王金鈺
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(王金ギョクから転送)
王金鈺 | |
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プロフィール | |
出生: | 1884年(清光緒10年) |
死去: | 1951年 |
出身地: | 清山東省臨清州武城県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 王金鈺 |
簡体字: | 王金钰 |
拼音: | Wáng Jīnyù |
ラテン字: | Wang Chin-yü |
和名表記: | おう きんぎょく |
発音転記: | ワン ジンユー |
王 金鈺(おう きんぎょく)は中華民国の軍人。北京政府時代に直隷派に属したが、後に国民革命軍(国民政府)に転じた。字は湘亭、湘汀。
事績
[編集]1910年(宣統2年)、日本の陸軍士官学校第9期騎兵科を卒業した。帰国後は、直隷派の王占元、孫伝芳の配下となる。参謀長や旅長を歴任した後、1922年(民国11年)に陸軍少将銜の地位を授与された。1924年(民国13年)11月に両浙塩運使に任命される。1927年(民国16年)には、安国軍第1方面軍団参議に任命された。[1][2][3]
1928年(民国17年)6月、王金鈺は中国国民党へと易幟し、国民革命軍の師長に任命された。以後、討逆軍第9軍軍長、同第14路軍総司令、湘鄂贛辺区剿共清郷督弁を歴任している。1930年(民国19年)1月、安徽省政府主席に任命されたが、わずか2か月で罷免された。1931年(民国20年)、第5路軍総指揮として第2次中国共産党(紅軍)包囲掃討作戦に参加、さらに軍事参議院参議もつとめた。1951年、死去。享年68。[1][2][3]
注
[編集]参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0。
- 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(国民政府)
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