天文日記』では五郎兵衛尉の子は与次とされている。浅井与次の実名は亮親であることが「鈴木文書」によって確認できる[3]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 黒田惟信 編『国立国会図書館デジタルコレクション 東浅井郡志. 巻2』滋賀県東浅井郡教育会、1927年 。