石井和義
石井 和義 | |
---|---|
生年月日 | 1953年6月10日(71歳) |
出身地 | 日本・愛媛県宇和島市 |
別名 | 石井館長 |
居住 | 日本 |
スタイル | 正道会館 空手 |
師匠 | 芦原英幸 |
著名な弟子 |
角田信朗 佐竹雅昭 |
石井 和義(いしい かずよし、1953年(昭和28年)6月10日 - )は、日本の空手家。実業家。愛媛県宇和島市出身。愛媛県立宇和島東高等学校卒業。
空手団体である正道会館の創始者で、総合格闘技イベントの草分け的存在となったK-1の創立者として知られる[1]。K-1Founder and adviser/正道会館館長/ARISF.GAISF.(IOC承認国際競技団体連盟、国際スポーツ連盟)Kickboxing WAKO JAPAN//FIKA/漫画「どるから」原作中
プロフィール
[編集]生い立ち
[編集]愛媛県北宇和郡三間町(現在の宇和島市)で3人兄弟の次男として生まれる。父は画家・横山大観の弟子。横山と一緒に中国本土へ渡り水墨画を学んでいたが、終戦後その夢が閉ざされ、自転車屋を営むが家は貧しく、石井は新聞配達や喫茶店でアルバイトをしながら家計を助けていた。中学時代野球部に所属。放送されていたテレビドラマ『キイハンター』に主演していた千葉真一の大ファンとなり、その憧れから愛媛県立宇和島東高等学校に進学後、器械体操を始める。
芦原道場入門
[編集]1969年1月、極真会館四国支部芦原会館(芦原道場)宇和島支部に入門し、芦原英幸の弟子となる。きっかけは近所の従兄弟が空手をやっていたことから関心を抱き、偶然に芦原道場をみかけたことから。同年の入門に二宮城光(円心会館)、高見成昭(空手道 高見空手)らがいる。
修行時代
[編集]野球で鍛えた足腰と器械体操で培われた柔軟性で、僅か1年余りで黒帯(初段)を允許。大学受験に失敗したので大阪府に住む兄を頼って浪人し、アートスクールに通いながら東京芸術大学を目指すが、スクール生は画の上手い者ばかりだったため、進学を諦めて大阪の貿易会社に就職した。
大阪支部立上げ
[編集]1975年、22歳の時に芦原の命で、大阪スタヂアム|大阪球場内の文化教室で極真会館芦原道場大阪支部を設立。
1976年、昼はサラリーマン、夜は空手の先生と二足の草鞋を履く生活だったが、門下生の増加により芦原から空手指導に専念を頼まれて会社を辞める。芦原の片腕として関西地区総責任者になり、道場拡大に手腕を奮い、神戸市・京都市・奈良市・堺市・岡山市に支部を拡大し、門下生5万人を指導する。この年、中山猛夫(極真会館主催第9回オープントーナメント全日本空手道選手準優勝、正道会館主催第1,2回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会優勝)や松本英樹(英武館)らが入門。
正道会館設立
[編集]1980年6月、独立し、大阪・岸里の西成産業会館内に新日本空手道連盟正道館、新日本学生空手道連盟を発足して館長となる。
1981年、正道会館と改称し、大会を毎年開催。以後佐竹雅昭・角田信朗・柳沢聡行らが他流派の空手トーナメントに参戦し、正道会館は「常勝軍団」と称された。
1990年6月、全日本キックボクシング連盟の大会に参加したのを皮切りに興行の世界へ進出する事になる(もっとも、それ以前からプリンスジムという名称でキックボクシングの試合にプロ希望の選手を出場させていたこともある。)
adidas cup KARATE ALL JAPAN
[編集]2017年9月、日本最大級の空手の祭典KARATE ALL JAPANが発足。adidasが冠スポンサーとなりadidas cup KARATE ALL JAPANと名称変更。規模、演出とも企画外の名実ともに日本最大級の空手の祭典となる。
2019年、フルコンタクト空手と伝統派空手をミックスさせた新ルール【フルコンPlus】を提唱。従来のフルコンタクト空手には無かったスピード、プロ格闘技への対応などを含めた新ルールに注目が集まっている。
プロモーターとして
[編集]異種格闘技戦
[編集]1990年、全日本キックボクシング連盟の大会に参加したのを皮切りに興行の世界へ進出。
