皐月 (戦利駆逐艦)
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(皐月型駆逐艦から転送)
艦歴 | |
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発注: | |
起工: | |
進水: | |
竣工: | 1903年 |
就役: | 1905年12月捕獲 |
除籍: | 1913年4月1日 |
その後: | 1914年青島攻略戦に参加 1921年に廃船 |
要目 | |
排水量: | 常備:350トン |
全長: | 垂線間長:64.0m |
全幅: | 6.4m |
吃水: | 1.8m |
機関: | 宮原缶4基 3気筒3段膨張レシプロ2基 2軸推進、5,700馬力 |
速力: | 27ノット |
航続距離: | |
燃料: | 石炭:80トン |
乗員: | |
兵装: | 7.6cm単装砲1基 47mm単装砲5基 45cm水上発射管2門 |
皐月(さつき)は、かつて大日本帝国海軍に所属した駆逐艦である。日露戦争時にロシアから鹵獲した戦利艦であり、元はブイヌイ級駆逐艦のベドーヴイであった。艦名は睦月型駆逐艦「皐月」に引継がれた。
艦歴
[編集]ロシア時代
[編集]→詳細は「ベドーヴイ (ロシア海軍駆逐艦)」を参照
日本時代
[編集]- 1905年6月6日、「皐月」と命名され、12月12日に駆逐艦籍に編入。
- 1906年、浦賀船渠で整備完了。
- 1913年(大正2年)4月1日除籍[1]。
- 1914年(大正3年)8月23日、雑役船(掃海船)「皐月丸」となる。第一次世界大戦では青島攻略戦に参加。
- 1916年(大正5年)3月31日に標的船となる。
- 1921年(大正10年)廃船。
艦長
[編集]※『官報』に基づく。
- 日本海軍
駆逐艦長
- 水科三十郎 少佐:1905年12月12日 - 1906年7月12日
- 平岡善之丞 大尉:1906年7月12日 - 1907年4月5日
- 神代護次 大尉:1907年4月5日 - 1908年12月10日
- 松原彦介 大尉:1908年12月10日 - 1909年12月1日
- 朝田外次郎 大尉:1909年12月1日 - 1911年6月28日
- 堀当 大尉:1911年6月28日 - 1912年5月22日
- 中原市介 大尉:1912年5月22日 -
脚注
[編集]- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 74頁。◎大正二年四月一日(達六六) 艦艇類別等級別表中軍艦ノ欄内「鈴谷」「葛城」ヲ、驅逐艦ノ欄内「文月」「皐月」「漣」「卷雲」「敷波」「霞」ヲ、水雷艇ノ欄内「第三十號」「第二十五號」「第五十五號」「第五十六號」「第五十七號」「第三十一號」「第三十二號」「第三十六號」「第三十七號」「第三十八號」「第三十九號」「第四十號」「第四十一號」「第四十三號」「第四十四號」「第四十五號」「第四十六號」「第六十二號」「第六十三號」「第六十四號」「第六十五號」ヲ削ル。
参考文献
[編集]- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8』海軍大臣官房、1940年。
- 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
- 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年
- 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6
- 『官報』