玻座間里芳
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人物情報 | |
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生誕 |
1909年 日本 沖縄県八重山郡八重山村(現:石垣市)[注 1] |
死没 | 1970年[1] |
出身校 | 台北医学専門学校 卒業[2] |
学問 | |
時代 | 昭和時代前・中期 |
活動地域 |
日本 アメリカ合衆国統治下の沖縄 |
研究分野 | 産科学、婦人科学[3] |
研究機関 | 台北帝国大学[3] |
学位 | 医学博士[3] |
主要な作品 | 石垣市歌(作詞) |
玻座間 里芳(はざま りほう、1909年 - 1970年)は、昭和時代日本の医学者、作詞家。沖縄県出身。
来歴
[編集]1909年(明治42年)、沖縄県八重山郡八重山村(現在の石垣市)に生まれる[注 1]。1931年(昭和6年)に台北医学専門学校を卒業し、台北帝国大学附属医学専門部に講師として在職中の1938年(昭和13年)11月に博士号を授与された[2]。
終戦後は台湾から郷里の石垣島へ引き揚げて市内で産婦人科医を営む傍ら作詞家として活動し、1967年(昭和43年)に「石垣市歌」の懸賞募集で入選した[4]。
1970年(昭和45年)、脳血管障害のため死去[1]。享年62。
作品
[編集]- 石垣市歌
- 八重山観光音頭
- 大川音頭
- 十五夜
参考文献
[編集]- 『台北帝国大学一覧』昭和14年(台北帝国大学、1939年) NCID BA51988783
- 『南溟会創立五十周年記念誌』(南溟会本部、1979年) NCID BA48530710
- 劉鴻徳『在醫療行政與醫學專業之間:邱仕榮及其同時代的臺大醫院與臺灣醫學』(国立政治大学歷史学系研究部碩士論文、2008年)
- 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版、2012年) ISBN 978-4-490-20803-0