コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

甲山1号墳 (岡崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
甲山1号墳から転送)
甲山1号墳

墳丘入り口
別名 甲山古墳/甲山第1号墳
所属 甲山古墳群
所在地 愛知県岡崎市六供町字甲越[1]
位置 北緯34度57分47.09秒 東経137度9分58.86秒 / 北緯34.9630806度 東経137.1663500度 / 34.9630806; 137.1663500座標: 北緯34度57分47.09秒 東経137度9分58.86秒 / 北緯34.9630806度 東経137.1663500度 / 34.9630806; 137.1663500
形状 円墳または前方後円墳
規模 (円墳説)直径60m
(前方後円墳説)墳丘長120m
埋葬施設 (推定)木炭槨
出土品 鉄刀・埴輪
築造時期 4世紀末-5世紀初頭
史跡 岡崎市指定史跡「甲山第1号墳」
特記事項 三河地方第1位の規模か
地図
テンプレートを表示

甲山1号墳(かぶとやまいちごうふん、甲山古墳/甲山第1号墳)は、愛知県岡崎市六供町(ろっくちょう)にある古墳。形状は円墳または前方後円墳。甲山古墳群を構成する古墳の1つ。岡崎市指定史跡に指定されている(指定名称は「甲山第1号墳」)。

前方後円墳の場合には三河地方(愛知県中部・東部)で最大規模と推定される古墳で[注 1]4世紀末-5世紀初頭頃(古墳時代中期)の築造と推定される。

概要

[編集]
1号墳(右)と2号墳(左)
1号墳 墳頂
かつて墳頂に設置されていた「たつきの鐘」[2]

愛知県中部、矢作川中流左岸の独立丘陵の甲山(標高64.5メートル)上に築造された大型古墳である[3][4]。丘陵上では本古墳のほか2号墳(1号墳と同一か:後述)・3号墳(消滅)・三ツ岩古墳(消滅)の築造が認められ、甲山古墳群として認知される[1]。「甲山」の丘陵名は、当地のヤマトタケル伝説に基づくという[1]

墳形は従来では円形とされ、直径60メートル・高さ8メートルの大型円墳とされてきた[4]。近年では前方後円形とする説があり、その説では2号墳(南側)または記念寺(西側)が前方部と見立てられる[5][1][6]。2号墳を前方部とする説では墳丘長120メートルの大型前方後円墳と復原推定され、三河地方(愛知県中部・東部)では最大規模の位置づけになる[1][注 1]。墳丘外表では埴輪片(円筒埴輪)が検出されている[4][1]。埋葬施設は明らかでないが、1944年昭和19年)の防空監視所・防空壕設置の際に木炭が出土したことから、木炭槨と推定される[4][1]。出土品としては、前述の木炭と同時に鉄刀が発掘されたというが、いずれも戦災で焼失している[4][1]。以上より、築造年代は古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃[1](または5世紀初頭頃[4])と推定される。なお、本古墳の周辺に存在した古墳は陪塚であったとも推測される[1]

古墳域は1972年(昭和47年)に岡崎市指定史跡に指定されている[7]

遺跡歴

[編集]
  • 1944年昭和19年)、墳頂部に防空監視所の設置、墳丘部に防空壕の掘削。それに伴う木炭・鉄刀の出土[4]
  • 1961年(昭和36年)1月、墳頂部にサイレン塔「たつきの鐘」を設置[8]
  • 1971年(昭和46年)1月、「たつきの鐘」の時報が音楽放送に変わった。朝6時に「草競馬」を、夕方6時に「七つの子」を、夜10時に「ウェストミンスターの鐘」を流した[9]
  • 1972年(昭和47年)7月5日、「甲山第1号墳」として岡崎市指定史跡に指定[7]
  • 岡崎市史編纂事業による墳丘測量(1989年平成元年)に『岡崎市史 史料 考古下』刊行)[4]

文化財

[編集]

岡崎市指定文化財

[編集]
  • 史跡
    • 甲山第1号墳 - 所有者は甲山寺。指定範囲面積は706.50平方メートル。1972年(昭和47年)7月5日指定[7]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b 甲山1号墳を考慮しない場合、三河地方で最大規模の古墳としては、西三河(愛知県中部)の正法寺古墳(西尾市、墳丘長94メートル)と東三河(愛知県東部)の船山1号墳(豊川市、墳丘長95メートル)が同程度の規模で並ぶ。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 山田伸子 & 2017年.
  2. ^ 岡崎市議会 平成5年6月 定例会 06月08日-12号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
  3. ^ 甲山一号墳(平凡社) & 1981年.
  4. ^ a b c d e f g h 甲山古墳(続古墳) & 2002年.
  5. ^ 『愛知県史 通史編1 原始・古代』 愛知県、2016年、pp. 185-187。
  6. ^ 荒井信貴「「岡崎」のなかった頃の岡崎学 -古墳時代~古代の西三河-」 (PDF) (「岡崎学 -岡崎を考える-」講座資料、2008年、リンクは岡崎商工会議所)。
  7. ^ a b c 岡崎市指定文化財目録(岡崎市ホームページ、2017年6月2日更新版)。
  8. ^ 市政だより おかざき No.483” (PDF). 岡崎市役所. p. 6 (1982年11月1日). 2020年3月5日閲覧。
  9. ^ 市政だより おかざき No.909” (PDF). 岡崎市役所. p. 13 (2000年8月1日). 2020年3月5日閲覧。

参考文献

[編集]

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(岡崎市教育委員会設置)
  • 「甲山一号墳」『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490239 
  • 赤塚次郎「甲山古墳」『続 日本古墳大辞典東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991 
  • 山田伸子「甲山1号墳」『情報誌みどり 第98号(2017年夏号)』エムアイシーグループ、2017年、8-9頁。  - リンクはエムアイシーグループホームページ。

関連文献

[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 北村和宏「甲山1号墳の再検討 -三河国最大級の前方後円境か」『三河考古』第20巻、三河考古刊行会、2009年5月、84-92頁。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
  • 甲山1号墳 - 愛知県三河地方情報サイト「みかわこまち」