相武山信男
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(相武山信夫から転送)
相武山 信男(そうぶやま のぶお、1918年1月11日[1] - 没年不明)は、神奈川県津久井郡(現相模原市緑区)出身[1][2]で出羽海部屋に所属した[1][2]昭和年間の元大相撲力士。本名は橋本 信男(はしもと のぶお)[1][2]。最高位は西十両2枚目。得意技は左四つ、寄り。
経歴
[編集]1937年1月場所に初土俵を踏む。1942年5月場所に十両に昇進[1][2]。立ち合いに相手の懐に飛び込んで鋭い出足を生かし、左を差して一気に出る颯爽な取り口が持ち味だった。しかし、腰が軽く四つに組まれて出足を止められると、攻め手がなく苦戦した。十両4場所目の1944年1月場所、13勝2敗の好成績を挙げた(十両優勝は上位の九州錦)。翌5月場所は自己最高位となる西十両2枚目まで上がるが、3勝7敗と負け越し、11月場所は全休し、この場所限りで廃業した[1][2]。
主な成績
[編集]- 通算成績:80勝52敗17休 勝率.606
- 十両成績:35勝28敗17休 勝率.556
- 現役在位:17場所
- 十両在位:6場所
場所別成績
[編集]春場所 | 夏場所 | 秋場所 | ||||
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1937年 (昭和12年) |
(前相撲) | (前相撲) | x | |||
1938年 (昭和13年) |
東序ノ口24枚目 3–4 |
西序二段37枚目 5–2 |
x | |||
1939年 (昭和14年) |
東三段目44枚目 3–4 |
西三段目51枚目 7–1 |
x | |||
1940年 (昭和15年) |
西三段目16枚目 3–5 |
西三段目19枚目 5–3 |
x | |||
1941年 (昭和16年) |
東三段目筆頭 6–2 |
西幕下23枚目 7–1 |
x | |||
1942年 (昭和17年) |
東幕下8枚目 6–2 |
東十両13枚目 8–7 |
x | |||
1943年 (昭和18年) |
西十両9枚目 7–8 |
西十両12枚目 4–4–7 |
x | |||
1944年 (昭和19年) |
東十両15枚目 13–2 |
西十両2枚目 3–7 |
東十両9枚目 引退 0–0–10 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 橋本 信男(はしもと のぶお)1937年1月場所 - 1942年1月場所
- 相武山 信夫(そうぶやま のぶお)1942年5月場所 - 1944年1月場所
- 相武山 信男(そうぶやま のぶお)1944年5月場所 - 1944年11月場所
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 相武山 信男 - 相撲レファレンス