キャッスル&ゲイツ
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(田村和郎から転送)
キャッスル&ゲイツ | |
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出身地 | 日本 高知県 |
ジャンル | フォークソング |
活動期間 |
1965年 - 1968年 1970年 - 1972年 |
レーベル | RCAレコード(日本ビクター) |
メンバー |
キャッスル&ゲイツは、日本のフォークグループ。1965年に結成、1972年に解散した。
メンバー
[編集]第一期 1965 - 1968
- 町田義人 (ギター、ヴォーカル) 1946年9月21日生。高知県出身。土佐高校→成城大学出身。後にソロ活動。
- 田村守 (ギター、ヴォーカル)東京大学出身。
- 上地健一 (ベース、ヴォーカル)1946年9月8日生。長崎県出身。土佐高校→明治大学出身。
第二期 1970 - 1972
- 田村和郎 (ギター、ヴォーカル)
- 山下和久 (ギター、ヴォーカル)
- 水田奏夫 (ベース、ヴォーカル)
- 島崎章 (ドラムス、ヴォーカル)
来歴
[編集]1965年、高知県の土佐高校の同窓会で町田と田村が意気投合し、フォークデュオを結成。1967年6月にカントリーバンドにいた上地が参加し、トリオとなる。
1967年9月16日、ニッポン放送のラジオ番組「バイタリス・フォーク・ビレッジ」用に田村が作った「おはなし」を録音。好評を博すが、この時レコード化されることはなかった。
翌1968年3月「バイタリス・フォーク・ビレッジ」の人気投票で第一位となるが、時を同じくしてグループは解散。町田と上地はR&Bバンドのズー・ニー・ヴーに参加、田村は就職する。
同1968年新メンバーに再編。グループは田村の弟である田村和郎と山下のデュオで再編成。水田と島崎が加入し4人編成となり、1972年に日本ビクター(後にビクター音楽産業として分社化。現・ビクターエンタテインメント)のRCAレコード(後にRVCとして分社化。現在のソニー・ミュージックレーベルズ・アリオラジャパンの源流)からシングル2枚とアルバム1枚を発表。
1969年1月、「バイタリス・フォーク・ビレッジ」の音源をそのまま使用した「おはなし」が、突如東芝レコードより発売される。ジャケットも、町田と上地の在籍時の写真が使われていたため、ファンの一部に混乱を招いた。
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]- 「おはなし」 (c/w 「農夫の唄」) 1969年1月発売(東芝音工・EP-1130)
- 「二人のうわさ」( c/w 「海辺の町」) 1970年4月発売 (東芝音工・EP-1222) キャッスル・アンド・ゲイツ名義
- 「鎮魂歌」 (c/w 「最後のチャンス」) 1972年1月発売 (RCA・JRT-508)
- 「母からの便り」 (c/w 「ただ、それだけ」) 1972年発売 (RCA・JRT-512)
EP
[編集]- 「HARMONY CENTER」1967年発売(キング委託制作・NDS-38)A面のみ。B面はザ・フロッギーズの演奏。 CASTLE & GATE名義
- A-1「おはなし」(東芝盤とは一部の歌詞違いの別音源) A-2「赤い靴」
アルバム
[編集]- 「鎮魂歌/キャッスル&ゲイツの世界」 1972年発売 (RCA・JRS-7186)
- 作詞・作曲のほとんどを田村守が手がけた。「おはなし」の新録音を含む全13曲。
近況
[編集]- 田村和郎は後に帰省して、高知県のローカルタレントとして活躍している。