1991年、前田日明の総合格闘技興行「リングス」と提携し、興行のノウハウを吸収した。
1992年3月、後のK-1の前身となる「格闘技オリンピック」を開催し、今ではK-1の前身として評価されている。
K-1立上げ
[編集]1993年4月、フジテレビのイベント「LIVE UFO」の一環で「K-1 GRAND PRIX '93」を開催。
1996年、日曜午後枠から週末プライムタイムに昇格。日本テレビ放送網|日本テレビ、TBSテレビ|TBSと民放各局で放送開始。
1997年、映画『ウルトラマンゼアス#第2作|ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』に角田信朗、アンディ・フグと共に本人役で出演。
2001年、ニッポン放送でラジオ番組「オールナイトニッポンR」木曜日のラジオパーソナリティを務める。同年12月、K-1ジャパンの流れの一環として「INOKI BOM-BA-YE 2001」を企画し日本テレビと契約、制作指揮、K-1軍を率いる総帥的立場として参加。なお、「INOKI BOM-BA-YE 2001」の名称はアントニオ猪木の要望により決定された。また、このイベントはDynamite!へと発展した。
国立競技場で10万人を集めてダイナマイト開催
[編集]2002年8月、「Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立」(TBS主催)を開催し、総合プロデューサーを務める(運営はPRIDE (格闘技イベント)|PRIDEを主催するドリームステージエンターテインメント|DSEに委託)。アントニオ猪木をメインキャラクターとする。国立競技場に格闘技史上最大の10万人観客(主催者発表)を集める。
東京・大阪・名古屋3大ドーム大会を成功
[編集]2002年12月7日、K-1ワールドグランプリ2002決勝戦を東京ドームで開催。5万人のチケット完売、イベント総売上は約10億円。東京ドーム史上、格闘技では最大規模のイベントとなる。12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2002」の主催を日本テレビからTBSに移行。さいたまスーパーアリーナで開催。NHK紅白の裏番組として視聴率16.7%を獲得。
再始動
[編集]2009年6月9日、動画共有サイトYouTubeにて『館長チャンネル』を立ち上げた。
2009年6月10日、自叙伝『空手超バカ一代』を出版。同12日の出版記念パーティでは、「これからは現状のK-1に関して、リングに上がって挨拶をしたり、解説席に座る事やプロデューサーに携わることは基本的にありません。K-1のアマチュア組織を世界的に広げるために、国際サッカー連盟|FIFAや国際オリンピック委員会|IOCのような組織作りとして国際K-1連盟(FIKA=フィカ)設立に力を注ぎます」と語った。
2009年7月22日、夕刊フジのWebサイトZAKZAKにて、食生活と読書に励んだことで得た知識を活かしたダイエット方法について語る「【石井館長の魁!ダイエット塾】」というコラムの週間連載を開始した。
2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALの開会式前のK-1ルール実技説明で業務停止処分中の角田信朗に代わり「特別競技統括プロデューサー」としてリングに上がった。2002年以来7年ぶりの現場復帰となった。
2010年、コラムの内容ではダイエットに関する話題から脱線することが多く、またその脱線した内容が読者に好評であったため、「【石井館長の魁!人生塾】」と改題して様々な物事や格闘技界の裏話などについても書いている。
2011年、K-1のファイトマネー未払い問題を知り、2012年より新たな格闘技世界大会を立ち上げることが報道された。K-1と総合格闘技イベントHERO'Sの商標|商標権を所有していたが、不動産デベロッパーのバルビゾンに権利を移管している。11月3日、北京にて「国際K-1連盟(FIKA)」設立を発表した。
正道会館大改革
[編集]2016年9月。石井館長がK-1より正道会館へ復帰。青少年健全育成をかかげた新生正道会館の大改革がはじまる。
