コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

坂上洋子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石角洋子から転送)
獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
オリンピック
1992 バルセロナ 72kg超級
アジア柔道選手権
1988 ダマスカス 無差別

坂上 洋子(さかうえ ようこ、1968年8月29日 - )は、長崎県出身の元柔道選手。身長163cm、体重95kg。得意技は大外刈。現姓・石角。日本マスターズ柔道協会会員。

経歴

[編集]

長崎市立西北小学校1年の時に柔道を始めた[1]。 その後、長崎市立岩屋中学校長崎県立長崎西高等学校を経て筑波大学卒業。

1992年バルセロナオリンピック女子柔道72kg超級で、準決勝で抑え込まれて完敗するも、3位決定戦ではポーランドのベアタ・マクシモフを逆に抑え込み一本で破り銅メダルを獲得した。

引退後は阪神・淡路大震災に被災したことをきっかけに、アマチュア無線の免許を取得。パネルディスカッションにパネラーとして出演し、災害時にアマチュア無線をどう生かすか、またその際の問題点などについて、被災の実体験を元に語っている。現在は2児の母である傍ら、日本マスターズ柔道大会に出場している。

女子柔道が競技として存在しない時代に柔道を始めたのは兄の練習についていったのがきっかけだったが、宇土虎雄は母方の祖母の兄にあたり、祖父は芦塚利之、長崎の教育界・柔道界に尽力した小玉好人、芦塚有道、諏訪ノ森柔道教室の松添俊一、そして全国少年柔道大会常連の芦塚道場の芦塚都士通は叔父にあたるという柔道一家である。

小学生の頃、赤迫電停から路面電車に乗って柔道へ通っていたが、小、中学校の1つ先輩にあたる原田知世もバレー教室に路面電車で通っていて、赤迫電停近辺では二人のことは語り草となっている。

主な戦績

[編集]

(これ以降の無差別と記された大会以外は全て72kg超級での成績)

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 「CLOSEUP MEDALISTS 坂上洋子」近代柔道 ベースボールマガジン社、1992年12月号、18-19頁

外部リンク

[編集]