王滝御嶽神社
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王滝御嶽神社 | |
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里宮の本殿拝殿 | |
所在地 | 長野県木曽郡王滝村3315番地(王滝御嶽神社別殿) |
位置 |
里宮:北緯35度48分53.3秒 東経137度33分7.2秒 / 北緯35.814806度 東経137.552000度座標: 北緯35度48分53.3秒 東経137度33分7.2秒 / 北緯35.814806度 東経137.552000度 奥社:北緯35度53分19.4秒 東経137度28分57.8秒 / 北緯35.888722度 東経137.482722度 |
主祭神 | 里宮、奥社:国常立尊 大己貴命 少彦名命 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 702年(大宝2年) |
本殿の様式 | 御嶽神社・里宮 |
別名 | 御嶽神社王滝口、王滝口御嶽神社 |
札所等 | 王滝御嶽神社の神社社殿・社務所を参照 |
例祭 | 王滝御嶽神社の祭事を参照 |
主な神事 | 王滝御嶽神社の祭事を参照 |
地図 |
王滝御嶽神社(おうたきおんたけじんじゃ)は、長野県木曽郡王滝村にある神社。王滝口御嶽神社(おうたきぐちおんたけじんじゃ)、御嶽神社王滝口(おんたけじんじゃおうたきぐち)ともいう。
木曽御嶽山への山岳信仰に基づく現地の神社(木曽御嶽神社)の1つであり、南方からの登山道である王滝口(おうたきぐち)沿いにある神社である(東方の黒沢口沿いにも別の神社がある)。山頂に奥社、 山麓に里宮がある。
祭神
[編集]主祭神は以下の3柱。 国常立尊(くにとこたちのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと)
主祭神以外については、社殿の各宮の項目を参照。
歴史
[編集]大宝2年(702年)、信濃国司の高根道基が木曽御嶽山頂上奥社を創建したのを始まりとする。
宝亀5年(774年)、信濃国司の石川朝臣望足が、光仁天皇の勅命を奉じて木曽御嶽山へ登山し、悪疫退散を祈願した。
延長3年(925年)、白川少将重頼が木曽御嶽山へ登山し奥社の神殿を再建した。
応保元年(1161年)、後白河上皇の勅使が木曽御嶽山を登山し参拝した。
文亀3年(1503年)、一合目里宮社を再興したと記録にある。
寛文4年(1664年)、木曽代官の山村良豊が里宮社殿を再建。
天明2年(1782年)、覚明が木曽御嶽山黒沢口登山道を開いた。
寛政4年(1792年)、普寛行者が木曽御嶽山王滝口登山道をそれぞれ開き、講社を作り軽精進潔斎による木曽御嶽山登山を奨励したことにより、御嶽講(山岳信仰・講)が全国に広まり、現在も御嶽教の信者による参拝が続いている。
社殿
[編集]- 里宮(さとみや)一合目にあり、「本社(ほんしゃ)」「若宮(わかみや)」「岩戸権現(いわとごんげん)」とも呼ばれる。祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)。
- 十二大権現(じゅうにだいごんげん)四合目下にあり、祭神は木花開耶姫命(このはなさくやびめのみこと)。
- 八海山神社(はっかいさんじんじゃ)五合目にあり、祭神は国狭槌尊(くにさつちのみこと)。
- 三笠山神社(みかさやまじんじゃ)七合目、三笠山頂上にあり、祭神は豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)。
- 田ノ原大黒天(たのはらだいこくてん)七合目にあり祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。
- 頂上奥社(ちょうじょうおくしゃ) 木曽御嶽山王滝口頂上にあり、祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)。
社務所
[編集]- 別殿社務所・一合目
- 里宮社務所・一合目
- 里宮拝殿・一合目
- 八海山社務所・五合目
- 田の原社務所・七合目
- 遙拝所社務所・七合目
- 頂上社務所・木曽御嶽山王滝口頂上
祭事
[編集]- 年中行事
- 毎日の祭事
- 毎月1日および15日 月並祭 里宮・別殿
御嶽山信仰、行者、講社
[編集]関連する神社・宗教法人
[編集]文化財等
[編集]- 古記録・絵画等
- 普寛行者ゆかりの品
- 愛用の茶器と椀
- 開山登山の節の護身用小刀
- 普寛行者道中日記
- 普寛行者一行に宛てた書状
- 開山登山の節の護身用天狗の爪
現地情報
[編集]- 交通アクセス
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 王滝御嶽神社(公式サイト)
参考文献
[編集]- 王滝村史
- 『寺と神社 (信州の文化シリーズ)』 御嶽神社 p249 信州郷土史研究会 信濃毎日新聞社 1981年
- 菅原壽清、中山郁、時枝務 編『木曽のおんたけさん―その歴史と信仰』岩田書院、2009年8月。ISBN 978-4872945690。