K-1アドバイザー就任
[編集]2024年1月、K-1創始者の石井和義館長がアドバイザー就任!「新しいK-1の世界を作ればいい」
キックボクシング
[編集]一般社団法人 日本キックボクシングリーグ機構(略称:JKL)
[編集]2023年、World Associations of Kickboxing Organizations(WAKO・ダブリュ・エー・ケー・オー/ワコー/日訳:世界キックボクシング団体協会)会長ロイベーカー氏と世界のキックボクシング界について懇談し、業界の更なる発展のため様々なアドバイスを行うアドバイザーに就任。正式で唯一の日本代表窓口となる。(※WAKOはキックボクシング業界において、国際オリンピック委員会(IOC)に加盟している唯一の団体です。WAKO加盟国は 5 大陸 130 か国、そのうち 105 か国の組織は国内オリンピック委員会または政府スポーツ当局に正式に認められたキックボクシング統一団体です。)
2023年10月、一般社団法人日本キックボクシングリーグ機構(Japan Kickboxing League Organizations (JKL))を設立。日本国内におけるアマチュア・キックボクシング競技を統轄・運営・管理し、日本代表選手及び青少年の育成、相互コミュニティーの構築等を行い、業界の活性化、環境整備及びスポーツ振興に寄与することを目的とした日本支部契約を締結。
2023年11月、WAKOの日本唯一の窓口である日本キックボクシングリーグ機構(JKL)は、アマチュア・キックボクシング日本代表選手選考の全国大会に参加する各都道府県別の管理運営団体を主体とした一般社団法人で、最高決議機関となる社員総会、理事会の下に、各都道府県の代表者で構成される実行委員会、JKL社員総会の諮問機関である第三者評価委員会、理事長のもとで企画、運営、育成、調査研究などを行う各種委員会、法人組織となる事務局が設置。これらの組織によってJKLの運営に関わる各種方針を決定すべく、JKL、日本キックボクシング、そして日本のスポーツの発展を目的としたさまざまな議論、将来構想の策定、調査、それに関わる実務を遂行。
2023年12月、「世界のキックボクシングの普及」、「豊かなスポーツ文化の振興」、「争いがない平和な世界を創る」という3つの理念を掲げ、日本キックボクシングリーグ機構(JKL)を始動。世界のキックボクシングファミリーが、 WAKO(世界キックボクシング団体協会)をトップに、WAKO Asia(アジアキックボクシング団体協会)をはじめとした各大陸の協会、各国団体という構図で形成されている中、JKLは日本オリンピック委員会(JOC)、(公財)日本スポーツ協会(JSPO)の加盟団体を目指して設立。アマチュア・キックボクシング選手を育成、世界大会に派遣する唯一の組織として、世界の様々な国際大会に日本代表選手の派遣を開始。
著書
[編集]- 『実戦正道カラテ』(スポーツライフ社、1983年)
- 『勝つための空手』(ベースボール・マガジン社、1991年)
- 『空手超バカ一代』(文藝春秋、2009年)
- 『どるから』(まんがライフWIN、原作名義)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 谷川貞治、石井和義『アンディ・フグの生涯』(広済堂出版、2000年)
- 佐藤猛『ブレイク・スルー K-1舞台裏の物語』(JPS、2004年)
- 森功「石井館長初告白、大晦日「格闘技戦争」の内幕、TV3局激突、曙参戦の裏事情を語り尽くす」(『文藝春秋』2004年4月号)
- 「学会系スポーツ選手、最新版54人リスト」(『週刊文春』2005年3月31日号)
外部リンク
[編集]- 館長紹介 新日本空手道連盟 正道会館 - 国際正道 空手連盟 FIKA
- 石井館長のオフィシャルブログ - Ameba Blog
- 石井和義 (@ishiikazuyoshi) - X(旧Twitter)
- 石井館長のYouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/@IshiiKanchou