コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

王金鈺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
王金ギョクから転送)
王金鈺
プロフィール
出生: 1884年光緒10年)
死去: 1951年
出身地: 清の旗 山東省臨清州武城県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 王金鈺
簡体字 王金钰
拼音 Wáng Jīnyù
ラテン字 Wang Chin-yü
和名表記: おう きんぎょく
発音転記: ワン ジンユー
テンプレートを表示

王 金鈺(おう きんぎょく)は中華民国の軍人。北京政府時代に直隷派に属したが、後に国民革命軍国民政府)に転じた。湘亭湘汀

事績

[編集]

1910年宣統2年)、日本の陸軍士官学校第9期騎兵科を卒業した。帰国後は、直隷派王占元孫伝芳の配下となる。参謀長や旅長を歴任した後、1922年民国11年)に陸軍少将銜の地位を授与された。1924年(民国13年)11月に両浙塩運使に任命される。1927年(民国16年)には、安国軍第1方面軍団参議に任命された。[1][2][3]

1928年(民国17年)6月、王金鈺は中国国民党へと易幟し、国民革命軍の師長に任命された。以後、討逆軍第9軍軍長、同第14路軍総司令、湘鄂贛辺区剿共清郷督弁を歴任している。1930年(民国19年)1月、安徽省政府主席に任命されたが、わずか2か月で罷免された。1931年(民国20年)、第5路軍総指揮として第2次中国共産党紅軍)包囲掃討作戦に参加、さらに軍事参議院参議もつとめた。1951年、死去。享年68。[1][2][3]

[編集]
  1. ^ a b 徐主編(2007)、118頁。
  2. ^ a b 劉国銘主編(2005)、192頁。
  3. ^ a b 来ほか(2000)、1102頁。

参考文献

[編集]
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0 
  • 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国国民政府
先代
石友三
安徽省政府主席
1930年1月 - 3月
(2月より程天放代行)
次代
馬福祥