氷川神社 (相模原市)
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(相模原氷川神社から転送)
氷川神社 | |
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鳥居と拝殿 | |
所在地 | 相模原市中央区清新四丁目1番5 |
位置 | 北緯35度34分53.31秒 東経139度21分38.92秒 / 北緯35.5814750度 東経139.3608111度座標: 北緯35度34分53.31秒 東経139度21分38.92秒 / 北緯35.5814750度 東経139.3608111度 |
主祭神 | 素盞嗚尊 |
神体 | 秋葉大権現、榛名大権現の石碑[1] |
創建 | 1843年(天保14年6月17日)[2] |
本殿の様式 | 鉄板葺一間社流造社殿(十八世紀中期 - 後期と推測)[3] |
例祭 | 8月23日 |
地図 |
氷川神社(ひかわじんじゃ)は神奈川県相模原市中央区にある神社。地名を冠して相模原氷川神社(さがみはらひかわじんじゃ)とも。
歴史
[編集]氷川神社は、代官江川太郎左衛門から開発許可を得た小山村豪農の原清兵衛光保が開墾をするにあたり、入植者の士気を高めるために、1843年(天保14年)6月17日、村の鎮守の神として、武蔵国南多摩郡上檪田村の村社氷川神社より神霊を分霊して創建した[4][5]。
明治22年4月施行の市制町村制により、相原、橋本、小山、清兵衛新田の4村が合併し「相原村」が誕生。明治39年8月の「一村一社を基準とする神社合併」の勅令により、合併後の新村にも適用され、清兵衛新田村の氷川神社に地域にあった飯縄神社が合祀された。 また、1919年(大正8年)には橋本の神明大神宮の地に合祀し、新社名を「旭神社」として県知事に出願。大正8年10月に許可が下り、同年12月14日に神霊を神明大神宮に移すことになったが、相原の反対派により話はまとまらず、氷川神社は存続し現在に至っている[6][7]。
境内
[編集]境内にある御社殿及び主要建物
本殿
[編集]母屋
[編集]拝殿
[編集]- 慶応2年(1866年)に建立された。
石燈篭
[編集]- 安政3年(1856年)、代官江川太郎左衛門の手代である検知役人の津田橘六、恒川左内直親が寄附した。
石水盤
[編集]- 原清兵衛光保が寄附
秋葉・棒名大権現
[編集]- 天保14年(1843年)原清兵衛光保が寄附[7]
福徳稲荷大神
[編集]- 昭和27年に、八王子の稲荷信者である小野という祈祷者の夢枕に狐がたち、宮を建ててほしいとお告げがあったことから祠が寄附され建立された[7]。
- 現存しているものは昭和54年(1979年)に新築されたもの[7]。
子育て地蔵
[編集]道祖神
[編集]馬頭観音
[編集]画像
[編集]-
福徳稲荷大神
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拝殿
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地蔵尊
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清兵衛新田開墾記念碑
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社務所
出典
[編集]- ^ 『かながわの神社・ガイドブック』
- ^ 相模原市教育委員会『さがみはら風土記稿-神社編-』相模原市教育委員会、1993年、10頁。
- ^ 『相模原市史』文化遺産編
- ^ 相模原市教育研究所『地域歴史素材集 相模原市を中心として』相模原市教育研究所、1990年、71頁。
- ^ 編纂委員会『清新のしるべ』編纂委員会、1998年、2頁。
- ^ 相原の歴史をさぐる会 市川晴男『「館報あいはら」相原よもやまばなし35』相原公民館、1999年、5頁。
- ^ a b c d e f g h i j 清新小学校創立30周年を祝う会編集室『せいしん』清新小学校創立30周年を祝う会編集室、1984年。
- ^ a b c d e f g h i 相模原市教育委員会教育局生涯学習部博物館『相模原市史』相模原市、2015年、21頁。